第169話 二分の一の勝率

 物理的な死が面前に迫る。

 右腕のアレーナを伸ばし、自分の体を移動させる。直後、背後でズンと腹に響く重低音。飛び散り、降りかかる小石から、顔を腕で守る。

 ごうと、私を吸い込むような風が吹く。必死でアレーナを地面に叩きつけ、上空へ向かって伸ばし体を宙に逃がす。

 面前をラーミナの尾が通過した。映画で電車に引かれそうになったところをかろうじて避けるシーンがあるが、まさにあんな感じだ。当たれば即死の質量が自分の体すれすれのところを通過していく恐怖は、命は奪わずとも神経を疲弊させて確実に寿命を削っていく。

「づっ?!」

 何が起こったかわからなかった。突然体がバランスを失って制御不能になり、地面を見ていたはずの視界は何度も天地を繰り返して、最後に背中に痛みと衝撃が走った。

 痛みをこらえ、飛びかけた意識をつなぎ止め、体を起こす。

 同時にひっこめたはずのアレーナに、ラーミナの尾がわずかに引っかかったのだ。たったそれだけで、私の体はカンフー映画の悪役みたいにぐるぐる回転しながら吹っ飛ばされたわけか。

 ラーミナの行動を注視しつつ、体の調子を自己分析する。打ち付けたのは背中だが、まっすぐ落ちたわけではなく、斜めに落ちたため衝撃は多少緩和されたようだ。痛みはするが動くのに支障はない。問題は右腕だ。引っかかったのはアレーナだが、それに引きずられて右腕が曲がってはいけない方向に曲がろうとした。折れてはいないが筋を痛めたらしく、動かすときに痛みと違和感がある。

 これは本格的にまずい。回避行動はほぼアレーナの力を頼ってきた。それが使いづらくなってしまうと、ただでさえぎりぎりになってきた回避が不可能領域に達してしまう。

 ぎりぎりになってきた、という事が、完全な誤算だった。最初はかなり猶予を持って回避できていた。ある程度時間が経ったところで、ラーミナの行動が変化し始めた。

 最初は気のせいかと思っていた。たまたま私の背後にある岩場に勢いあまって突っ込んでいるのだと。だが、それが何度も続けば、こっちだって理解する。

 ラーミナは私の動きを学習している。たまたまではなく、意図的にラーミナは岩場を破壊していると。それも、カルデラの縁に近いものは積極的に潰し、内側は多く残している。私が岩場を利用して躱しているのをラーミナが理解している証だ。内側なら、そこに逃げられてもカルデラからは逃げられない。縁に辿り着く前に追いつけると認識しているから。加えて、内側には私が利用できずラーミナが利用できる障害物がある。高温の源泉だ。さっきから、アレーナで飛んでも着地するペースがない。そのことまで理解して、ラーミナは私を追い詰め始めていた。

 恐ろしい学習能力だ。ドラゴン種は上位種になるほど知能が上がるというが、獲物をしとめるために周囲の環境まで利用するなんて。それも、周囲の変化や私の動きを見ながら即席で考えている。

 ラーミナの性質にも関係しているかもしれない。執念深く、相手を執拗に追い詰める性質は、必ず仕留めるという気概の現れだ。ただ餌を取るためだけじゃない、知性を持つ生物に与えられた感情をラーミナは有していた。

「人間だったら、団員にスカウトしたいところだわ」

 こちらに首を曲げるラーミナに毒づく。見合ったところで、戦況確認だ。状況はかなり劣勢。体力も無ければ、全身も痛い。万全の状態から比べて七割ほどのコンディション。高いのはモチベーションだけ。そりゃ、死んだら終わりなんだから高くもなる。

 モチベーションでどうにかなるほど現実が甘くないのも知っている。高いうちに考えるんだ。次の手を。

 左手でポケットを探る。最後の手だ。だが、最後の手を使う時は、逃走経路を確保しておかなければならない。最低でも、次の最後の手を考え付くまでの時間を稼ぐ必要がある。

 時間だ。今回は時間がキーだ。今、モンドたちが全速力で下山し、道具を揃えて運んでくれている。彼らが戻ってきてくれるまでの時間を稼がなければならない。ラーミナの猛攻を防ぎながら考えるのは実質不可能。右腕を痛めたことで絶対不可能になった。ならば、私が動かずに考えられるところにまで逃げなければならないが、そんな都合のいい場所、この何もないハゲ山にあるわけが。

「・・・ある」

 一か所だけ。だが、これも賭けになる。全て賭けだ。ここから逃げてそこまで移動できるかどうかも賭けだし、思いつく前にラーミナに殺されないかも賭けだ。

 結局全部の賭けに勝たなければ私は死ぬ。なに、たかが二分の一の確率で勝ち続ければいいだけだ。じゃんけんで勝ち続けるよりも確率は高い。もちろんそんな単純な確率の連続じゃないのは理解しているが、事ここに至れば後は私の嫌いな精神論だ。出来るか出来ないかじゃない。やるんだ。自分に言い聞かせて腹をくくる。

 周囲から、自分の位置と進むべき方向を確認。すると、私の様子の変化を察したか、ラーミナが警戒するようにまた舌をチロチロと出し入れしだした。

 私とラーミナが声も発さず身じろぎ一つもしない、ガンマンの決闘に似た状況。時が止まった中、限界を迎えたのは私でもラーミナでもなく、私たちの戦いのせいで傷ついた岩の一つだった。ゆっくりと崩れ、地面に落ちた。

 ラーミナと私は同時に動いた。ラーミナが雄叫びを上げながら突っ込んでくる。痛む腕をもう片方の腕で支えながらアレーナを伸ばして躱す。ガリガリと地面を削りながら、ラーミナがこっちに向かってUターンしてきた。先ほどよりもスピードが上がっている。仕留める気だ。アレーナで逃げた後、私の動きが鈍るのを奴は学習したからだ。逃げ続けられる苛立ちをこれで終わらせたいという意気込みが感じられる。

「そいつを待ってた!」

 ポケットから最後の手、閃光手りゅう弾を取り出し、投げつけた。

 夜を焼く光がラーミナの眼を眩ませる。甲高い鳴き声を上げながら、それでも止まれないラーミナが突っ込んでくる。アレーナを伸ばし、撤退方向に体を飛ばす。あとはもう、振り返らずに全力疾走だ。アレーナを併用しながらまずはカルデラの縁まで移動することに成功する。斜面を下る直前、敵の位置を確認する。

 ラーミナがこっちを睨んでいた。思い切りあかんベーを返してやる。怒りの咆哮と採掘作業の様な足音を背に、目的地まで一直線に駆け降りる。

 見えた。

 息を切らせながら、そこに飛び込む。着地し、ゆっくりと立ち上がる。

 多くの敵意と剣が突き付けられた。両手を上げながらそれらを見渡し、唇を舐める。

 さあ、確率二分の一、第二ステージだ。

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