第179話 杯を乾す
「謝ってください」
私は怒っている。多分、ここ最近では最も頭にきていると言っても過言ではない。腕を組み、イライラを表現するようにつま先を何度も上げ下げして床を蹴り、これ以上ないくらい眉を吊り上げ、厳しい視線を居心地悪そうな顔の男に向けている。
「謝ってください」
もう一度、低い声で告げた。
「謝ってくださいって言われても、なあ」
「いいから、とにかく私に謝ってください。私の失った水分量とかガラガラになった声とか、もう、とにもかくにも返してください。ギースさん」
ベッド上で包帯を全身に巻いた彼が苦笑した。
ラーミナを溶岩に叩き込み、車が爆発した。その時、花火のように打ちあがった破片は、破片ではなく車に取り付けていた座席とそれに座っていたギースだった。彼は射出された勢いそのままにかなりの距離を飛び、墜落して座席ごと斜面を滑り落ちた。その際片足と片腕を骨折し全身に擦過傷と打ち身を作ったものの、何とか生きていた。
「いや、あの、その、団長が、仰ったじゃないですか」
ベッドの傍で正座しているゲオーロが、恐る恐る言い訳していた。
「車には、安全機能として『エアバック』がついてるって。どんなものか知らないけど、エア、空気と、バック、後ろって意味から、プラエさんに手伝ってもらって、エンジンが爆発の臨界点に達したら作動するように仕掛けを作った、ん、ですけど・・・」
「エアバックじゃなくて『エアバッグ』! 衝撃を受けたら空気の袋が飛び出して乗車している人間を衝撃から守るの! 後ろに飛んでどうする! 戦闘機の脱出ポッドか!」
ひい、とゲオーロが縮こまってしまった。確かに発音的にはエアバックと聞こえるしエアバックでも問題なく通じるけど。完全なる八つ当たりだが、知らん。私は非常に腹を立てているのだ。
「やめてやれよ団長。その『エアバック』のおかげで私はこうして生きているんだから」
ギースがゲオーロを守るように言った。
「だから何で生きてるんですか。あの時『お別れだ』とか『悪くない人生だった』とか最後っぽいこと言ってたじゃないですか。あれだけ言っておいて恥ずかしくないんですか」
「それを言われると恥ずかしくて顔から火が吹きそうで返す言葉もないな」
おどけた仕草をして、痛みで顔をゆがめた。
「その辺にしておいてあげなよ。アカリ」
プラエがニマニマ笑いながら、取りなすように割って入ってきた。
「あなただって、ギースが生きてて嬉しかったでしょうに。ちょっと泣いちゃった自分が恥ずかしいからって二人に当たるのはよくないわよ」
「当たってません!」
「はいはい。ともかく、ギースはあなた以上のけが人なんだから、その辺で許してあげたら」
彼女に言われたわけじゃないが、ゆっくりと数回深呼吸し、気持ちを落ち着ける。
「確かに、ギースさんが生きていてくれたことは、私としても喜ばしい限りです」
「今更取り繕って硬い言葉使わなくても、素直に嬉しいって喜べばいいじゃない」
「うるさい!」
「おお、こわ」
茶化すプラエを黙らせて、本題に入る。ゲオーロを退室させて、代わりにモンドとテーバを呼ぶ。
「けがの具合は、いかがですか」
「見ての通りだ。腕と足が折れて、全身ズタボロだ」
一度、ギースは大きく息を吐いた。
「すまんな。私はここまでだ」
覚悟をしていたはずの返事だが、実際にそれを聞くとやはり堪えるものがある。
「特に足は、もともと悪かったのが今回折れたことで二度と使い物にならないと医者から言われたよ。治療して、何とか歩けるようになるかどうかだ。とても傭兵をやっていける体ではない」
モンドは固く目を瞑り、テーバは驚いたように息を早く吸い込んだ。けれど、二人から言葉は出なかった。事前に、引退の話を彼らにはしていたのだろう。プラエは驚かなかった。勘の鋭い彼女なら、ギースのそういう雰囲気を感じ取っていたのかもしれない。
「傭兵は、戦うだけが仕事ではありません。他にもいろいろと」
「ダメだ」
私の言葉をギースは遮った。
「引き際を誤ったら、私はいつか団全体に迷惑をかける。それだけは許されない」
ギースの決意は固く、私がこれ以上何を言っても覆ることはなかった。
「傭兵をやめて、どうするつもりですか」
「そう、だな。屋台でも開こうかと思っている」
「屋台ですか?」
彼の生家はレストランだったと聞いたことがある。夜営の時も、万能栄養補助保存食ドラゴフードがない時は料理を振舞ってくれた。ドラゴフードよりも団員のモチベーションが上がるほど、彼の料理の腕は高い。
「昔一度だけ、ガリオン団長と話したことがある。もし金を稼いで引退したらどうするか。あの時は生きて傭兵を引退できるなんて考えてもなかった。だが、なんとなくだが『田舎で店でも出すか』と答えたのを思い出してな。若いころの夢を、もう一度追いかけようかと思う」
