第156話 禅のような時間
「あなたも、地獄を歩いてきたのね」
私の話を聞き終えたアンは、ゆっくりとそう口にした。
互いに無言の時間が続いた。ただそれは、居心地の悪いものではなかった。私にとって、この沈黙は必要だった。
アンに話して聞かせていたつもりだったが、これは自分の過去を振り返る時間になった。駆け足で走ってきた七年。そして沈黙の時間は、自分を掘り下げる、などと言えば大げさになるが、自分にとっての優先順位や大事なことを改めて認識する時間となった。これは、アンにとっても同じではないだろうか。
時間も場所も違う、選択した道も違うけれど、彼女がその道を懸命に走ってきたのがわかる。多分、これが共感というやつなのだろう。彼女も同じ気持ちではないだろうか。
計ったように、二人同時にお茶をすすった。頭や胸に沸いた思いや考えを一緒に飲み込み、肚に落とす。
「これから、あなたはどうするの?」
アンが問う。
「当面は、仲間の仇を追うことになるかな。インフェルナム討伐が目標ね」
「それだけ?」
「というと?」
「ドラゴンを討伐することだけが、仲間の仇を取るのとイコールにはならないんでしょう? まだ、目標はあるのではなくて?」
わざわざぼかして答えなかったところを、彼女は突いてきた。
「警戒するのはわかるわ。私にも、なんだかんだで貴族筋にはパイプがある。アウ・ルムだけでなく、カリュプスにもね」
私が答えるまでもなく、気づいていたようだ。
「怖い顔をしないで。カリュプス側にあなたの動きや目的を漏らすつもりなんてないから。そもそも、言っちゃ悪いけど、カリュプスにとってその程度、どうでもいい些事よ。大国に恨みを持つ者がどれほどいると思ってるの? そんなのをいちいち気にしていたら国は回らないわ。数多の恨みつらみを踏みつぶして、大国は成り立っているのだから。そして、それらを跳ねのけるだけの実力を有している」
そんなことは分かっている。けれど、止まるつもりはない。少なからず、憎しみを抱くことが推進力になってもいるのだし。
「あなたの行動を否定も邪魔もしないわ。せっかく生きて会えた昔のクラスメイトに恨まれたくないし、殺されたくもないからね。むしろ、応援しても良いくらい」
想定外の言葉に、険しくなっていた自分の眼が大きく見開かれた。
「応援?」
「ええ。カリュプスには、店を一つ潰されているからね」
そうか。ラテルにも、フェミナンの支店があった。
「傭兵が多く集まるから、比較的リーズナブルな値段設定で通常営業のみのお店だったんだけど、売り上げとしては上位に食い込んでいた良店よ。常に生死と紙一重の場所にいる傭兵は、子孫を残そうという本能が強くて、かなりリピートしてくれていたみたいでね」
「間接的に、アンもラテル事変の被害者だったわけか」
「本当の被害者であるあなたを前にして、被害者面は恐れ多いけどね。そういうわけよ。幸いにもスタッフは全員無事だったけど大損害を被った。最初はラテルを恨んだけど、本当の犯人があなたの話でわかったから」
彼女の眼が鋭く尖り、口元は笑みをかたどった。
ラテル事変は、表向きはラテルが悪者となっている。しかし真相は全くの逆だ。道理で、ラテル事変を詳しく聞きたがったわけだ。
「じゃあ、復讐を終えた後のことも考えているの?」
「復讐の、その後のこと?」
「そう。当面は、ってことは、それらが終わった後のことも、考えているんでしょう?」
事実その通りなのだが、言葉の端々から内面を読み取られて少し驚く。もともとアンは優等生だったが、人生経験を重ねて有能さに更に磨きがかかっている。フェミナンの業績も納得だ。元の世界に戻ったら、ぜひ経営者の道を歩んでもらいたい。
「元の世界に戻る方法を探すわ」
「戻れるの? ・・・そうか、私たちをここに送り込んだあの男、正体は安田祐樹だったのよね? 自殺したって言われてた」
