第160話 デッドライン

 シャワラを護衛がてら、私たちはフェミナンに戻ってきた。日は完全に落ちたが、歓楽街は日中のように明るい。ある意味幸いだ。明るければ、痕跡も探しやすい。全員で店の周囲を調べたが、特に追跡につながるような、関係のある痕跡は見つからなかった。残念だが仕方ない。相手も、証拠を残すようなへまはしないか。

「これで大丈夫ですか?」

 そう言って店からシャワラが持ってきたのは、アンの私物だ。衣装に香水、バッグなどが、私たちの前に並ぶ。あとはこれが頼りだ。

「大丈夫です。・・・では、お願いします」

 私が促すと、プラエとテーバがアンの私物の前に立つ。

 プラエは以前にも使った匂い成分を追跡する魔道具だ。改良を加えて、以前よりも精度が上がっている。

 そしてテーバが連れているのは、真っ白な毛並みの大型犬だ。日々コツコツと訓練した結果、狩猟犬として成長した。あとは実践あるのみだそうだ。

 現在、アンの行方は知れない。無作為に探しても私たちの人数で広範囲を探すのは無理だし非効率だ。魔道具と狩猟犬の力を借りて、ポイントを絞って追跡する。

「テレサ、覚えたか? よしよし、いい子だ」

 狩猟犬の頭を撫でながらテーバがこちらを向いて頷いた。プラエの方も魔道具に匂い成分を覚え込ませたようだ。

 誘拐された場合、犯人の目的は大まかに分ければ二種類考えられる。

 一つは営利目的の場合。誘拐した対象の関係者に対して金銭を要求する、ドラマでよくある一般的な誘拐事件だ。

 もう一つは、直接、間接問わず、誘拐した人間自体に価値がある場合だ。例えば優れた学者を誘拐すれば強力な兵器を作らせることが出来る、という風に。

 今回の場合、後者が当てはまると考えられる。営利目的ならリムス最大の娼館オーナーであるアンは脅迫される方であるし、犯人の狙いはアウ・ルムのスパイの情報のはずだ。今日会うはずだった本物の使者を殺して成り代わっていることからもほぼ確実。

 スパイを探し出すよりも、スパイを管理する人間をどう探し出したのかわからないが、犯人は彼女の持つ情報を欲している。聞き出すまではアンの身に危険が及ぶことはない。

 犯人も、そのことは承知しているはず。ならば彼らが取る手段としては、安全圏まで退避し、拷問。もしくは、何らかの魔道具によって情報を抜き出すことだ。もし今回の犯人が、私たちが度々ニアミスする連中の仲間であるなら、自白剤のようなものを作りあげているかもしれない。

 先日の護衛依頼から一転、今度は捜索依頼とは。人生はバラエティに富んでいると皮肉りたくなる。

「出発します。テーバさん、先導をお願いします」

「おっしゃ。テレサ、初陣だ。気合入れてけ」

 テーバが手綱を取ると、テレサが地面の匂いを嗅ぎながら前進していく。

「では、シャワラさん。手はず通りにお願いします」

 声をかけると、彼女は硬い表情で頷く。

 シャワラには、いくつかのお願いをしておいた。

 まず、アンが救出されるまではシャワラを含めた全スタッフに、店で待機してもらう事。まだラクリモサ内部に偽物の使者の仲間がいるかもしれず、アンを救出できても誰かが人質になってしまったら再び脅されてしまう。フェミナンにはスタッフの安全のために傭兵が在中しているから、彼らにとっても一か所にいてもらう方が守りやすいだろう。

 そして、万が一私たちが今日を含めて三日経っても帰ってこなかった場合、彼女にはラクリモサ領主の元に事情を説明しに行ってもらう。この件に関して、シャワラが疑問を持った。

「すぐに知らせなくていいんですか? 団長の予想通りなら、これはアウ・ルムの危機なのでは?」

 彼女の意見も一理ある。

「仰る通りです。国の危機に繋がります。でも、だからこそすぐに報告するのは避けたい。出来れば、私たちで解決したいのです」

「どういう意味ですか?」

「いくつかの理由が考えられるのですが、そうですね。今すぐにこの事を報告するとします。すると、逆に戦争が起こります」

「え、どうして?」

「アウ・ルムに限らず、多くの国家は今、リムス中にスパイを放っています。どれほど秘密裏に事を運んでも、彼らに今の情報が漏れる可能性がある。スパイ活動は、どこの国もやっている公然の秘密ではあるのですが、それでも表向きは平和な世の中なので、秘密になっています。もしこの事でアウ・ルムがスパイを色んな所に放っていることが本当に公になればどうなるか。アウ・ルムはこの平和を脅かす危険な国家だと、残りの四大国から袋叩きに遭います」

「そんな、皆やっていることが、表に出ただけなのに?」

「皆がこそこそやっていることと、それがばれた時とは話が変わります。秘密は、あくまで秘密なのです。表に出れば、それは秘密ではない。事実であり、叩く理由なのです」

 週刊誌のすっぱ抜きと同じようなものだ。ばれれば騒がれ叩かれる。そこに至るまで何があったのか、その真相は知られないまま。

「また、たとえ彼女が貴族御用達の要人であっても、貴族ではないから兵を出すのは渋られるでしょう。事情は明かさずに探してほしいとラクリモサ領主に頼んで、よしんば兵を借りられたとしても、スパイはそういう動きを見逃さない。何かあったと邪推し、事情を探りにかかる。すると今度は事情を知っているあなた方に危険が及ぶ可能性がある。ラクリモサの力は借りられない。秘密を保持するという観点から、他の傭兵団の力も同様です」

 ゆえに、助けを求めるのは最終手段になる。そのラインを明後日の夕方とした。これは、ミステリー小説で誘拐から四十八時間がデッドラインだと書いてあったのを思い出したからだ。確かに、四十八時間あれば隣国に逃げ込める。今が夕方六時。四十八時間後の夕方までに、アンを救出し、ここに戻ってこなければならない。

 フェミナンが遠ざかり、テレサがラクリモサの門を通り過ぎようとしている。やはり、彼女は領外に連れ去られたようだ。

 このまま単純な追跡を続けるわけにもいかない。相手の行動を推測しながら最短距離を行かなければ追いつけないのだ。

「気分はメロスね」

 日が沈み、真っ暗な街道を進みながら独りごちる。違う意味で、アンには横っ面を張られるかもしれない。彼女の大事なスタッフに金貨五百枚を吹っかけたのだから。だが、その未来を目指して私は進む。

 ランタンの照らす先にそれがあるようにと、柄にもなく願いを込めて。

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