第159話 トロッコ問題の理想の最適解

「依頼者を連れてきた」

 ギース達情報収集組に囲まれて現れたのは、先日フェミナンで会ったシャワラだ。あの時と同じような服装だが、様子がおかしい。髪や服装は乱れ、口元や手には赤い痕がある。一目で問題抱えてます、とわかる姿だ。

「何があったんですか?」

「歓楽街で暴漢に襲われていたところを我々で救出した。話を聞くと、どうもこのお嬢さん、団長に用があるとのこと。なので、ここまで護衛してきた」

「そういう事ですか。ちなみに、暴漢は?」

 彼らの実力なら、その男も連れてこれると思ったのだが、一緒にいるのはシャワラのみで、そいつがいる様子はない。

「すみません、団長」

 一緒に行ったムトが頭を下げる。

「取り押さえる事には成功したのですが、そいつ、いきなり泡吹いて死んじゃったんです」

「多分、毒だな」

 ジュールがムトの説明を捕捉した。

「口の中、例えば奥歯とかに毒を仕込んでいて、いざとなったらそれを飲む。自分の情報を拷問で取り出されないようにしたんだろう」

「待ってください。ただの暴漢が自決用の毒なんて仕込むわけないですよね」

 きな臭いを通り越して、危険レーダーが反応し始めた。想像以上の問題が持ち込まれている、そんな予感がする。そして、これまでの経験上、悪い予感は当たる。

「ああ、団長も気づいた通り、そんなことすんのは暗殺者とかスパイだ」

 暗殺者が、ただの娼婦を襲うはずがない。何らかの事件にシャワラは巻き込まれているのだ。

「とりあえず、依頼者の話を聞いてみたらどうだ?」

 ギースが促す。その通りだ。推測の前に、まずは全ての情報を取り込んでからだ。宿に金を払い、奥を貸し切る。怯えの為か震えるシャワラを椅子に座らせ、温かいお茶を差し出す。

「ゆっくり飲んで」

「いえ、その前に話をっ!」

 それが何より優先すべきこと、という気概でシャワラが椅子から立ち上がりかけた。肩を押さえて押し留める。

「焦るのはわかるけど、飲んで、まずは落ち着いて。でないと、大切なことを見落とすわ。焦っている時ほど平常心を心掛けて」

 渋々、シャワラがコップを受け取り、ふうふうと冷ましながらお茶を口に含む。

「・・・苦い」

 顔をしかめて、シャワラは可愛い舌をちょこんと垂らした。ふむ、小型ドラゴンの肝を煎じた物だが、改良の余地ありだな。滋養強壮に良いのは判明しているのだが。体に良くても、不味ければ買い手がつかない。プラエに軽く目配せしておく。

 しかめっ面のまま、それでも出された物を残すのはマナーが悪いとでも思ったか、シャワラは一気にお茶を飲みほし、ふうと大きく息をついた。

「落ち着いたようね」

「はい。ありがとうございます」

 顔つきからも怯えが緩和されているのがわかる。残ったのは理知的な眼だ。アンも彼女に色々と指示をしていたし、かなり信任の厚い優秀な部下なのだろう。

「では、最初から話してくれる?」

 神妙な顔でシャワラが頷いた。

「本日、マムには面会の約束がありました。そのお客様が何者かまではお聞きしていませんが、マムの対応からしてかなりの要人、もしくはその使者であったと思われます。しかし、今日はどうも様子が違いました」

「いつもと違う?」

「はい。約束の時間よりも早く現れたり、マムを直接どこかに連れて行こうとしたり。いつもなら、お店で少し話して終わりなのに」

 今思えば当然です、とシャワラは言った。

「本物は、すでに殺されていたのです。私が襲われた路地裏の奥に、男性の遺体が転がっていました。暗がりでしたが、顔や服装が似ていましたから、多分間違いないと思います」

