第191話 ピンクの象を想像しないで

「こんばんは。アスピス団長」

 代表してイーナが答えた。彼女に意識が向いた隙にさりげなく、プラエとティゲルを下がらせる。

「こんな夜更けに、何か御用でしょうか」

「なに、眠る前に美人の顔を拝んどこうと思ってね」

 四、五メートルの距離を開けてアスピスが停止する。

 チカッと薄闇の中で何かが煌めいた。反射的に右腕の篭手アレーナを盾形にしてイーナの前に展開する。

 右腕に衝撃が走る。ちらりと横目でイーナの方を見ると、彼女も自分のナイフを構えていた。

「おお、やるじゃないか」

 楽しそうなアスピスが右手をこちらに突き出している。手から伸びるのは、長い柄、その先には十文字の刃がアレーナと接触してギリギリと火花を散らしている。この十文字、奴が背中に背負っていたものだ。剣ではなく、槍、それも四メートルの距離を詰める長大な十文字槍だったか。それを片手で扱う膂力は、あの細い腕からは考えられないほど強い。

「一体、何のつもりでしょう。突然武器を向けるなんて」

 余裕のある声音でイーナが問う。

「こいつはご無礼をしちまったな。ただな、どうしても味見をしておきたかったんだ。噂に聞くアスカロン、龍殺しの腕前をさぁ!」

 槍の柄が、折れた。違う。折れたんじゃない。外れたのだ。アスピスが槍を引くと、槍の柄が綺麗に四等分に折れ、奴の手元に戻っていく。その時にはすでにアスピスはこちらに向けて飛んでいた。

「下がって!」

 イーナに指示を飛ばし、前に出る。アスピスが二節分を繋げた十文字槍を、大上段から振り下ろしてきた。

「おおおおおらあああ!」

 再び盾で防ごうとする。盾の向こう側でアスピスがほくそ笑んだ。十文字槍の柄が盾の上端に当たり、そこから折れ曲がった。首を傾けると、耳の傍を槍が通過し、盾の内側を叩く。

 三節棍みたいにも使えるのか! 盾を振り払い、アスピスを弾く。同時に、自分も飛び退って距離を取る。左手で腰のあたりを探り、舌打ちする。いつも佩いているはずの物がない。くそ、油断した。ウェントゥスをテントに置きっぱなしだ。

「はっはぁ! 思った通りだ!」

 大口を開けながら、アスピスが距離を詰めてくる。今度は鞭のようにしならせて右横から薙いだ。軌道を推測し、アレーナを思い切り振ってジャストミートさせる。あらぬ方向へと十文字槍の刃部分が弾かれ、わずかにアスピスの懐が開いた。アレーナを篭手に戻し、潜り込んで、勢いを乗せて打つ。

「っとぉ」

 痺れる手応え。拳はアスピスの槍の柄で防がれる。その柄をアスピスが手首で操作した。先にある節々が内へと曲がり、穂先が私の後頭部目掛けて迫る。

「団長!」

 イーナが叫んだ。

 背後から迫る槍を、体を倒して捻りながら躱す。背面飛びみたいな体勢の私の鼻先を、十文字槍が通過していく。再びアスピスが槍を構え、突きを放とうとするのを接近して、ワザと槍にアレーナを当てて防ぐ。しのぎを削っているような状態だ。アスピスが少し顔をしかめた。この距離なら力が上手く伝えられず、槍本来の攻撃力が発揮できない、かといって下手に分解すればアレーナを武器に変えて攻撃に転じることができる。

「やっぱり、てめえが本物の龍殺しか」

「だったら何?」

 ぎりぎりと刃と篭手が耳障りな嫌な音を立てる。それを間に挟み、私たちは拮抗し、にらみ合う。

「おかしいなとは思ってたんだ。その女は、なるほど幾つも修羅場越えてきたような面してやがる。だが、龍を殺したにしちゃあ、ちょっとお上品すぎる気がしたんだよなぁ」

「そんなことを確かめたいがために、ケンカを売ってきたの?」

「言ったろ? 美人の顔を拝みに来たのさ。そんな布顔に巻いてるからよぉ」

 強い砂漠の風が頬を打つ。十文字槍がかすり、包帯を切り裂いていたのか。

「抱きてぇのはあっちだが、戦ってみてぇのは後ろで隠れてたてめえの方だ。もう少し、殺気を押さえる術を覚えるんだな。鼻が利く奴にはばれちまうぜ」

「あなたのような、戦闘狂の変態にってことね? 覚えておくわ」

 ふっ、と短く強く息を吐き、腕に力を籠める。奇しくも同時、アスピスもまた槍を強引に払った。互いに距離を取る。相手の出方を伺うように、相手の一挙手一投足を見逃さないように注視する。

