第167話 強すぎる横槍

 火山が噴火したのかと思った。地面を揺るがし、空気を震わせる振動に、私たちは目の前に敵がいるのも忘れ、ただただ、その方向を見やった。そして、唖然と、あるいは愕然とした。

 大地を揺るがせたのは、陥没するほど強く踏みしめた四肢。

 空気を震わせたのは己が安らぎを破った不届き者たちに対する怒りの咆哮。

 威圧するように体を左右に振りながら姿を現したのは、一匹のドラゴン。

 上位種、ラーミナ。それも、ペルグラヌス、サルトゥス・ドゥメイを上回る脅威。

 鷲や鷹など猛禽類に似た頭に蛇のような長い胴体、四本の脚、蝙蝠羽を四枚持つ。特筆すべきは全身を覆う鱗だ。小さな一枚一枚の鱗は、通常であれば路面を補強するタイルのようにきれいにはめ込まれ、硬質さに表面の滑らかさも相まって生半な攻撃を通さない。だが、興奮状態に陥ると、その鱗が全て逆立ち、巨大なおろし器のようになる。事実、触れる物全てをえぐり取ってしまう。しかもだ。


 ジャアアアアアアッ


 私たちを睥睨していたラーミナが、体を震わせ始めた。

「全員退避!」

「退け! 岩陰に隠れろ!」

 私も敵指揮官も同じことを叫んだ。敵も味方もなく、一斉に岩陰へと飛び込む。私も何とか潜り込めた。次の瞬間。

 トタン屋根にゲリラ豪雨が降り注いだような音が鳴り響く。土煙が舞い上がり、頭上からは岩の破片が降り注ぐ。

 音が止み、恐る恐る物陰から顔を出すと、景色が一変していた。滑らかだったカルデラの表面が、見るも無残な穴だらけになっていた。ところどころに赤い肉片が飛び散っているのは、人間の一部だったものだ。

 ラーミナが逆立った鱗を放ったのだ。自らの古い鱗をこすり合わせ、デコピンで指を弾くのと同じ要領で鱗を飛ばす。威力はデコピンどころかショットガンよりも高い。人間を簡単に引き裂き肉塊にする。

「全員、無事ですか!」

 顔をひっこめ、自分の周囲を見やりつつ通信機に声をかける。離れた岩陰に狙撃手のテーバたちがいるのが見えた。私に向かって親指を立てている。狙撃部隊は全員無事という事か。他のみんなは、接近戦をしていたモンドやムトたちは無事なのか。まさか、あの肉片の一部は。

『こちらモンド、何とか生きてる』

 私と同じく最前線にいたモンドからの返答があった。

『俺も大丈夫です! 前に突っ込んだ皆も、ここにいます!』

 ムトが応えた。

『団長こそ無事ですか! 一番近くにいましたけど!』

「私は大丈夫」

 ほっと胸をなでおろす。幸い団員に死傷者はいなかったようだ。しかし、問題が無くなったことにはならない。むしろ悪化している。

 山の中腹で遭ったプースとムステの群れ。本来縄張りから出ないはずの群れが、そこから出るばかりか、こちらに襲い掛かってきた。理由はラーミナだったのだ。奴が縄張り内に現れたため、群れは恐慌を引き起こし、本能に従って逃げ出した。

 ラーミナの性質は資料で読んだ。好戦的で執念深い。一度自分の敵とみなした相手を決して許すことはなく、執拗に追い続けるとあった。

 もう一度陰から顔を出す。長い舌をチロチロと出し入れしながら周囲を見渡している。その長い鎌首がひょいとこちらを向いた。慌てて顔を引っ込める。

 私たちを探している。額に噴き出る汗を拭いながら次の手を考える。

 このまま隠れていても、いずれ見つかって八つ裂きにされてしまう。

 逃げるか、戦うか、早急に選択しなければ何も出来ずに死ぬ。

 戦うには、今の装備では心許ない。誘拐事件を解決するためにスピードを優先したため、カテナのような、ドラゴンを拘束するための武具は持ってきていない。現状の装備で勝つのはかなり厳しい。

 逃げるしかない。逃げるならどっちだ。私たちが目指すのはラクリモサ。そのラクリモサの方角は、ラーミナの後ろだ。物陰に隠れてやり過ごし、奴の背後に回れるか?

