第170話 私を誰だと思ってやがる
「急げ! 証拠は一切残すな!」
アウ・ルム潜入部隊責任者ソダールが、部下たちに指示を飛ばす。
大失態だ。
情報を持つ人質を取り逃がし、部下も殺され、重要拠点となるはずだった拠点の位置まで知られてしまった。はらわたが煮えくり返り、喚き散らして何もかも放り投げてしまいたいが、全てを飲み込み、最低限の自分の任務を遂行する。この隠し砦から自分たちの関与に繋がるものを全て消し、撤収すること。最低限必要な物は全て持ち出し、後は破棄する。口惜しいが、最悪の事態になるよりはましだ。ここは生きて、次につなげる。我が国の関与さえ疑われなければ、国さえ生き残れば、チャンスはまた巡ってくる。そして自分の使命は、生きて戻り情報を伝えることだ。戻った先が此度の責任追及の場で、死刑台だったとしても、次に繋がるのであれば本望だ。誰かが自分の遺志を継ぎ、必ずや悲願を達成してくれる。そう信じて、今は体を動かす。
一、二階はある程度の片付けが済み、後は三階を残すのみとなった頃。遠くから雄たけびが聞こえた。それだけで自分だけでなく、部下たちも身を縮こまらせて動きを止める。災厄が行き過ぎるのを伏して待つ。
ドラゴン上位種、ラーミナ。まさかこんな場所にいるなんて思いもよらなかった。奴の存在も想定外の一つだ。あんなものが住み着いていたら砦の再建もできない。また新たな場所を探さなければ。その情報も持ち帰る必要がある。
「お、おい、これ」
部下の一人が呟く。
「近づいて、きてないか」
思わずその部下の顔を全員が覗き込んだ。何を馬鹿なことを、と言おうとして、確かに奴の声が聞こえる。心胆寒からしめる振動が足元と心臓を揺らす。
「嘘だろ、もしかして追ってきたのか!」
部下が恐慌一歩手前の表情で叫んだ。
ラーミナは執念深い性格をしている。一度敵とみなした相手を殺すまで追ってくるというが、流石にここまで距離を取っていれば大丈夫だとタカをくくっていた。
どうする?
まだ三階の片づけは終わっていない。大したものがあるわけではないから、そのまま放置し、撤退を優先するか? いやしかし、どこから綻ぶかわからない。せめてここを燃やすなり崩すなりしておくべきではないのか?
不安そうな部下たちの眼が彼に集中する。部下の為にも失敗できないという焦りと不安が彼の迷いを促進させ、身動きを封じる。命に等しい時間はその間もさらさらと流れ続けて。
そして停滞は破られる。
人質を救出しに来た敵傭兵団が砦に開けた穴から、何かが落ちてきた。びくっと全員が反射的に武器を抜く。空いた穴から微かに入るスポットライトに照らされて、さながら舞台の主演が恰好を決めるように、その女は立ち上がった。
「き、貴様」
ソダールが怒りを込めて唸る。つい先ほどまで命のやり取りをしていた、敵傭兵団の女だったからだ。
「最初に、謝っておきます」
女は何の悪びれもなく、自身に向けられる敵意に臆すことなくソダールたちに向き合った。
「申し訳ありません。ここしか、逃げ込む場所を知らなかったもので」
逃げ込む? 全員が心の中で首を傾げ、同時に答えに至った。
「まさか!」
女を照らしていたスポットライトが突如陰る。誰かが上に明かりを向けた。
月よりも真ん丸な、黄金の瞳がこちらを覗き込んでいた。
ジャアアアアアアアアアアッ
ラーミナの爪が穴からねじ込まれた。ガリガリと穴を広げていく。
「嘘だろマジかよ!」「冗談はやめてくれ!」「悪夢だ」
部下たちが恐慌状態に陥った。ソダールも臓腑の底から沸き上がる恐怖を何とか制して叫ぶ。
「階下へ移動しろ!」
部下たちを階段へ向かって押しやる。落ちるように階段を駆け下りて、二階、そして一階の出口へ殺到する。
「駄目!」
最後尾から声がかかった。ソダールがそちらの方を振り返る。
「外に出るな!」