「本物に成り代わって、アンを連れ出したわけね?」

「はい」

 彼女が気づいたのだから、おそらくアンもその男が偽物だと気づいていたはずだ。なのについていったという事は、おそらく脅されていた。

「マムは、新店の雑用という事で私にこれを預けあなたに渡すよう言っていました」

 シャワラは大事に抱えていた黒い手帳を私に差し出した。B5ほどの手帳だ。受け取り、めくって中身を確認する。

「名簿、かな?」

 手帳の中身は、人の名前とプロフィールが記載されていた。家族構成、売り上げ、現在の勤めている店の名前などなどだ。後半にはよくわからない文章の羅列と、最後のページは単語帳と化している。何かのメモ書きだろうか。なぜこんなものを私に渡すように言ったのだろうか?

 アンは無駄な事はしない。私にこれを渡したという事は、これが彼女にとって守るべきものだという事だ。

「シャワラさん。アンは他に何か言っていなかった?」

「確か、見つけてもらわないと、クラスメイトのモヤシみたいになっちゃうわ。と」

 全員が何のことかと首を捻る中、背筋が粟立った私はこれが誘拐事件だとほぼ確信する。

 彼女と私にしかわからない内容だ。モヤシは私たちをここに送り込んだ張本人であるが、その前は自殺したと思われていた。見つけてくれないとモヤシみたいになるというのは、見つけてもらえないと死んでしまう、という彼女のメッセージなのだろう。しかし、それが手帳とは結び付かない。

「他には何か言っていませんでしたか?」

「ええと、『えいたんご』のテストとショーン・コネリーとダニエル・クレイグに憧れた、と。それをそのまま伝えて、と言われました」

 どういう意味だ? えいたんごは、おそらく英単語の事だと思うが、その後のショーン・コネリーとダニエル・クレイグが繋がらない。

「そのまま伝えて・・・そうか」

 気づき、シャワラに頼む。

「シャワラさん。アンが言ったことをもう一度、全て彼女が言ったままに思い出してもらえる?」

「え? あ、はい。わかりました」

 その時のことを思い出すよう、シャワラが目を瞑った。そして深く息を吸い、記憶と照らし合わせながら彼女が口を開いた。


『その中に、今度出店する新店舗に必要な物が書いてあるの。これを見つけてもらわないと、私がクラスメイトのモヤシみたいになっちゃうわ、と渡すときに伝えれば、急いで用意してくれると思うから。後、英単語の小テストの必勝法を覚えてる? 世界中にいるショーン・コネリーとかダニエル・クレイグに私は憧れたのよ。・・・これはそのまま伝えて。良いわね?』


「以上が、マムが私に手帳を渡すときに話していたことです」

 お役に立ちましたか? と彼女が心配そうに私の顔を伺う。もちろん、と頷き返し、再び手帳を開く。

 前半は、自分はおそらく誘拐されるだろうという事。そして後半は、普通なら話の繋がらない会話に聞こえる。多分これは、二つの意味があるからだ。

 英単語の小テストの必勝法は記憶力だ。そのことをつい先日、資格の取得あたりの話で少し触れていた。彼女曰く、記憶はすぐに消えていくから、定着させるのが肝だと話し、定着させるには意味を持たせると良いそうだ。語呂合わせが良い例で、ただの単語ではなく何らかの物語を付随させると、その単語を忘れても他の物語の部分から思い出せるらしい。

 そして、ショーン・コネリーとダニエル・クレイグ。言わずと知れた二人の映画スター、共通点は、二人とも同じ役という点だ。007。世界でもトップクラスのスパイを演じている。この事から、スパイということを強調したいという事だろう。世界中のスパイ、という意味になる。