「おい、どうした!」「何やってんだ!」

 騒ぎに気付いたアスカロンの団員がテントから飛び出してきた。私たちを見つけ、すぐに取り囲む。

「まだ、やる気?」

 言いつつ、警戒は解かない。どれほど有利な状況になろうとも、目の前の敵が生きている限り油断すれば殺されるのはこちらだ。

「いんや、残念だが止めとくぜ。これ以上やると止まらなくなりそうだ」

 大人しく十文字槍をしまう。

「おいおい、勝手にケンカ売っといて、無事に帰れると思うのか?」

 低い声でテーバが言った。彼の銃はアスピスの脳天に向けられている。他の団員も自分の武器を構えて彼を睨みつけている。しかし、アスピスは動じない。

「思っているさ。そっちこそ、大丈夫か?」

「何だと?」

 テーバが凄もうとして、目を見開いた。彼の首筋に、鋭い槍の切っ先が突きつけられている。見れば、アスピスを取り囲むアスカロンのさらに外側を赤い鎧の男たちが取り囲んでいる。リュンクス旅団だ。いつの間に、いや、まさか最初から潜んでいたのか? リュンクス旅団はこれまで大規模な戦争や城攻めの経験がある。夜闇に紛れての潜入や音もなく相手に忍び寄っての暗殺もお手の物ということか。

「人間相手の戦いに関しては、俺たちの方が分がありそうだな、ええ?」

「テーバさん」

 彼に視線を向ける。舌打ちしつつテーバが銃をおろすと、槍の切っ先もゆっくりと引き下げられた。

「良い判断だ。ここで殺し合っても、お互いなぁんも良い事無いもんなぁ」

「だったら、今後は最初から紳士的に振舞ってほしいものね。次は止めないわ」

 気の強さも俺好みだ、とアスピスは獰猛に笑う。こんな奴に好かれても全く嬉しくない。

「安心しろ。続きのちょっかいはトリブトムの依頼が終わるまで我慢してやるとも。一応同盟相手だ。傭兵としての、最低限の義理くらいは守らんとな」

 アスピスが離れていくと、リュンクス旅団の団員たちも、彼の背後を守り警戒しつつ下がっていく。

「明日からもよろしくな。アスカロン。龍殺し」


 彼らの姿が完全に見えなくなったところで、ようやく警戒を解いた。

「大丈夫ですか、団長」

 ムトが心配そうに声をかけてくる。

「ええ。けがはないわ」

「よかった」

 ムトが胸をなでおろす。

「しかし、あの野郎何のつもりで襲ってきやがったんだ?」

 テーバはまだ怒り心頭中のようだ。気づかないうちに背後を取られていたことも関係しているだろう。

「私の顔を見に来たそうです」

「団長の?」

「ええ。私が団長であることを確認したかったようで」

「正体を突き止めるために襲ってきたってことか? まさか、トリブトム、ヒラマエの指示か?」

「そこまではわかりませんが」

 可能性は低いような気がした。ヒラマエからの指示だったら、もっと他にやりようがある。それこそトリブトムと一緒の時に指摘でも脅すでもして、包帯を外すように言えばいい。やっていることは無茶苦茶だが、傭兵の義理を守ると言ったのは本気のように思う。いや、奴が話したことは全部本気だったのだ。顔を拝みたかったというのも、奴の言うところの味見、一戦交えてみたかったというのも本音で、そこに他意はなくただそれだけのために動いた。本能で動くタイプなのだろう。

「しかしあれだな」

 ジュールが何かを察したように私の肩を叩いて言った。

「ミネラのカナエ守備隊長といいさっきのアスピスといい、団長って変で強い男にモテるね。何か、そういうの引き寄せる能力でも持ってんの?」

「やめてください。本当に、やめてください」

 全然嬉しくないが、一方で考えてしまう。もしかして私って、ダメ男、いやこの場合は戦闘狂ホイホイなのだろうか。い、嫌だ。これからも好かれるのがあんなのばっかりなんて嫌すぎる。

 軽いショックを受けながら、テントにとぼとぼと戻る。嫌な想像しか浮かばない未来を打ち消そうと毛布に潜り込み固く目を瞑ったが、ピンクの象と同じでなかなか頭から離れてくれなかった。

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