第165話 当たり前のように、またねが言えたら

 地面に着地し、周囲を警戒しつつ抱えていた二人を道端で休ませる。

「団長!」

 丁度坂道を駆けあがってきたモンドたちと合流できた。

「大丈夫か!? 悲鳴が聞こえたんだが」

 団員たちの視線が息も絶え絶えなアンと気を失っているイーナに向けられる。

「こちらのご婦人がフェミナンオーナーだったな。それで、こちらは無事か?」

「ひどいケガですが、命に別状はないと思います。でも出来るだけ早くプラエさんに見せた方が良いでしょう。そちらはどうですか? 被害は?」

「全員無事だ。だが、すぐに追手がかかる。急いでギース達のところまで行こう。この娘は俺が運ぶ」

 そう言ってモンドがイースを担ぐ。

「ありがとうございます。・・・アン、走れる?」

「何とか」

「無理はしないで。厳しくなったらすぐ頼って」

「うん、その時はよろしくね」

「「「お任せください!」」」

 私が答える前に、私を除いた団員一同が、それはもう元気な返事をした。まだ、諦めていなかったのか。

「頼りにしてますわ」

 アンが笑顔で応えると、これまで見たこともないほど団員たちに気合が入った。良しとしよう。これで皆のモチベーションが保てるなら。

「出発しましょう。テーバさん、先導をお願いします。皆はアン、モンドさんを囲んで襲撃に備えて。私が最後尾を行きます」

 テーバから順に出発していく。後方を警戒しながら、私は最後に駆け出す。


「皆、無事だったか」

 ごつごつした岩場の陰に隠れていたギース達が、私たちの接近に気づき姿を現す。山頂付近はほのかに明るく、そして山頂にも関わらず温かいを通り越して熱い。中心に向かって曲線を描く大きな窪み、カルデラの中心付近にぼこっと飛び出した小さな山から赤いマグマが見えている。その周囲にはところどころに湯気が立ち上る温泉があった。温泉と言っても温度は四十度を軽く超え、人がリラックスできるものではなくなっている。このマグマと湯気のせいで、湿度と不快指数が高くなっているのか。こんな場所で待っていたからか、ギース達は額に汗を滴らせている。

「ジュールが周囲の偵察を行っている。もう間もなく戻ってくるはずだ」

「ありがとうございます」

 言いながら背後を振り返る。現在追手の影はない。しかし、微かに行軍の靴音が聞こえた。人質を連れている私たちの足よりも自分たちの方が速い事を理解しているから、準備してからでも追いつけると踏んだのだろう。隊列と装備を整えて、こちらに向かっているに違いない。

「団長」

 偵察に行っていたジュールが戻ってきた。

「退路は確認できた。今いる場所の丁度反対側から一直線で下りれば、やつらの馬車が置いてあった元の麓だ。坂道もそこまで急じゃないから、夜道でも気をつければ進めるだろう。ただ」

 一旦ジュールは言葉を切った。

「山頂から麓まで、遮蔽物がほぼない。だから上から狙われたら隠れられない」

 弓矢でも銃でも、下から上を狙うより、上から下を狙った方が威力も高いし狙いやすい。飛び道具だけじゃなく、そこらの石や岩を落とされてもかなり危険だ。そして、相手が山頂に到着する前に、私たちの足では麓まで降りることはおろか、射程外まで逃げ切ることも難しい。中途半端に退けば一方的にやられる。

 逃げ切れないのなら、迎え撃つ。

 以前の撤退戦のように、圧倒的な人数差ではない。しかも周囲は身を隠せる岩場がゴロゴロある。ゲリラ戦で相手を出し抜き、上手く立ち回れば、相手が岩と温泉とマグマで遠回りしている間に一方的に打撃を加えられる。

「プラエさん、イーナさんの容体は?」

 岩場にもたれさせたイーナを見ていたプラエが腰を上げる。

「ケガは大したことないわ。でも、問題は栄養が足りないことね。多分、まともな食事をさせられてこなかったんだと思う。だから傷の治りも遅いし衰弱してる。出来るだけ早く栄養を取らせて、ゆっくり休ませた方が良いと思う」

 考えるのは一瞬。すでに用意していた選択肢から決める。

「相手を迎撃します」

 やることが決まれば、後は行動あるのみだ。

「ギースさん、アンたち非戦闘員を連れて先に降りてください。プラエさんはイーナさんを袋の中に。ジュールさんは先導をお願いします」

「了解だ」「わかったわ」「任せとけ」

 ギースたちが頷く。

「麓の馬車は好都合ですね。そのまま拝借して運用しましょう。馬車でラクリモサまで向かってください。通信機が通じる距離になったら宿に残っているボブさん、ゲオーロ君に医者を用意するよう連絡してください」

