第196話 ベースキャンプ

 がさがさと草木を蹴散らしながら、トリブトムの部隊が森を抜けてきた。他三つの団は先に辿り着き、私たちと同様に現状確認と同時並行でキャンプの準備に勤しんでいる。

 現在の私たちは、地図上でジュビア城下町に当たる場所にいる。不思議な事にジャングルはこの城下町内を侵食しておらず、周囲はつい最近まで砂漠だったことを示すように朽ち果てた建造物が半ば砂に埋まった、荒れた土地が広がっていた。土偶猿などの危険生物がいないことを確認しつつ、まだ形の残る建造物を利用してテントを建てていく。

「失礼、ちょっとよろしいですか?」

 ベースキャンプ設営中のアスカロン陣営に、トリブトムの使者、ノリが現れた。かつての私のクラスメイト、赤坂啓友だ。

「ノリ、どうしました?」

 イーナが対応するのを、遠目で伺う。彼女の姿を見つけたノリは、満面の笑みを浮かべて彼女の手を取った。

「ああ、アカリ団長。あなたの機転のおかげで、我々は無事ジャングルを抜けることが出来ました。本当にありがとうございます」

「いえ、無事に脱出出来て良かったですわ」

 手に額を擦り付けてキスしかねないノリから、さりげなくも微かに未練とお預け感を相手に与えながらイーナは手を離した。流石はフェミナンで鍛えられただけのことはある。男のあしらい方が上手い。こんな仕草一つとっても後ろ髪惹かれる思いを相手に抱かせられるものなのか。

「それで、私たちに何か御用ですか?」

「あ、はい。明日からジュビア城の探索になりますので、各傭兵団の探索割り当てを決めたい、とのことです」

「各傭兵団で探索区域を分けるのですか? 最初に申し上げましたが、我々は砂漠の蓮とやらをよく知らない。見落とすかもしれませんよ?」

「それについては心配いらない」

 ノリの背後から男が現れた。イーナが幾分緊張する。それは、相手に対してというよりも、私たちに対してだ。私たちが相手にどんな態度をするのか、彼女は脳内で様々なパターンを推測し、どう対応すればこの場を治めることが出来るか考えたに違いない。苦労をかけっぱなしで申し訳なく思う。だが、それも致し方ない。

「ヒラマエ殿、どうしてこちらに?」

 幾分口調は穏やかにしてイーナは問う。その声音はヒラマエに向けられたものだが、まるで、私たちに落ち着けと訴えているかのようだ。もちろん、そんな彼女の努力を無駄にはしたくない。さりげなく視線をやると、団員たちは仕事のふりをしてその場からゆっくりと遠ざかろうとしている。動けない者も背を向けるなど、自分たちが出来る範囲でヒラマエを見ないようにしている。かくいう私も、なるべく見ないようにしながら聞き耳だけを立てている状況だ。ノリが無念そうな、悔しそうな表情を浮かべながらヒラマエに場所を譲った。

「ジュビア廃城内では、私がアスカロンと同行する」

 テントの裏で「何だと」と誰かが言った。かなり抑えた声だったが聞こえていないだろうか。イーナの首筋に汗が伝った。

「それはまた、何故です?」

「今回の依頼に際し、今回の依頼を担当するトリブトム隊長格以上は出発前、グリフ殿より砂漠の蓮の形状を、文献を見ながら伝えられている。私が同行することで、アカリ団長の懸念は解消されるだろう」

「それでしたら、私がグリフ殿より同じように教えてもらえれば、ヒラマエ殿にわざわざご足労頂く必要はなくなると思いますが」

「いや、それは難しい。文献は持ち出し不可で、この場に持ってきていないのだ。言葉で説明するのも不可能ではないが、齟齬が生じては見落としがあるやもしれない。出発前はグリフ殿も同行する、という話があったが、グリフ殿はやはり非戦闘員のため、リスクを避けるために依頼品を発見できるまではここで留まり、諸君ら三つの団に探索を担当してもらいたい。そして、発見した団の元にトリブトムの団員たちが責任を持ってグリフ殿を案内する、という形にしたいのだ」

