第194話 危険地帯を進め

 体の水分をすべて奪っていくかのような、乾いた熱風が恋しくなるとは思わなかった。ジャングルを進み続けてもう何時間経過しただろうか。全身にまとわりつくかのような湿度が体力を奪い続けている。馬やラクダで入るわけにはいかないから全員がずっと徒歩だ。それも、体力を奪う原因になっている。

 呼吸が苦しい。顔に巻き付けた包帯のせいだ。当たり前だ。湿気を吸って、空気を通さなくなっている。暑さと酸素欠乏で頭がバカになっている。

「流石に外したらどうだ」

 フェイスガードを外したモンドが心配して声をかけてきた。

「こんな状況で俺たちをどうこうするほどトリブトムも暇じゃねえだろう。目的地に着く前に倒れたら元も子もねえぞ」

「そう、ですね。そうします」

 口元の部分だけ急いで外した。喉を通る空気も質量を持ったみたいにねっとりとしているが、大口を開けばその分取り込めるだけましだ。

「ぷふぁ」

 はしたないが大口を上げて思い切り息をする。本当に酸欠状態だったのか、酸素を取り込んだ頭が少しずつ回り始めた感じがする。

「大丈夫か?」

「ええ、すみません。大丈夫です」

 包帯を取ったついでに水を口に含む。気づかないうちに水分が失われていたらしく、口に水が入った瞬間、思い出したように喉が渇きだした。理性を総動員して、無理矢理口を離す。念のため、最後に立ち寄ったオアシスで水分は大目に補充しておいたが、それでも限りがある。熱中症などの余程の緊急事態以外では、回数と量を管理する必要がある。それに、一気に飲むのは非効率、みたいなネット記事を見かけた。一気に飲んでも全てが吸収されるわけじゃないので、少量で回数を重ねた方が良い、というような内容だった。

 この世界は無駄にしていい物が少ない。水も食料も、鉱石も魔術媒体も、時間も、人すらも、ありとあらゆる資源を上手く使わなければならない。節約とはまた少し違う、必要な物を必要な分割り当てる、適材適所の考え方が近いだろうか。特に私たちのような団は頭も体も回し続けて適材を適所に分配しないと止まってしまう。止まったら待っているのは衰退と死だ。

 懐中時計を取り出し、時間を確認する。時間はまもなく十八時。薄暗くて視界の悪いジャングルが、完全に暗黒に包まれる前に行動を決めなければならない。夜営か、突破か。全員の体力、特にティゲルやボブたちの体力を気にしなければ。

 最初、非戦闘員の彼女たちはコンヒュムにて待機の予定だった。だが、彼女たちだけを置いていくのは人質などの危険があるため避けたかったし、かといって戦力を分散して達成できるほど甘い依頼ではないことも確かだ。未知の領域に挑む際、ティゲルの知識は必要になってくるし、合同での依頼は人との交渉が普段よりも多く発生する可能性がある。その時ボブの交渉術が頼りになるのも事実だ。適所ではないが、適材な二人に倒れられるわけにはいかない。

「モンドさん。そろそろ夜営を考えなければなりませんかね」

「そうだな。視界が利かない中進むのは確かに危険だが・・・」

 モンドが言い淀むのもわかる。この未知のジャングルもまた危険だからだ。どんな危険生物がいるかわからない。迷いどころだ。

 そんな時、恐怖に彩られた悲鳴が木々の間を縫って耳に届いた。

「夜営は、出来そうにないですね」

「違いねえ」


 少し時は遡る。

「森を抜けるのは久しぶりだなぁ」

 頭上に垂れてくる植物のツタを手で払いながらジュールがぼやいた。

「ああ、プルウィクスの、コルサナティオ王女の護衛の時ですよね」

 しみじみとゲオーロが反応した。

「あの時は大変だったなぁ。かなりの強行軍で、休む暇もあんまりなかったし。追手はどんどん包囲を狭めてくるし」

「確かに。極めつけはサルトゥス・ドゥメイですよね。俺、あそこで初めてドラゴン種を見たんです」

「お、そっか、それまではミネラから出たことなかったんだっけ」

「はい。あんな恐ろしい生き物がこの世にいるのかと心底震えましたね」

「はっはっは、特にサルトゥス・ドゥメイは他のドラゴン種よりも強烈な顔してるからなぁ。しかもあれが初めてなら、余計衝撃が出かかったんじゃないか?」

 まあ俺も、その前のペルグラヌスが初めてだったんで偉そうなことは言えないがね、とジュール。

「ええ。恥ずかしながら、未だに夢に出ます。あの不気味な複眼、ギザギザの牙に毒液。思い出しただけで震えが来ますよ」

「わかるよ。なんつうか、見ただけでもう痛いのがわかる感じだ。視界の暴力っていうのか?」

「想像しちゃいますよね。あれが自分に迫ってきたら、なんて考えちゃって、やられてもないのに手とかがムズムズして」

「そうそう、・・・あ、こんな感じの口だったっけか?」

 ジュールが指さした方向には、縦一列にギザギザの棘を生やした葉っぱだった。

「こっちにもありますよ」

「あっはっは、二枚合わさったら本当にあの牙だな」

「本当ですね。しかも何か水滴もついてますよ。毒液もこんな感じで滴ってましたよね」

「うわあ、俺も思い出しちゃったわぁ・・・」

 ふいにジュールの軽口が止まった。不審に思ったゲオーロが「ジュールさん?」と呼びかける。突然ジュールの手が伸び、ゲオーロの頭を掴んで力任せに引き倒した。何が起こったかわからないゲオーロを抱えたまま、ジュールも地面に倒れる。その真上を巨大な蛇が通過した。長い木の枝を伝い、ゲオーロを頭上から襲ったのだ。

 頭上を通過した蛇はそのまま茂みに突っ込む。彼らが牙みたいだと言っていた二枚の葉っぱのちょうど真ん中あたりだ。蛇の頭が葉っぱに当たった、瞬間。

 バフンッ

 突如巻き起こる風が立ち上がって武器を構えたジュールと、ようやく顔を上げたゲオーロを撫でた。

 さっき見た光景と微妙に違う。二枚の葉っぱ、その先端のギザギザの棘が重なり合い、まるで獣のアギトのように閉じられている。その奥で、巨大な蛇が必死で藻掻いている様子が隙間からうかがえたが、葉っぱはびくともしない。次第に蛇の動きは弱まっていく。よく見れば、その表面が徐々に溶けている。葉っぱの表面についていたのは水滴ではなく、生き物を溶かす毒だった。この場にティゲルがいれば、巨大な『食人』植物だと教えてくれただろう。実際には人だけでなく、その葉に挟まれた生物を何もかも溶かして養分にしてしまう恐ろしい植物だ。

 目を真ん丸にしながらその光景を見ていた二人は、ゆっくりと顔を見合わせ、人差し指を自分たちと葉っぱと蛇の間を行き来させ、自分たちがどれほど危険な状況だったか、九死に一生を得たかをゆっくり理解し、絶叫した。

 二人に合わせたかのように、そこかしこで人間の悲鳴が上がり、闇の中に飲み込まれていく。

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