 なるほどな。何となくわかってきた。

 営利目的の誘拐であるなら、アンではなく他のスタッフ、例えば目の前にいるシャワラを誘拐して、アンを脅迫する。誘拐するのはアンでなければならなかったのだ。

「シャワラさん。その男は、アンとどのような会話を?」

「申し訳ありません。距離が離れていたので、とぎれとぎれでしか聞こえなかったんです」

「それでも構いません。言ってみて」

「『オキデンスの機嫌が』とか『メディウム』とか、そう言った言葉を口にしていたかと」

 オキデンス。メディウム。両方とも、単語帳に記載されている。オキデンスの隣に西、メディウムの隣に中央。他の単語も、全て隣に意味らしきものが書いてある。置き換え表みたいなものだ。ここまで判明すれば、名簿の後半に書いていた意味不明の文章と単語帳が意味を成してくる。

 名簿、記憶力、スパイ。繋げて考えると、答えはこうなる。

 この手帳の正体は、世界中に散らばるアウ・ルムのスパイの名簿だ。

 しかし、この手帳だけでは誰がスパイかはわからない。彼女がつくった記憶するための文章を解読して初めて意味を成す。彼女が手帳を手放したのは、自分の命を守るためでもある、ということか。この手帳の内容を私に教えたのは、自分が死んだ後の事を考えたに違いない。私は元の世界に帰る話を彼女にした。そのための情報を集めていることも。これは、万が一のことがあったら私に処分の依頼と、報酬代わりにスパイを探し出して情報を得るように、という意味なのだろう。

 確実に厄介な依頼だ。敵はスパイの正体を暴こうとしているのだから、他国のスパイに他ならない。それこそ、これまで陰謀のたびにちらちらと見え隠れしていた因縁のある相手かもしれない。これまでは何とか潜り抜けた。しかし、次も上手くいくとは限らない。王女の護衛依頼では、それこそ命と全滅の危機に陥った。

 アンを助けたいというのも偽らざる本音だ。せっかく出会えたクラスメイトを見捨てたくはない。自分の死んだ後のことまで考えている彼女に一言文句も言ってやりたい。だがこれは私の私情、我儘だ。それにつき合わせてもいいのか。

 トロッコ問題だ。一人を助けるために、全員を危険に晒すのか。

「行こう、団長」

 ポンと背中が押される。

「ギースさん」

「迷うことはない。お前の団だ。私たちは、お前の指示に従うぞ。いつも通りな」

 ギースがくいと指差す。その方向では、団員たちが力強く頷いている。そうだ。彼らはドンバッハ村の領主を救出するときも、同じように私を後押ししてくれた。それだけじゃない。何度も何度も助けてくれている。彼らの優しさに甘えよう。トロッコ問題も、団員たちの前では形無しだ。彼らなら自力でトロッコを破壊して生還してくれる。その力量を信じる。

「プラエさん、テーバさん。お願いがあります」

「はいはい?」「ん? 何だ?」

「追跡用の準備をお願いしても良いですか」

「了解」「わかった」

「シャワラさん。あなたにお願いしたいことが二つあります」

「は、はい!」

「一つ、アンの私物を用意してください。もう一つ。こっちが重要です」

「な、何でしょうか」

「報酬です。私たち傭兵はタダで動きません。なので報酬は必ずいただきます。報酬の確約を」

「わかりました。おいくらですか」

「金貨五百枚でどうです? もちろん必要経費は別途請求します」

「ごっ!?」

「払えませんか? 要人の救出費用としてはそう高くないと思いますが。それとも、あなたにとってアンは金貨五百枚の価値もないと?」

 この前の意趣返しではないが、少々意地悪をしてみた。彼女がどう返答しようと救出にはいくつもりだ。

 シャワラは二、三度深く呼吸して、覚悟を決めた。

「・・・払います。払いますとも! どんなに時間がかかっても絶対に払います! だから、絶対マムを助けてください!」

 いい返事だ。ブラックジャックもこういう気分だったのだろうか。そして、ブラックジャックと同じで、私も絶対、なんて約束はできない。でも、言うしかない。

「ええ。必ず彼女を助けます」

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