定年退職して第二の人生を歩き始めたサラリーマンみたいな答えだった。
「・・・応援、します。ギースさんの夢を」
引き留めたい百の言葉を飲み込んで、私は手を差し出した。ギースは優しく微笑んで、手を握った。
「必ず、そのお店に行きます。だから、それまで潰れずに頑張ってください」
「ああ。来てくれ。上手い物を、とりあえずドラゴフードよりましなものを作ってやる」
また涙があふれてきたので、誤魔化すように抱き着いた。
「ありがとうございます、ギースさん。これまで本当に、ありがとうございました」
本当に言いたいことを、ようやく伝えられた。
彼がいなければ、私はここで生きていくことすらできなかった。ガリオン団長にとりなしてもらえたのも、戦う技術を身につけられたのも、団長としての心構えも、何もかもが彼から与えられたものだ。感謝してもしきれない。この世界での、まさに父親代わりだった。
「感謝するのはこちらの方だ」
私の背中を撫でながらギースが言った。
「ありがとう、アカリ」
我慢が利かなくなった。口が勝手に嗚咽を漏らす。私が泣き止むまで、ギースはずっと私の背中を撫でてくれていた。
涙が止まった頃、ドアがノックされた。
「団長、よろしいですか」
ムトの声が向こうから聞こえた。涙を拭きとる。
「どうしました?」
「団長にお客様です」
「客? どなたです?」
「フェミナンのオーナー、アン様です。相談事がある、とのことです」
彼女の相談事とは、一体なんだろうか。まさか、スパイ活動の件でラクリモサともめたのか?
「行ってやれ。アカリ。大事な依頼主の相談だ」
ギースが言った。
「お前の戦いは、まだ終わっていないだろう? 進み続けろ」
「はい!」
ギースに見送られ、私はアンの元へと向かう。
――――――――――――――――――――
アカリがいなくなった部屋で、ギース、モンド、テーバ、プラエ、元ガリオン兵団の生き残りの中でも最古参のメンバーが顔を並べた。
「引退、するんだな」
モンドが感慨深そうに言った。
「ああ。少し予定よりも早くなってしまったが」
「でも、医者じゃないけどあなたを治療した側の意見として、私は正解だと思う。ここ最近、動くの辛くなってきてたでしょう? 火傷の後遺症?」
「知ってたのか」
「まあね。傭兵は死ぬ確率が高いけど、だからって死んでいい理由にはならない。生きて引退できるなら、その方が良い」
「ああ。団長じゃないが、仲間が死ぬのは、もう沢山だ」
モンドが言った。四人の脳裏に浮かぶのは、燃え落ちていくラテルだ。あの地獄から這い上がって、アカリを中心に新しい団を結成した。インフェルナム打倒を掲げた彼女と共に、ギース達は戦うことを決めた。もちろんギースとプラエは彼女の他の野望、大国カリュプスや大傭兵団トリブトム殲滅、そして元の世界に戻ることを画策しているのを知っているし、モンドとテーバも聞いてはいないが何となく察している。それでも、彼女を守ると決めたのだ。彼女の行く末、駆け抜けた先に何が待っているのかを共に見てみたいから。
「お前たちには、申し訳ないと思っている。こんな中途半端なところで抜けてしまうなんて」
「全くだぜ。あの甘ちゃん団長のケツは、あんたが最後まで叩くんだと思ってたからな」
テーバが笑いながら言った。
「その役目、お前たちに任せたぞ」
「仕方ねえ。他ならぬギースの頼みだ。任されてやるよ」
軽口をたたくテーバだが、その内に秘める思いは強い。
「ああ。団長の命は必ず守る。今度こそ、必ずな」
モンドも同じ思いだ。
「何とかするわ。あなたに誇れるようにね」
プラエの言葉は三人だけではなく団員全員の思いでもある。
「堅苦しい話に湿っぽい話はこれにて終了」
ポンポンと手を叩き、彼女が取り出したのは酒だ。三人にコップを配り、なみなみと注いでいく。
「勝利の後は、飲むのが決まりでしょう。今日は明日まで飲み続けるわよ。さ、ギース。乾杯の音頭を」
酒は止められてるんだがな、と言いつつギースはコップを掲げた。
「お前たちと共に戦えた事、本当に誇りに思う。これまでお前たちと過ごした日々は、墓場に持っていける私の宝だ」
ギースがコップを掲げる。
「お前たちの、アカリの、アスカロンのこれからの旅路に、幸多からんことを」
三人はぐっとコップを前に掲げ、ギースのコップにぶつける。
「「「「乾杯」」」」
口に含んだ酒は強くて、誰もが涙するほどだった。
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