第200話 本能から来る嫌悪感
『全員、無事ですか?!』
通信機から、イーナの声が響く。
他の団員たちの応答が続々と聞こえる中、私たちはにらみ合ったままだった。
「応答、した方が良いんじゃないか?」
ヒラマエが通信機を指さしながら勧める。気を削がれたか、彼の手は剣の柄から離れていた。私も左手をウェントゥスから離し、通信機を握る。それでもヒラマエから視線を外さず、アレーナはいつでも振り回せるようにしたままだが。
「こちらは大丈夫です。ヒラマエ殿も」
『良かった。しかし今の衝撃と音が気になります。調査を中断し、一旦、戻ってこられますか?』
「こちらの調査はある程度終わった。問題ない」
私たちの通話を聞いていたヒラマエが言う。イーナにはすぐ戻ると伝えた。
「この話はまた後にしよう。『ルイ』殿」
私の返答を聞かずに、ヒラマエはさっさと皆のいる所に戻っていった。正体を看破しているのも関わらず、奴は私を偽名のまま呼んだ。今は敵対しない、という意思表示だろうか。彼の後に続き、私も合流する。
「今の音は?」
全員が戻ったのを確認し、イーナが尋ねる。先ほどのような大きな衝撃はないが、断続的に振動が上から伝わってくる。何かが暴れていると考えて良いだろう。
「俺がいた階よりも、上からだ」
テーバが答えた。彼は今いる階よりも上の階への通路を確保していた。イーナが地図を広げ、全員で確認する。
「テーバさんがいた階層は、地下の保存庫、食料などを保管していた場所です。その上は、地表の庭園になっていますね」
「庭園か。罠にかかっていなければ、場内探索中の合流・中継地点として定めていた場所だが」
ヒラマエの言葉に、イーナは思案するように顔を俯け、こちらに視線をちらと向けた。流石にこういう場合の対処方法や合図は決めていない。彼女にも判断がつきかねるのだろう。頷き、私が提案する。
「地表に一度出ましょう。先ほどの音は、どちらか、もしくは両方の傭兵団が敵と接触した可能性があります。我々の無事を伝えると同時に、彼らの援護に向かうのが良いのではないでしょうか?」
他の団員も相槌を打ち同意してくれる。
「わかりました。早速行動を開始しましょう。やることは変わりません。出口までの安全確保、調査、そこに他の傭兵団の合流と援護が加わるだけです。皆さん、準備は良いですね」
がちゃがちゃと各々が自分の獲物を掲げる。アドレナリンが増加し、いつでも戦えると目で訴えていた。イーナも応える。
「行きましょう。まずは脱出です」
石積みの階段を駆け上がる。ところどころ経年劣化で崩れている部分はあったが、鎧をまとった重量級の大人たちが踏み鳴らしても問題ない。頑丈なつくりだ。
「見えたぜ」
先頭を行くテーバが言った。階段の最上段にある鉄扉の隙間から、微かに光が差し込んでいる。錆付きのせいか、建付けもしくは歪んだせいか、扉は固い。一度、二度とテーバが蹴り込む。扉は徐々に向こう側へと動いていく。
ガン、と弾かれたように扉が開かれ、強い日差しに一瞬目がくらむ。が、それも徐々に馴染み、外の景色を認識出来るようになってきた。
「あまり認識したくは、なかったわね」
見上げた私は、思わず愚痴る。
目の前では想像通り戦闘が繰り広げられていた。
ざっと見渡した庭園の広さは、多分学校の体育館、二個分くらいはあるはずだ。バスケットコートが四つ入ると思う。おそらく、ジュビア城が機能していた時には練兵場としても機能していた。
だが今、その広いはずの庭園が妙に狭く感じる。
「クソが、固ぇなあ!」
どこか楽し気な罵声が飛んだ。言った本人も空中を飛んでいる。
