第173話 三時間四十六分五十一秒

 最後の人型が、ラーミナのアギトに収まった。その瞬間、思わず固く目を閉じた。項垂れるのだけは避けたつもりだった。だが、背後では声に出しはしないが、ソダールたちが落胆する気配を感じとれてしまった。

 こちらを責めないのが逆に困る。もちろん相手は敵だった連中だ。どう思われようと何とも思わないが、一度はこちらに命を預け、協力してもらった。その相手の期待を裏切ることになれば、流石に私でも多少の責任を感じる。

「次の手は、あるか?」

 ソダールが静かに問うた。ガンガンと天井をラーミナが叩き、餌が出てくるのを待っている。そんな中で、彼の声は意外なほど良く通った。

「ありません」

 正直に答える。変に期待を持たせるよりも、完全なる瀬戸際だと理解してもらった方が良い。

「そうか」

 ソダールは激昂するでも絶望するでもなく、ただ事実を受け止めた人間が発する返事をした。

「では、早急に考えるぞ」

 そして、当然のように言った。少し驚いて、彼の顔をまじまじと見つめてしまった。

「何だ。何を驚くことがある。次の手がないなら考えるのは当然の成り行きだ。俺は任務のために命を捨てる覚悟はあるが、無駄にするつもりは一切ない。生き残り、次につなげる事も一つの役割だ。最後の最後まで、足掻き続けてやる。絶望してやる暇はない」

「良い覚悟をお持ちで」

「何だ。皮肉か? 潔くないとでも?」

「いいえ。私もあなたの覚悟に共感出来るってことよ。私にもやらねばならない目的があるから。簡単に投げ捨てられるほど、私の命は安くはないわ」

 多くの人間に助けられ、多くの人間の命の上に私の今が成り立っている。誰かが生きたかったはずのこの一瞬を、私は生きているのだ。無駄になど、できるものか。

 ガンガンガンと、ラーミナが天井を叩くリズムが早まってきている。だんだんと苛立ちが増してきているようだ。

 相手はこちらがまだ潜んでいることを理解している。今は叩けばそのうち出てくる、という楽しみにも似た、いわゆるパチンコ依存症に近い精神状態だが、それがいつ直接砦を破壊したほうが早い、という精神状態に変わるかわからない。

「装備を確認しましょう」

 彼らの前に、自分の持ち物を広げる。風の剣ウェントゥス。砂鉄の篭手アレーナ。粘土型爆弾が一つ。これらの効能を簡単に説明する。

「我らの持ち物はこんな感じだ」

 魔道具の効果によって硬質・軽量化された剣と盾が人数分。ボウガンが数丁に矢が三十本ほど。潜入で使用していた様々な職種の服。水や小麦粉。後は砦の補強に使う木材が少々。

 この手持ちで組み立てられる作戦は。

 ひと際大きな音が天井を揺らした。まずい、ラーミナが我慢の限界を迎えている。頭をフル回転させて、取捨選択していく。


――――――――――――


 尾で大きく奴らの巣を揺らす。これで出てこなければ、巣穴ごと潰し、掘り返すまで。ラーミナがそう考えていると、中から妙な音が響き、そして内側から壁が崩れた。恐怖で気が狂い、自らの巣を破壊しているのか。その穴から、爪やくちばしを入れると、中から悲鳴が聞こえた。なぜわざわざ自分たちが不利になるようなことをしたのか。愚かな生物だ。

 不思議がっているラーミナの目の前で、我慢しきれなくなった奴らが外に出た。そうだ。お前たちにはそうするしかないはずだ。鎌首をもたげ、一気に伸ばす。アギトが今回は正確に奴を捉えた。咀嚼しようとして、違和感を覚えた。

 先ほど喰った奴と、何かが違う。すぐに吐き出そうと口を動かす。この辺りの危険察知は流石というべきか。だが、ラーミナが吐き出すよりも早く、白い粉を破れた個所からまき散らす人型に魔力が込められた。


――――――――――――


 ドンと腹に響く音と共に、ラーミナがのけ反った。口元からもうもうと煙を吹いている。手元に残った粘土型爆弾に小麦粉を加えて粉じん爆発の相乗効果を狙った特製人型が、ラーミナの口内で上手く爆発した。あわよくばこれで死んでくれれば。


 ジャアアアアアアアッ


 怒り、鱗を逆立たせたラーミナが正面に開いた穴から突っ込んでくる。

「そう上手くはいかないか!」

 迎え撃つ。穴の縁がラーミナの鱗でガリガリと削られていく、が、砦が崩落するには至らず。奴の頭半分がねじ込まれるまでにとどまった。応急措置だが、補強は上手くいっている。