何人かはその声を無視して外に飛び出し。
真上から伸びてきたラーミナの口の中へと飲み込まれていった。
「だから言ったのに」
命からがら、慌てて砦の中に引き返してきたソダールの部下たちを、呆れ顔の女が待っていた。
「ラーミナは頭が良い。上から脅せば、怯えた人間が下から飛び出してくるって理解している」
「よくもぬけぬけと・・・!」
再びソダールの剣が女に向けられる。
「再戦をご希望? 別に構わないけど、おすすめはしないわ。ここから生きて出たいのならね」
女は自分に突きつけられた剣や敵意を向けるソダールたちを意に介さず、見渡しながら言った。
「ラーミナはすでに私たち全員をターゲットにしている。誰一人、例外なくね。殺しあって減った人数で切り抜けられる相手ではないわよ? それよりは、協力した方が助かる見込みがあると思うけど」
そちらにも、生き残らなければならない理由があるでしょう? 女はこちらの心を読んだかのようにほほ笑んだ。
「協力? ふん、貴様の腕が立つのは認めるが、たった一人増えただけで何ができる。それならば貴様を外に放り出しラーミナの気を逸らして、その間に逃げた方が得策というものだ」
ソダールとしては当たり前のことを言ったつもりだった。部下たちも追従して頷いている。だが、女は鼻で笑った。
「その程度の囮が本当に通用すると思っているのなら、甘いわ。甘すぎる。山頂でラーミナに襲われた時、あなた方がここまで逃げ延びることが出来たのは、私たちが様々な道具を使って奴の眼を逸らしていたからよ。それに、言ったでしょう。奴は頭が良いって。私たちのことをちゃんと覚えている。ここまでウロチョロ逃げ切った私より、鈍重なあなた方を先に狙うはずよ」
「そんなもの、やってみなければわからない」
「わかるから言っているの。あなた、私の事を誰だと思っているの? この世界の誰よりも、ドラゴンの生態について詳しいわ」
女のその言葉に、ソダールははっと気づいた。部下も、女の正体に思い至り、思わずといった風に口を動かした。
「まさか、貴様があの・・・?」
噂だけは聞いていた。ドラゴン討伐を掲げる傭兵団があると。少数ながら精鋭ぞろい、独自の魔道具を用いてリムス各地で暴れまわる、人に仇なすドラゴンを討ち倒す。
団の名はアスカロン。そして、その団を率いるのが、一騎当龍とまで呼ばれた女。
「貴様が、龍殺しアカリか」
ソダールが言うと、女、アカリは少し困ったように頬を掻きながら「あー、うん、まあ、そう、そんな感じ」と何故か照れていた。
「どんな噂がどの程度広がっているか知らないけど、事実として、私たちはリムスの誰よりもドラゴンと戦ったことがある。積み重ねてきたノウハウがある」
「何が言いたい?」
「交渉よ。ここから生き延びるために、あなた方と一時的な協力体制を要望するわ」
ソダールはアカリをじっと見つめた。
「その話、信じるだけの保証はあるか? 貴様が我らを騙し、ドラゴンの餌にしないという保証はないだろう。それこそ、我らを囮にする策の一つや二つ、あるのではないか?」
「考えたことは否定しないけど、不可能ね。さっきと逆。あなた方が喰われた後に、私も喰われるわ。ラーミナはそれだけの上位種なの。どっちの策をとっても、山を下りることはできないわ。私の考えでは、協力しなければどちらも生きていられない。これが結論よ。私の考えに異論があるなら、今すぐ言って」
ひと際大きな音が上の階から響いてきた。物理的に押されたわけでもあるまいに、全員がしゃがみ込む。
「三階が破られたわ。一階から出てこないことに痺れを切らしたみたいね」
一人落ち着き払った様子でアカリが喋った。
「早く決めて。でないと、何もできないまま仲良くラーミナの腹の中よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます