第158話 誘拐現場の一部始終

「どなた?」

 シャワラから来客の知らせをドア越しに聞いたアンは、身支度を整えながら返事した。

「申し訳ありません。マム。本日お会いする約束をしていた者と言えばわかる、とおっしゃられて、お名前までは」

 わかったわ、と返事を返して、アンは思考を巡らせる。確かに今日、名前を聞けない相手との会談が予約されている。今自分が準備しているのもその会談に必要な物だった。

 だが、約束の時間はもう少し後のはず。

「少し、待合室でお待ちいただいて」

 時間を作るべきだとアンは判断した。これまで彼らが時間を違えたことはない。いつもと違う事が起きたなら、何か理由があるかもしれない。念には念を入れる。痛いほどこの世界で学んだことだ。

「そ、それが、お急ぎだからと・・・あ、お待ちください!」

 焦るシャワラの声を押しのけて、彼女のノックとは違う、荒々しくドアが叩かれる音が響いた。その反響が消えるかどうかという短い時間で、ドアが勢いよく開かれる。

「まあ、返事もしていないのに。ノックの意味がないわね」

 ドアノブを握る男を見ながらアンは苦笑した。動じたところを見せないように装う。いつも会う使者だ。だが、様子がおかしい。何がおかしいと聞かれたら返答に困ってしまう。顔も背格好も何もかもがいつもと同じなのに、違和感というか、まとっている空気というか、何かが違うのだ。

「申し訳ありません」

 シャワラが使者の後ろから頭を下げる。

「あなたが謝ることはないわ」

 彼女から、男に視線を移す。

「お約束の時間はまだ先だったはずです。お急ぎとのことですが、何かありましたか?」

「はい。オキデンスの機嫌が悪いので、いち早くアン様にご助言いただきたく参上しました。時間が早すぎるのはわかっていたのですが、矢も楯もたまらず駆け付けた次第で」

 約束通り、決められた隠語を使っている。考え過ぎだろうか。だが、どうしても胸の内から不安がぬぐえない。

「なるほど、左様ですか。それならばお急ぎになるのも無理はありませんね。わかりました。お話を伺いましょう」

 席を促すが、使者は座ろうとしない。

「私だけでは対応しきれない場合もありますので、どうか一緒にメディウムまで来ていただけませんか?」

 不安の度合いが一気に高まった。これまで一緒に来てほしいなど一度もなかった。

「私のようなものがご一緒してもよろしいのですか?」

「何をおっしゃる。これまでのアン様のご活躍を知らない人間は、このラクリモサにいません。あなたの力がどうしても必要なのです」

 男がすっと手を差し出し、アンの肩に触れた。

『動くな』

 頭に使者の声が響く。驚いて男から離れようとしたら、使者の指が食い込みアンを逃がさない。

『動揺するな。声も上げるな。後ろの女に気づかれないように、自然に振舞え。そうだ、いつものように余裕の笑みを浮かべて、ついていくと答えろ。下手に騒げば、お前だけでなく、後ろの女の命も消える』

 男の口は笑みをかたどったままだ。おそらく魔道具によって声を直接耳か頭に届けている。骨伝導みたいなものだろう。言われた通り自然な態度で、肩にある使者の手に自分の手を添えて言った。

「わかりました。微力ながらご協力させてください」

『それでいい』

 口ではありがとうございますと明るい声を出し、頭には傲慢さを隠そうともしない、相手を意のままに動かしているという優位者の声が響く。

「ただ、ご一緒する前に少々こちらの雑用を片付けさせていただけますか?」

「もちろんです」

 そう言いながらも、使者の眼に警戒の色が浮かぶ。余計なことはするなと頭の中の声が念押ししてきたので、もちろんという顔で頷く。

「すぐに終わります。お店の事でお使いを頼むだけですから。シャワラ、ちょっといいかしら?」

 彼女を呼び寄せる。近づいてきた彼女に、アンは自分の手帳を渡した。

「これを、私の友人に渡しておいてほしいの。仕入れを頼もうと思っていたのを、すっかり忘れていたのよ」

「ご友人に、ですか」

 シャワラが怪訝な顔をする。

「ええ。サキからも『友達に渡しておいてね』って言われてたのに、すっかり忘れていたわ。年を取るって嫌ね。忘れっぽくなっちゃって」

 一瞬ハッとした顔をするシャワラに構わず、アンは話を続けた。

「その中に、今度出店する新店舗に必要な物が書いてあるの。これを見つけてもらわないと、私がクラスメイトのモヤシみたいになっちゃうわ、と渡すときに伝えれば、急いで用意してくれると思うから。後、英単語の小テストの必勝法を覚えてる? 世界中にいるショーン・コネリーとかダニエル・クレイグに私は憧れたのよ。・・・これはそのまま伝えて。良いわね?」