 視界の端で動きがあった。敵兵の数名が、私と同じことを考え、ラーミナの眼を盗んで移動しようとしている。隙を伺い、ラーミナが自分たちと反対方向に首を曲げた瞬間、走った。目指すはカルデラの縁。


 ジャアッ ジジャアアアアッ


 鎌首が、逃げようとしている敵兵の方へ向けられた。鱗が再び逆立ち、鳥類と爬虫類の中間のような三つ又の爪で大地を蹴立てる。距離は瞬く間に失われ、敵兵が気配に気づき、背後を振り返った時。彼が最後に目にしたのは暗闇。大きく開かれたラーミナのアギトだ。悲鳴さえも飲み込まれ、残ったのは膝から下の部分のみ。ラーミナが何度か口をもごもご動かし、ぷっと器用に吐き出した。見る影もなくへしゃげた真っ赤な鎧だった。

 即座に今の考えを切り捨てる。形だけじゃなく、眼も猛禽類並みに良かった。背後を取るどころか、下手に動くことすらできない。

 だが、彼らの行動は、無駄にはしない。通信機をつなぐ。

「テーバさん、聞こえますか」

 ラーミナの今の動きから推測し、一つの考えが浮かんだ。戦って勝つのは困難、ただ逃げるのも難しい。であるなら。

『どうした』

「フームスはまだ残っていますか?」

『ああ。あるぜ。人質助け出した後、敵を撒くのに使えるかと余分に持ってきておいた』

 彼の慎重さに感謝する。

「ありったけを準備させてください。ここから逃げます」

『大いに賛成だ。すぐにとりかかる。合図を待ってるぞ』

 次にモンドにつないだ。

「モンドさん」

『おう、団長」

「ラーミナから逃げるための策があります」

『教えてくれ。今の装備であんなのとやり合いたくはないからな』

 しかし、私の説明が進むにつれ、モンドの雰囲気が固くなっていくのが通信機越しでもわかった。

『団長、そいつは反対だ』

 彼の苦り切った顔が眼に浮かぶ。

『無茶が過ぎるぜ。それならここで戦った方が』

「いいえ、モンドさん、カテナもない状況では、奴の動きは封じられません。これが、最も高確率で全員逃げられる策です。今のラーミナの動きからして、すぐに鱗を飛ばせるわけではない。飛び道具がないのなら、まだやりようがあります」

『それでもだ。こんな作戦、皆反対するに決まってる』

「だからこそ、モンドさんにしか頼めません。お願いです。もう、時間がない」

『クソッ』

「モンドさん」

 しばらくの沈黙の後、モンドは言った。

『・・・了解した。団長に従う』

「すみません」

『謝んじゃねえ。クソ、やるよ、やってやる。その代わり団長、絶対成功させるぞ」

「ええ、もちろんです」

 決意は固まった。

「テーバさん、準備は?」

『いつでもいいぜ! さっさと逃げようや!」

 通信機を、全団員に対してつなぐ。

「これより撤退します。フームスを放ち、奴の視界を奪ったら、最短距離で山の縁へ。そこから迂回しラクリモサ方面の斜面へ、追いつかれないうちに下山してください。麓で合流します。では、五秒前から秒読み開始。・・・四、三、二、一」

 

「ゼロ」


 煙幕弾フームスがラーミナの足元に撃ち込まれ、勢いよく煙が立ち上る。ジャアジャアと喚くラーミアの全身が煙に包まれたのを見計らい、告げる。

「ラーミナの視界を奪った! 撤退開始! 全力で走れ!」

 全員が四方に散らばる。視界の聴かないラーミナは聴力で判断するしかないが、様々な方向から聞こえる足音のせいで迷うだろう。もし迷わなくても、こちらには考えがある。

 ここからが勝負どころだ。




 噴煙とは違う、真っ白な煙が徐々に晴れていく。ラーミナは身をよじり、未練がましく体の周りを漂う白を打ち払った。小さき者どもが、命惜しさに足掻いている。無様な足音を立てて、ラーミナから見ればゆっくりとした速度で山を下っていく。

 逃がさない。逃がすつもりはない。すぐさま追いつき、自分の安寧を破った不届きな輩を八つ裂きにする。身を翻そうとしたところで、はたと動きを止める。

 矮小な一匹が、こちらを見上げていた。ラーミナはゆっくりと首をもたげ、その小さき者を見た。己が身を見た、他の生き物が取る行動は逃げることのみ。しかしこの者は、小さき爪をこちらに向けた。

 歯向かおうというのか。小さき者が、絶対強者たる己に。

 ラーミナの鱗が逆立つ。この鱗のひとかけらでも当たれば消し飛んでしまう、その程度の脆弱さしかないのに、生意気な。

 しかし、その小さき者、人でありながら龍を討つ女は獰猛に笑った。

「根競べと参りましょうか!」

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