「とはいえ、大傭兵団の幹部をお連れするのは・・・」

「心配は無用。こう見えて、昔は前線で戦っていた。戦闘時は頭数に入れていただいて結構だ。それなりに腕には自信があるし、経験だけなら諸君らに引けは取らない。もちろん同行中は諸君らの指示に従うし、邪魔はしないと誓おう。それとも、私がいては何か不都合があるかね?」

 こいつ・・・。

 こちらの反応を見るような言動。何が狙いだ。まさか、気づいているのか。私たちがかつてのガリオン兵団の一味だと。自分たちが嵌めた者たちだと。

 いや、既に気づかれている可能性はあった。その方が高いかもしれない。でもそれならば、なおの事ヒラマエのこの行動は腑に落ちない。私たちの正体を知っていて、わざわざ私たちと一緒に行く危険性を理解できないはずがないのだ。

 ガリオン兵団の生き残りだという確証がないから同行する? いや、それはリスクが高すぎる。

 殺されないと確信があるというのか? 確かに、もし私たちがヒラマエを殺せば、トリブトムの本隊が私たちを潰しに来るだろう。だが、感情を優先してそのことを忘れ、手にかける可能性は十分にあるのに。奴の行動が理解できない。

 ヒラマエはイーナの、私たちの返答を待っている。良いだろう。こちらの出方を伺っているのなら、その誘い、乗ってやる。

 通信機を一度、軽く叩く。一度はイエス、了解、ゴー。二回はノー、拒否、ストップの簡単なサインだ。イーナはこちらを見ず小さく顎を引き、ヒラマエに告げた。

「かしこまりました。道中、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく頼む。では、明日、私が諸君らを担当区域に案内する」

 言い残して、ヒラマエは踵を返して自分たちの陣営に戻っていった。

「申し訳ありませんが、ヒラマエ様をよろしくお願いします」

 ヒラマエがいなくなったのを見計らって、再びノリがイーナの手を取った。

「本当は私が皆さんとご一緒したかったのですが、ヒラマエ様の決定には逆らえず」

「ヒラマエ殿が、今回のトリブトムの采配を?」

「ええ。そうです」

「何かお考えあっての事でしょうか? てっきり、ここでお待ちになられるのかと」

 さっきから警戒してはいるが、ジャングルの猿も蛇も蝙蝠も、どんな理由かはわからないがここまでは追ってこないようだ。おそらく日中の強い日差しとそれに伴う熱風も、ジャングルのおかげでかなり軽減されるだろう。オアシスほどではないが中継拠点としては申し分ない場所だ。廃城内部がどうなっているかによるが、場合によってはプラエたちと護衛の団員数人を残しておいた方が良いのではないかと私たちも考えていた。

「私たちもてっきりそのつもりだと思っていたのです。そもそも、幹部は大団長の補佐の為アーダマスに留まるはずでした。それが、急遽ヒラマエ様の合流が決まったのです。幹部が陣頭指揮を執るのは珍しいのですが、それほど今回の依頼は重要だという事でしょう」

 ノリは訳知り顔で語ってくれる。イーナ相手だと口が軽くて助かる。高校時代に大した絡みはないが、女の前で格好をつけたがるお調子者なのは変わっていなくて助かるよ。

 しかし、急遽予定を変更した理由が気になるな。ここまでの流れから、私たちに接触するために変更した、と考えられる。出方を見ながら、柔軟に対応していこう。他の団員たちとも呼吸を合わせ、場合によっては不幸な事故に遭ってもらう必要もある。

 名残惜しそうにイーナの手を離して戻っていくノリを見送り、私たちはヒラマエの対応を検討する。

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