第192話 砂漠の待ち伏せ
翌日以降、念のためしていた警戒は別段意味を成さなかった。
トリブトムからの追及はなく、一日目と同じ二日目、三日目と平凡な行程が続いた。リュンクス旅団のアスピスからのちょっかいも、あの夜以降ピタリとやんでいる。奴自身が言った通り、この依頼が終わるまでは大人しくしているつもりらしい。逆説的に依頼が終わったら再戦を考えているという事ではあるが、ともあれそれまでリュンクス旅団に対する心配は無いと思っていい。したがって、現状の一番の問題は砂漠だ。
一口に砂漠といっても、鳥取とかサハラとかのイメージによくある細かい砂が波のように高低差をつけながら延々と続いている、だけではない。四日目から、地面がからからに乾燥したグランドキャニオンのような荒野も時折混ざってきた。おそらくは大昔の大河の名残ではないかと思える峡谷によって道が隔たれれば、迂回を余儀なくされる。
「まあ、日陰に入れると思えば、まだマシだよな」
ムトが誰に言うわけでもなく、顎に伝う汗を腕で拭いながら呟いている。四日目の到着ポイントであるオアシスは、この峡谷沿いにあった。自然によって削られた崖のような細い道を蛇行しながら最下層まで下り、曲がりくねった道を進んでいる。風は強弱の違いはあれど絶えず吹いているため湿気は感じず、熱がこもることはない。太陽の角度によっては日陰になる。ただ陰に入るだけでも、体感温度はかなり違う。大きく出っ張った場所で小休止を取りながら、私たちはオアシスに向けて進んでいた。
道が細いため、隊列はどうしても縦に長くなってしまう。隊は先頭がリュンクス旅団、次が私たちアスカロン、パンテーラ、トリブトムと続いている。
急に前を行くリュンクス旅団が立ち止まった。
「全員、構えろ!」
先頭にいるアスピスの緊迫した声が峡谷にこだまする。習うように私たちも武器を構え、非戦闘員であるプラエやティゲル、ボブ、ゲオーロを真ん中に囲み、周囲に視線を配る。
時刻はもうすぐ夕方といったところか、峡谷の大部分は影に飲まれ、足元はすでに見えづらくなっていた。
カサカサという音がどこからともなく聞こえる。数少ない草木が風でこすれる音じゃない。生理的嫌悪感を呼び起こし鳥肌を強制的に立たせる、節足類が生み出す音だ。
音は前方からだけではなく、後方、左右からと、四方からのサラウンドで伝播している。
「・・・きやがった!」
最初に見つけたのはテーバだった。彼が指さす、隊列からみて右方向。段々畑のように抉れた峡谷の中腹部分に、黒い影があった。巨大なハサミ、長い尾。
ティゲルの話に出てきた巨大サソリ『スコルピウス』だ。
その一匹を皮切りに、一匹、また一匹と峡谷の窪みや隙間から這い出して来る。
「ここは、奴らの巣だったんだ」
周囲を見渡しながらつぶやく。日中の熱い時間は峡谷の日陰で身を隠す。それは他の生物も同じで、必ず影を求めて動く。直射日光から逃げてきた獲物は、陰で一息つく。そこをスコルピウスは狙っていた。安心した時が一番油断しているのを理解しているのだ。
「なかなかの知恵者じゃないか」
ウェントゥスを抜く。通信機のスイッチを入れ、イーナに指示を出すように伝える。
「迎撃態勢を取る! 前衛、三人一組の隊列を組んでスコルピウスに対応します!」
「「「応さ!」」」
堂に入ったイーナの指示が飛ぶ。心なしか、皆の返事が二割増しで元気なのは気のせいだろうか。別に、気になどしていないけど。してないけどね?