「ボウガン、射て!」

 穴にぴったりと挟まったラーミナに対して、ボウガンを構えたソダールたちが至近距離から一斉に矢を放つ。多くの矢は鱗に弾かれたが、何本かは鱗と鱗の隙間に突き刺さった。血をまき散らしながらラーミナは首を穴から引き抜く。距離を取り、こちらを伺うような様子のラーミナが穴の向こうに見えた。

「思惑通り、か?」

 ソダールが外を警戒しながら言った。

「一応は。この調子で様子見を続けてくれればいいんだけどね」

 ラーミナに急かされ、籠城するしか手はないと腹をくくった。そこから大急ぎで余った木材で支柱の強度を上げ、そしてわざと壁と天井に穴を開けた。穴がなければ自らこじ開ける力が奴にはあり、ランダムに力を加えられると砦が突然崩壊する恐れがあった。こちらからわざと穴を開けてやることで、そこから中を覗けるようにと誘導する。そして、限られる補強用の木材を、負荷がかかるところだけに使えるようになる。

「獣も一度痛い目を見ればハチミツを取ろうとしない。蜂に刺されるからな。ラーミナも同じならいいんだが」

「その程度の執念深さなら、そもそも追いかけてきてほしくなかったわ」

 ソダールが「そうだな」と苦笑して頷く。そして私たちの推測通り、ラーミナはこの程度では諦めなかった。

「来るぞ! 今度は上だ!」

 全員が天井の穴から離れる。すぐ後にラーミナの爪がねじ込まれ、壁も床も爪が削っていく。こちらに迫る爪に対して、ウェントゥスを振るう。硬質な手応えに腕が痺れる。お返しに奴の鱗を何枚か剥ぎ取ってやった。慌てて爪が引き抜かれる。

 ラーミナの牙も爪もこちらまでは届かない。しかし、こちらもラーミナにとっては小さなかすり傷程度しかつけられない。だが、これで良い。私たちの目的は時間稼ぎだ。

 互いに致命傷を与えられないジャブの打ち合いは、唐突に終わりを告げる。再びラーミナが頭を天井から突っ込んできた。これまで天井からは爪ばかりだったのに、どういう理由だろうか。とはいえ、鱗に守られていない目を狙うチャンスだ。こちらも同じように襲撃をやり過ごし、カウンターを・・・

 しかし、ラーミナの様子がおかしい。穴の中を探るような動きではなく、突っ込んだまま震え始める。これはまさか!

「物陰に隠れて!」

 叫びながら、私も支柱の裏に隠れる。

 再びラーミナの鱗飛ばし。室内に死を伴う暴風が吹き荒れる。クレイモア地雷もかくやの威力だ。

「?! ぐっ、づぉっ」

 支柱を貫いた鱗が、左足をかすめた。よろめき膝をつく。骨は大丈夫。血が溢れているが太い血管までは達していないはずだ。服の裾を噛み千切って、それを足に巻きつけ止血する。過去にぼんやりと思い描いていたクールな大人の女には程遠い今の姿に笑いそうになる。

 やり過ごしたか、と思ったところで、今度はぎしぎしと嫌な音が耳に入る。これまでラーミナの猛攻を防ぎ、天井を支えてきた支柱に致命的なダメージが入っていた。

「頭良すぎでしょう!?」

 これを狙っていたのか。私たちにダメージを与え、かつ砦を潰すための一石二鳥の手だ。

「全員退避だ! 外に出ろ!」

 ソダールが部下たちを誘導する。

「お前もだ龍殺し! しっかり立て!」

 ソダールに手を引かれ、外に飛び出した。次の瞬間、ラーミナの太い尾が砦に向かって振り下ろされた。瓦割のように、見事に真上から叩き割られた砦は粉じんの中に沈んだ。

 ゆっくりともったいぶった様子で、ラーミナが私たちの方を振り向いた。よっやく巣穴から出てきたな、と言わんばかりに舌なめずりをしている。

 間違いなく絶体絶命。だが、諦めるつもりは毛頭ない。右足に体重をかけて立ち、ウェントゥスを構える。隣ではソダールたちも、決死の表情で盾と剣を構えていた。最終決戦の火ぶたが、落ちるその前に。

 心底待った声が無線から届く。

『待たせたな! 団長!』

 ユグム山の斜面を走る一つの大きな影。そこから小さな影が一つ、二つと飛び出して、手慣れたように陣取っていく。

『さあ、反撃開始と行こうぜ!』

 ええ、ええ。もちろん! 痛みも忘れ、私は叫んだ。

「これより、対ラーミナ戦を開始します!」

「「「「応ぉっ!」」」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る