戦っていたのはリュンクス旅団だ。そしてその相手は、体長十メートルに迫る巨大な蜘蛛。それが三体。狭く感じるのも無理はない。そんなのが動き回っているのだから。
「アラーネアだ!」
ムトがその名を叫ぶ。近くにいた一匹の複眼が一斉に、新たに表れた餌の方を向いた。背筋にぞくっと生理的嫌悪と恐怖が這い上がって、鳥肌が立つ。
昔から昆虫の類は苦手だ。リムスにきて、多少マシになった、というかマシにならざるを得なかったので、今では小型の多足類程度ならつまんで遠くに投げたり、魚の釣り餌にする程度のことは出来る。とはいえ、やはり苦手な物は苦手なのだ。おそらくだが、人間の遺伝子には虫には毒を持つ危険な種類がいるという情報が刻まれている。だから毒がなくても虫を見た瞬間に本能がアラームを鳴らすんだと思う。
小型でも苦手なのだから、それが家ほどの大きさもあれば苦手では済まない。
アラーネアの長い脚が折れ曲がり、体が沈む。
「来るぞ!」
モンドが魔道具の斧、マグルーンを構えた。私たちも剣や槍を構える。そんな私たちの前で、アラーネアが跳ねた。日差しが遮られ、影が生まれる。
「散開!」
叫び、私自分も影が生まれた場所から逃げた。骨組みだけの傘みたいな影が、徐々に巨大化してきて、鋭い八本脚が落ちてきた。衝撃を殺し切れない地面が悲鳴を上げて陥没し、振動が私たちの足を物理的にも精神的にも震わせる。地下で聞いた轟音と衝撃の正体だ。
「逃げ遅れはない?!」
左右に素早く視線を巡らせる。私たちが出てきた地下の出口を、一撃で瓦礫にしたアラーネアがこちらに向き直る。横に広い口の中にぎっしりと並ぶ乱杭歯をカチカチと鳴らし、よだれを垂らしている。人間など鎧ごとすり潰せそうだ。
「全員脱出してます!」
ムトが応えた。安堵し一息、それも一瞬、意識を切り替える。
ティゲルの話では、アラーネアは基本単体での移動が多い。砂漠中を飛び回る習性もあるだろうし、こんなでかいのが近くにいたら餌の取り合いになってしまう。長年の適応で、離れていた方が生存しやすいと理解しているのだろう。繁殖のときだけ雄がフェロモンを体から放ち、雌を呼びよせるのだという。
だが現実は、目の前に三匹いる。雄のフェロモンに雌が二匹呼び寄せられたのか、それとも雌の取り合いになったのかは定かではない。生物学者でもプラエでもないので興味もない。必要なのは、どうすればこいつらに勝てるか、その一点だ。
組み立てろ、さあ、戦闘だ。
「対アラーネア戦を開始します。狙撃部隊は『団長』を中心にカテナの準備。チャンスがあればあの長い脚を絡めとります。近接部隊は私に続いて。意識を私たちに向けて、カテナで封じる隙を作ります。まともに切り合っても硬い外骨格は切れません」
骨折り損になるだけだ。それならば体勢を崩し、動きを封じ、頭を潰す。幸い、こっちに飛んできた一匹と、他二匹の距離は離れている。また、二体をリュンクス旅団が引き付けてくれている。この間に打開したい。
「まずは集中して一匹討ちます。テーバさん、ジュールさんは他二匹を警戒、近づいてきたら合図をください」
「「了解」」
アラーネアがこちらに向かって前足を二本、天に高く掲げた。完全にロックオンされている。あちらもやる気十分、逃がす気はない、と言いたげだ。
食料の少ない砂漠で、これだけ餌があれば興奮するのも致し方ないだろう。食物連鎖の上位にいるアラーネアにとっては、自分以外は餌でしかないのだ。
その思い上がり、粉砕してやる。
「遺伝子に刻んでいくといい。お前を殺す餌もいるってことをね」
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