アンは、モヤシが正体を現す前にリムスに飛ばされてしまったから、その後教室で起こった顛末を知らなかった。私の説明に驚いてはいたが、どこか納得したように一つ頷いた。「風紀委員だった私は、恨まれても仕方ない」と皮肉気な笑みを浮かべて。
「モヤシ、安田は、ここで三十年戦い続けて、元に戻る方法を見つけたって言ってた。だから、私もそれを探して、元に戻るつもり。そういう情報を集めたり、集めるために各地を移動しやすいから、傭兵になった部分もある」
「そっかぁ、なるほどね」
感心したようにアンは頷いている。
「アンは、戻りたいって思わなかったの?」
「考えないようにしてた、かな。それを考えることは、多分絶望とワンセットになったと思うから。忙しさと時間の流れの中に、そういう思いは全部埋めた」
彼女の言う事もわかる。昨日までの生活とは一変しすぎて、体も心も追いつかないのだ。漠然と思い描いていた未来は崩れ去り、明日をもしれない非日常な日常に放り込まれ、理不尽の中で生きる。絶望し、死を選んでもおかしくない。
だから、アンは腹をくくったのだ。生きると決め、これまでを捨て、自分をここに適応させた。考えないようにしたと本人は言ったが、考える暇もないほどに、過酷な道を歩いてきたのだろう。改めて、偉大な先輩を尊敬する。本人に言ったら「同級生でしょう?」と嫌がるだろうから、言わないが。
「じゃあ、もし元の世界に帰る算段が付いたら、一緒に戻る?」
今度は私の方から訪ねてみた。
「一緒に、かあ」
「もちろん、今は何も手がかりを得られてない状態だから、期待はさせられないけど」
「そうねぇ」
アンが顎に手を当てて思案していたところで、ドアがノックされる。「どうぞ」と彼女が言うと、最初に来た時に案内してくれた女性が顔を出した。確か、シャワラといったか。
「マム。お話し中の所、申し訳ございません。そろそろオープンの時間ですので、お声がけさせていただきました」
「あら、もうそんな時間?」
部屋の時計を見ると、すでに六時を過ぎていた。
「楽しい時間が過ぎるのって、本当に早いのね。アインシュタインは正しかったわ」
すっと立ち上がる。私もつられてソファから立ち上がった。もっと話したいが、こういうのを見ると、今はお互い立場も抱えている物も違うという事を認識する。
「じゃあ、私はこれで失礼するよ」
「ごめんなさいね、アカリ。私から誘ったのに」
「良いの。気にしないで」
「まだ、この街に滞在するのよね?」
「ええ。依頼の有無にもよるけど、最低でも十日は滞在する予定だから」
「また連絡してもいい?」
「もちろん」
「次に会う時までに、今の質問の答えを考えておくから」
シャワラに私を出口まで案内させるよう申し付けて、アンは己の戦場へと戻っていった。
「どうぞこちらへ」
私はシャワラに案内されて、元来た道を辿る。店の出口を開けてもらい外に出る。歓楽街に並ぶ店先では、ぽつぽつと提灯が灯り始める。不夜城が目覚め始めたようだ。
「本日はお越しいただき、ありがとうございました」
後ろで、シャワラが綺麗なお辞儀をしていた。振り向き、こちらも礼儀として挨拶を、と思って、やめる。なんとなく、だが。シャワラからはあまり友好的ではない雰囲気が漂っている。今の挨拶も、最初に受付で対応してくれた時とは違い、突き放すような言い方に聞こえた。気のせいかもしれないが。
その勘は、多分当たっている。ゆっくりと顔を上げた彼女の眼は、笑みが張り付けられた口元とは違い笑っていなかった。なぜだろう。何か失礼をしただろうか?
形だけの挨拶を何とか返して、その場をすぐに離れた。背中に、シャワラの冷たい視線が向けられているのがわかる。良い一日になるはずだった最後の最後で、妙にしこりの残るケチがついた。もやもやを抱えながら、私はアスカロンが滞在する宿に向かう。
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