第161話 ティゲル・ナビゲーション

 迷いなく進んでいた狩猟犬テレサが、ふいに足を止めた。吠えてこちらを呼ぶ。走って駆け寄ると、テレサは地面を嗅ぎ、そしてまた吠えた。

「すまん団長。ここで匂いが途切れているみたいだ」

 吠え声からテレサの言いたいことを察したテーバが、申し訳なさそうに頭を掻く。ランタンでテレサが嗅いでいた辺りを屈んで照らすと、土が抉れているのに気づく。

「これは、馬車の車輪跡か」

 覗いていたジュールが言った。ここで馬車に乗せられたから、匂いが途絶えたのか。

「ですが、馬車を使ったとなると、使う道は限られるはずです」

 立ち上がり、向かったであろう先を照らす。ラクリモサから西に延びる街道は、アーダマス国境付近の砦まで繋がっていて舗装されている。何も問題なければ馬車で半日の距離だ。

「砦に真っすぐ向かったとは考えられんな」

「ええ。砦の警備隊の検問で引っかかります」

 ギースの意見に頷く。フェミナンオーナーの顔はラクリモサのみならずアウ・ルム中に知られている。砦の警備兵も気づく可能性が高い。誘拐犯たちもそのことを承知しているから、リスクを減らすために砦から国境を超えるのは避けたいはず。

 それに気になるのは、誘拐犯たちは誰の命令で動いているのか、だ。五大国の一つか、またはどこかの虐げられている小国か。それによって、向かう先が変わってくる。

「ティゲルさん」

「はい、何でしょう~」

 危険が及ぶ場所に同行させたくはなかったが、地理に疎い私たちが捜索するには彼女の知識が頼りだ。

「この辺りの地理はわかりますか?」

「少し前の地図の内容なら、見た記憶がありますねぇ。大きな変化がなければ、多分、大丈夫です~」

「誘拐犯の行動を推測してみます。そこに当てはまる道を教えてください」

「やってみます」

 彼女が目を瞑る。

「犯人は、途中まで馬車に手移動します。ですが、国境前の砦は通れません。犯人としては、可能な限り早く国境を越えたいはずなのです」

「ふむふむ」

「おそらく、途中で馬車を放棄し、徒歩にて移動を開始すると思われます。その時犯人だけでなく、アンを連れて行かなければなりません。アンは我々のように遠征に向いた格好はしておらず、体力もあまりない。連行するにも手間が掛かる。時に担ぎ上げたりしなければなりません。なにより、他人の眼には触れたくない。以上の条件で、誘拐犯が逃走するのに適した道はありますか?」

「そ~でぇ~すね~」

 しばらく考えた後、ティゲルが目を開いた。

「候補が一つあります。街道をこのまま五キロほど進むと、三叉路に突き当たります。中央はそのまま砦へ。北に向かう道は確かアウ・ルム領の一つ、オレウムという農村です。上質の油が有名ですね。南はユグム山に続いていたかと。超えた先は、コンヒュムという国です。可能性が高いのは、このユグム山を越えてコンヒュムに向かう道だと思いますよ。ユグム山はそれほど標高がある山ではありませんが、人は好んで近づきませんしね~」

「なぜです?」

「なんでも、死んだ人がいるほど滅茶苦茶臭いらしいので~」

「死ぬほど臭いって、どんな匂いか逆に気になるんだけど」

 プラエが呆れたように言う。他の団員も同じような調子で眉唾物と断じている。だが、おかしな話じゃない。東には源泉が多いのだから、硫黄も多い。臭い匂いの正体は硫化水素、一酸化炭素と同じで、濃度が高ければ死に至る。

 だが、硫化水素が高い濃度を保つにはいろいろ条件があるはずだ。でなければ温泉などおちおち入っていられない。硫黄が多ければ濃度が高いのは当然だが、それ以外では無風であったり空気が溜まりやすい盆地であったりと、硫化水素で人が死ぬ為の条件は意外に多い。また、濃度が高いと鼻がマヒして匂いがしないと聞いたことがある。だから、臭いのはまだマシで、硫化水素が発生する場所では匂いがしない方が怖いという。