「わかった。無事に送り届けたら、すぐに戻ってくるからな。無理はするなよ」

「はい。ギースさんたちも道中気を付けてください」

 撤退準備を始めたギース達から、今度は迎撃対応の団員たちの方へ向く。

「私たちはテーバさん主導で、向こうの動線上に罠を仕掛けます。出来るだけ相手を一か所にまとめられるよう誘導しましょう」

 そうして固まったところを叩く。

「おっし、じゃあこの山の窪みに誘い込むようにするか」

「頼みます。ムト君、相手の様子を窺ってください。カウントダウンと、接敵時に敵をおびき寄せる役目です」

 通信機を渡す。彼は大事そうに胸に抱えた。

「わかりました。任せてください!」

 ムトが見下ろせる場所に駆けて位置取った。

「・・・時間が惜しい。皆さん、よろしくお願いします」

 団員たちが罠を片手に散開していく。

「アカリ」

 撤退前のアンがこちらへ小走りに近づいてきた。

「気を付けてね」

「ありがとう。さ、早く逃げて」

「ラクリモサで待ってるから。まだ話したいことがたくさんあるの」

「私もよ。また後で」

 学生の時の、次の日に会うのが当たり前のような別れ方を経て、戦場へと目を向ける。




 逃げた人質たちを追って、今回の潜入任務の責任者であるソダールは歩を進めていた。何者かは知らないが、おそらくフェミナンが雇っていた傭兵団であろうが、味な真似をしてくれる。人がほとんど立ち入らないからこそ築くことのできた砦を発見することもさることながら、陽動に加え、壁を破壊して最短距離で人質を救出してのけたのだ。敵ながら見事な手際だ。

 だが、このまま良いようにやられてやるわけにはいかない。多くの仲間を犠牲にしながら、ようやく得た『火種』なのだ。

 長年の調査の結果、アウ・ルムのスパイを取り仕切っているのが、フェミナンオーナーであるアンだという事が判明した。考えてみれば、これほどうってつけの人間はいない。リムス中に支店を持ち、傭兵も商人も、果ては貴族まで相手にする娼婦たちは、閨で様々な情報を得ている。どれほどお堅い男であろうと、彼女らの前ではついつい口を開いてしまうだろう。いや、そんな男ほど弱音を吐きやすい。

 アウ・ルムには、他の四大国に比べて特に秀でている物がない。ラーワーには高品質の鉱物が、ヒュッドラルギュルムには五大国一の規模の軍が、カリュプスは肥沃な大地が、アーダマスには金山による潤沢な資金がある。

 だが、アウ・ルムは情報を駆使して、他四大国と渡り合い、時に出し抜いてきた。近年で最も大きな戦果は、魔導国プルウィクス王家に、貴族の娘を嫁がせたことだ。この事で傾きかけていたパワーバランスが拮抗に戻り、滅亡の憂き目を回避した。思い起こせば、フェミナンが各地に支店を出し始めたころとプルウィクス王家の結婚は時期が一致する。他にも様々な事件の裏にフェミナンが関わっている可能性があった。

 スパイ行為の事実が明るみになれば、アウ・ルムの弱体化はもちろん、それによって崩れたパワーバランスが戦乱と混乱を巻き起こす。

 我々の悲願は、その先にある。

「ソダール隊長」

 部下の一人がまもなく到達する山頂を指さした。薄闇の中、山頂の一部がほのかに赤く灯っている。マグマの明かりではない。もしマグマがあんな場所まであふれていれば、こちらに流れてくる。だとすれば考えられるのは。

「敵の偵察か」

「おそらく」

 僥倖だ。まだ敵は遠くまで逃げ切れていないらしい。慣れぬ山道、ただの市民であるアンには辛いだろう。彼女の足に合わせれば、致し方ないことかもしれない。

 一度ぶつかった際、敵の人員や力量は大体わかった。手際も良さから見てかなりの精鋭ではあるが、陽動を用いたことからも人員はさほどではない。おそらく、こちらと同等かそれ以下。

「待ち伏せを警戒しつつ、進軍するぞ。各員盾構え」

 窪みに身を伏せ、射程距離に入った途端矢の雨を振らせてくるかもしれない。高所からの矢は威力が倍増する。

 しかし予想に反して、矢の雨も落石もなく、ソダールたちは肩透かしを食らった。警戒しつつ窪みから顔をのぞかせた部下が見たのは、一目散に窪み中央へ走っていく敵の偵察だった。

「ただの物見か?」

 相手がこちらの想定通りの精鋭であるなら、逃げ切れないのはすぐに理解したはず。てっきり迎撃を考えていると思ったが。一番足の速い者を置いて、こちらとの距離を測るだけか。肩透かしの後は拍子抜けとは。まあいい。敵がたいした者であろうとなかろうと、やることは変わらない。気を取り直し、ソダールは部下に指示を出す。

「行くぞ。このまま追撃、相手のケツに食らいつく」

 カルデラへと入り、一直線、最短距離で反対側へ向かう。奇しくも敵の偵察兵が通った道をそのまま辿ることになる。周囲を警戒しながら進んでいるソダールたちに向かって、石が投げ込まれる。

 やはり潜んでいたか! ソダールは盾で石を防ぐ。部下もそれに倣い、奇襲に備えて盾を構える。

 続けて攻撃が・・・ない。警戒は解かず、飛んできた方向や落ちた石を見る。

 拳よりも一回り大きなその石が、眩い閃光を放ちながら破裂した。

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