「モンドさん、前衛の指示をお願いします! 敵を近づけさせないでください!」
「任せな!」
「狙撃部隊はウィーテン、スティリアを準備! テーバさん、周囲を警戒しながら狙撃部隊の指示をお願いします! 手前から封じて、奴ら自体を障害物にします!」
「了解だ!」
「ルイさんは遊撃をお願いします! 切り込み、囮となって奴らの意識を本陣から逸らしてください!」
「押忍!」
自分で指示を出しておいてそれに返事をするなんて変な感覚だが、用心できるうちは用心しておく。
わらわらと湧き出たスコルピウスの第一陣が、位置的にも精神的にも私たちと同じ場所に立った。がちがちとハサミを鳴らし、こちらを威嚇している。
「戦闘開始!」
イーナの号令と、奴らが飛び掛かるのは同時だった。
同時にあちこちで戦闘が始まり、怒声と剣戟が響き渡る。
一匹が私に向かって躍りかかってきた。向こうの体長は尾がなくても私の倍はある。質量では勝てない。アレーナで防御するのは最小限にし、躱すことに専念する。相手の動きをよく見て隙を伺う。下手に切り込んでも、あの硬い外骨格に阻まれる。狙うのは柔らかい部位だ。
相対するスコルピウスの尾が引き絞られる弓弦のように後ろに下がった。
来る。
そう思った矢先、尾が頭上から強襲する。先端には獲物を麻痺させ死に至らしめる毒針、それが繋がる尾も鋼の如き硬さと速さで迫り、当たれば昏倒は必至。
だが、動きを予測できれば躱せないものではない。幅広いハサミは薙ぐことで広範囲を攻撃範囲とするが、尾は一点に対する攻撃だ。その軌道上から体を移動させれば良い。
タイミングを見計らって横にステップし、予測される軌道上から逃げる。尾は想定通りの直線状を移動し、地面を抉った。スコルピウスの動きが一瞬鈍る。
アレーナを伸ばし、尾を掴む。掴まれたのを嫌がったが、スコルピウスは尾を跳ね上げた。私も一緒に宙に舞う。
狙い通りだ。
スコルピウスの弱点は、まさに頭上にある。
ティゲルの解説によると、スコルピウスの視界は広く、大体二百七十度、自分の背面以外は大体カバーできる。しかし、平べったい体型のせいか、上下に対しては狭い。故に、真上は完全な死角になる。しかも、体の構造上、背中にはハサミも尾も届かない。
アレーナを離し、スコルピウスの背中に飛び乗る。がさがさと走り回り、自分の背に乗った異物を取り除こうとスコルピウスは藻掻くが、この程度じゃあ振り落とされてはやらない。
「ドラゴンの背に比べれば、ゆりかごも同然ね」
アレーナで自分の体を固定し、ウェントゥスを頭部に叩き込む。緑色の体液を振りまきながら、さらにスコルピウスが暴れる。昆虫は痛覚が鈍いというのはこの世界でも同じらしい。さらに二度、三度と突き刺し、ようやく動きが止まった。まず一つ。
「はっはぁ!」
遠くで笑い声が届いた。視線を向ければ、リュンクス旅団のアスピスがいた。十文字槍の長い柄を、棒高跳びの要領で用い、スコルピウスの遥か上を飛んでいた。そのまま流星のように落下し、スコルピウスの背中を貫いている。大雑把に見えてかなり精密な一撃だ。飛びながら背中の関節の隙間を縫うように槍を繰り出している。
「唸れキルクイ!」
アスピスが叫び十文字槍に魔力を流すと、十文字の刃が回転し始めた。回転する刃をアスピスが振ると、スコルピウスの体を抉りながらいとも簡単に引き裂き、命を奪った。まるでチェーンソーだ。いや、もっと凶悪かもしれない。私と戦った時は本当にただの味見だったのだ。まだ本気ではなかったということか。
アスピスはさらに一匹、二匹とスコルピウスを切り刻んでいく。十文字槍キルクイがスコルピウスに触れる度に外骨格と刃がこすれ合う音は、命を奪われていくスコルピウスの断末魔だ。
「怯むな!」
逆方向では、パンテーラ団長シーミアが最前線で身長ほどもある大剣を振り回している。
「この程度、恐るるに足らず! 蹂躙せよ!」
アスピスが単独で飛び回っているのに対し、シーミアは団員たちと連携して一匹ずつ、確実に潰している。
シーミアがスコルピウスの前に立ち、挑発する。スコルピウスはシーミアに狙いを絞り、前に出る。その隙に、他の団員たちがスコルピウスの側面や背後に回り、足を攻撃して動きを封じる。封じられたら、もう終わりだ。四方から斧やハンマーなどの重量武器が外骨格ごと圧し潰す。
一匹のスコルピウスがシーミアの背後から迫る。ハサミを振り上げ、シーミアを襲った。気づいたシーミアは、逃げるでもなく、逆に剣を握り直し。
「ふん!」
下からのアッパースイング。剣とハサミが衝突し、弾き飛ばされたのはスコルピウスのハサミの方だ。体勢を崩したスコルピウスに、返す刀でシーミアが大剣を振り下ろした。外骨格は何の抵抗もなく刃の通過を許し、スコルピウスは真っ二つに切り裂かれる。地面に突き立つ大剣の回りの砂や小石が、微かに震えている。刃自身が震えているのか。
まさか、超振動ってやつか?
漫画で見たことがある。高速で振動することにより、対象の原子間結合を弱めて切断力を高めているとかなんとか。SFも驚きだ。
それ以上に、そんな大剣を手足のように振り回し、スコルピウスの巨体すらはじき返すとは。アスピス、シーミア。どちらの団長も恐ろしい技量の持ち主だ。だが、こんな状況なら頼もしくもある。
他の団の心配は無用。であれば、私たちは私たちの事だけを考えていればいい。
仲間をやられたスコルピウスが私を取り囲み、踏み潰そうとする。もう一歩、二歩で私に迫る、といったところで、スコルピウスが足を止めた。止めざるを得なかった。その進むための足が、凍って動かなくなっている。狙撃手たちのスティリアだ。命中したスティリアからばら撒かれた液体が一気にスコルピウスを凍らせる。凍らせてしまえば。
「おらぁ!」
モンドが投げつけた斧マグルーンが凍った個所に命中。軽い音を立てて凍っていた足が砕け落ちる。
姿勢を崩したスコルピウスの下にムトが潜り込み、刀を突き差す。隙間に沿って振りぬき、その命を刈り取った。良いコンビネーションだ。
彼らに負けじと、私もまたウェントゥスを振るう。スコルピウスの第一陣は、その数を減らしていく。勝利の雄たけびが峡谷に轟くまで、そう時間はかからなそうだ。
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