 犯人がそれらことを知っているのなら、利用しない手はない。隣国に繋がっていて、人目もない、まさにうってつけの道だ。

「決まりですね。ユグム山方面に向かいます」


 ティゲルの記憶通り、三叉路があった。そのまま南下していくと、風に乗って微かに卵の腐った匂いが漂ってきた。団員たちもその腐臭に顔をしかめ辟易している。顔に布を巻きつけマスク代わりにしても、気持ち程度しか楽にならない。

 道がなだらかな坂道を描き始めたころから、木や草といった植物の量が減っている。活火山の近くは火山ガスのせいで植物が育たないから、こうしたハゲ山になるらしい。

「団長、アレを」

 テーバが指さした方向には、馬を繋いだままの馬車が止まっていた。音を立てないように近づく。私、モンド、ムトが前衛で、後衛をジュールとテーバが固め馬車の幌の前に立つ。全員に目配せし、一気に幌を上げてランタンで照らす。

 誰もいない。馬車の中には人も物も、何もなかった。

「テーバさん、プラエさん」

 仕掛けがないことも確認してから、二人にチェックしてもらう。テレサは硫化水素の匂いをものともせずアンの匂いを嗅ぎ取り、魔道具も同じ結果を出した。

「間違いなく、アンはこの道を進んだみたいですね」

 山道が険しいためか、馬が嫌がったか、それとも別の理由かわからないが、犯人は馬を捨て、徒歩で山を越えることにしたようだ。

「アカリ、もう一つ報告。この馬車にはアンオーナー以外に、六名分の匂いが残っているみたい。馬車の中に五名と、御者台に一名分、それぞれ違う成分が検出された」

 魔道具の検査結果をプラエが見せてくれた。

「どこかで合流してたら話は変わると思うけどね」

 途中で合流するか、迎えが潜伏しているか。ともかく六名以上いると分かっただけでも良しとしよう。

「よし、では追跡を」

 再開、と言おうとしたところで、妙な音を耳が拾った。私だけでなく、他の団員たちも同じように拾ったらしく、辺りを見回している。

 やがて、ごごご、と低い音が腹に響き始め、馬たちが落ち着きなく嘶いた。

 瞬間、大地が鳴動した。

「地震?!」

 ラーワーの時に続いて二度目。あの時はスライムが原因だったから、今度は正真正銘の自然災害だ。

 立っていられないほどではないが、足元がぐらつくというのは精神衛生上あまり良くない。すぐに収まったが、何とも言えない、嫌な空気が残る。

「ティゲルさん。ユグム山の噴火の記録とかわかりますか?」

 山を見上げながら尋ねる。

「噴火、ですか~? ええと、はい、一応あります~。記録上では、五十年前に一度あります。それよりも過去は、戦争により記録等が紛失したかで不明ですが~。それが、どうかされたんですか~」

 五十年前に一度か。何十年も噴火しなければ、その火山の活動は休止したと考えるのは早計か。大地の活動を人間の尺度で測れない。大地にとっての少しの休みは人間にとって何十年、何百年単位だ。

 硫黄が出ている時点で活火山なのはわかっていた。もしかしたら五十年は、再び噴火する丁度いい期間かもしれない。

「火山付近の地震は、噴火の予兆かもしれないのです」

「噴火、ですか?」

 口に手を当てて大げさにティゲルが驚く。あまり驚いているように見えないが、彼女なりの驚愕の仕草だ。

「地震と火山は密接に関係している、みたいな話を聞いたことがありますから」

「ちょっと待ってくださいよ。もしかして」

「すぐにどうこう、という事はないと思いますが」

 全員が、今から登ろうとしている山を見上げる。日中であればなんてことない山道なのに、暗闇も相まって不気味さを醸し出し、私たちを飲み込もうと待ち構えているように見える。

「急ぎましょう」

 地震がもたらした空気と、噴火するかもしれないという未来に対しる不安を振り払うべく、私はなるべく声を強く出した。

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