「はい。かしこまりました。マム」

 返事をするときは、すでにいつもの良い笑みを浮かべて、シャワラを胸に手帳を抱きしめる。

「頼んだわよ。じゃ、私はこれから少し出かけるから」

「お気をつけて、いってらっしゃいませ」

 彼女の声を背に、使者に促されるようにアンはフェミナンを後にした。


 アンが使者と共に外出したのを見送って、シャワラはすぐに行動を開始した。

 パニックになりそうな頭を、深呼吸で何とか落ち着かせる。

 サキは、昨年亡くなっている。その彼女から何か言われるなんてことありえない。そのことはアンだって良くわかっている。では何のためにサキから、なんて言ったのか。

 考えられるのは、先ほどの使者のせいで真実を伝えることが出来なかったということだ。なぜ伝えられないのか。理由は単純、あの男が本当の使者ではないからだ。

 先ほどの使者は偽物だとアンは気づいた。応援を求めたい。しかし、下手に騒げば自分たちに危害が及ぶ。だから使者にわからない話題を用いて、応援を連れてくるように頼んだのだとシャワラは解釈した。

 そして、アンが言った友人とはおそらく。シャワラの脳裏にその顔が浮かび、胸の内に嫌な感情が渦巻く。それも一瞬、アンの一大事かもしれない時だと自分に言い聞かせて、シャワラは店を出た。夕暮れ時で、街が次第に薄暗くなっていく。

 暗くなる世界が、アンがどうなるかわからない未来を暗示しているようで、シャワラは恐怖に飲まれようとしていた。不安が彼女の足を急がせる。大通りを抜け、宿屋が立ち並ぶ通りに向かって曲がろうとした、その時。

「っ!」

 突如、口を塞がれる。大きな手だ。引きはがそうにも、体はがっしりとした太い腕が背後から絡みつき身動きが取れない。なす術なくシャワラは通りにいる多くの人間、開店準備を始める食堂の店主や、これから出勤するどこかの店のスタッフたちの誰にも気づかれぬまま路地裏へと連れ込まれる。

「騒ぐんじゃない」

 野太い声が、シャワラの耳元で発された。

「やはり、あの女狐は小細工を弄していたか。店を監視していて正解だったな」

 まさか、こいつも?! 驚くシャワラの視線に気づいて、彼女を拘束する男は笑った。

「お察しの通りさ。大人しく、オーナーから何を頼まれたのか教えてくれれば命までは取らない。だが」

 体に回された手や腕の力が強まる。顎が強く押され、外れるか砕かれるかしそうだ。

「わかるな?」

 力が緩み、男が尋ねる。きっと、男はシャワラを生かすつもりはない。用を終えたら、そのまま殺すに決まっている。だって、彼女の目の前には一人の死体が転がっている。さっき自分たちの前に現れ、アンを連れて行ったはずの使者だ。やはり、あの使者は偽物だった。

 涙が知らず流れてきた。恐怖と、アンに対する申し訳なさと、自分のふがいなさのせいだ。アンから頼まれたことを成すこともできず、このまま男の言いなりになるしかないのかと思うと、自分の無力さに涙が止まらない。せめて、この手帳を守らなければ。

「さ、まずは預かった物を出せ」

 男の命令に、シャワラは無言でせめてもの反抗を示した。しかし、その反抗心を容易く折らんとばかりに、男の手に力が込められる。息ができず、どころか呼吸さえできなくて、シャワラは必死で藻掻く。しかし男の腕はびくともせず、逆に体の骨が軋む。

「その態度はいただけないな。俺も可愛い女の子を傷つけたくないんだが、仕方ない」

 言っている言葉とは対照的な、嗜虐的な声が弾む。

「これ以上時間はかけられんのでな。その大事に持っている物をいただいていくとしよう」

 手に込められている力がさらに強まる。自分の細い体など、男の剛力の前には枯れ枝も同然なのだろう。体がきしむ音を聞きながら、シャワラはかたく目を瞑り、最後を覚悟した。

 ―申し訳ありません。マム―

「おい」

 シャワラの耳に、また別の男の声が届いた。かとおもいきや。体を締め付けていた力が緩み、突然シャワラの体は自由になった。不足していた酸素を一気に取り込むあまり、しゃがみ込んで激しくむせる。違う涙でぬれた瞳がとらえたのは、自分を取り押さえていた男が、数人の男に取り押さえられている様子だった。

「大丈夫か」

 そのうちの一人、杖をついた男がシャワラに向かって手を差し出した。

「この辺りは治安が良いと聞いていたが。例外はあるものだな。しかし、運が良かった」

「ありがとう、ございます」

 差し出された手を握ると、強いが、先ほどの男とは違う、こちらを気遣いながら込められる力で引き上げられる。

「気にするな。それより、代わりと言っては何だが」

 傭兵団アスカロン相談役、ギースはにやりと笑った。

「何か儲け話はないかな? お嬢さん」

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