第155話 駆け抜けた異なる空の下
「それから、一体どうなったの?」
下世話な記者のように私が欲しがると、アンは片側の唇を少し吊り上げた。
「つきっきりで手ほどきさせていただいたわ。領主のプライベートと名誉に関わってくるので、詳しくは言えないけど。そうね、ラクリモサ領主夫人は、少し童顔で幼い感じがしたから、私とは別の、ちょっと小悪魔的な、言葉等で焦らせたりするアプローチ方法をメインに、相手が限界に達しそうなところで母性や優しさを見せて甘えさせるようにアドバイスしたの。後はマンネリにならないようにいくつかのパターンを覚えて領主の様子、今日の機嫌や体調に合わせるようにすればいい、ってね。結局のところ、SEXは相手がいてこそなのだから、相手の事をきちんと知って考えて、今自分ができる最上の愛し方を実践するのみだと思うから」
「そして、今もラクリモサにフェミナンが存在するってことは」
「ええ。領主夫妻の仲睦まじさは誰もが知るところよ」
この一件が、フェミナンの運命を変えた。ラクリモサの後ろ盾が出来ただけでなく、思わぬ副業を生み出したのだ。
フウミュ・ラクリモサがラクリモサ領主を虜にできたのは、フェミナンで性の技を学んだおかげだという噂がアウ・ルム内に広がった。アウ・ルム中の貴族令嬢たちが、こぞってフェミナンの門戸を叩いて教えを請うようになった。そこでアンは、夜は通常通り男性を相手に営業し、日中は女性相手にレッスン校を開講した。ここでも、ギャルたちから没収したファッション誌が活躍したらしい。ファッション誌の中ほどに、心理学を用いた相手をその気にさせる女の仕草特集が組まれていて、それを教本にして授業を行ったらこれまた上手くハマった。心理学のアプローチ、ミラーリングやら秘密の共有、パーソナルスペースに入る手法は、年齢を問わず教えることができ、すぐさま実践できる。年代が違おうが世界が変わろうが、いつだって女性は愛や恋に関する興味が尽きないのだ。
こうしてレッスン校は面白いくらい繁盛した。男性を虜に出来る技が学べる、というだけではなく、学んでいる間貴族の身分を忘れられる解放感を楽しんでいるようだとアンは語った。
「表向きはね、やっぱりここは身分の高い人間が来るところじゃないし、来ることは恥に近いものになる。だから、彼女たちは人目を避け、お忍びでやってくる。これまで自分の屋敷の外に出たことがない子たちにとって、外界、それも普通であれば絶対に足を踏み入れない場所に来るのは、お化け屋敷のような怖いもの見たさのワクワク感と背徳感、そして親の目を盗んでいるっていう、ちょっとした秘密を抱え込んだ高揚感がある。それが、社交界で話のタネになって、いつしか、ここに学びに来るのが彼女たちの一種のステータスになった」
予約は常に一杯で数か月待ちになった。そんなに待てないと有力貴族たちがパトロンとなり、アウ・ルム首都にすぐさま二店舗目を開業。その後もとんとん拍子に業績を上げていき、気づけば二十年以上の時が進んでいた。本店、支店合わせて各地に三十店舗。抱えるスタッフ、従業員は千人を超える。売り上げは時に小国の国家予算を越えるほど。名実ともに、フェミナンはリムス最大の企業となった。
「世が世なら、歴史に残っても、自伝を出してもおかしくないわね」
話を聞き終えた私は、彼女の濃密な過去に圧倒され、思わずソファに沈み込んだ。
「そういってくれるのは嬉しいけど、ここに至るまでに犠牲もあったわ」
犠牲という言葉と、悲し気なアンの表情を見て、察する。
「早紀はどうしたの?」
彼女もまた、フェミナン創設者の一人だ。話には出てきたが、まだ姿を一度も見ていない。生きていれば、彼女もアンのように出世しているはずだが。
「彼女は、病気で去年亡くなった」
空気が一気に重くなった。
「ゴメン」
浮かれていた自分を恥じる。この世界で普通に生きることの困難さは、自分が良く知っていたというのに。
「ううん、謝ることじゃないわ。それに、早紀は多分、幸せな方だと思う。身請けしてもらったから」
「身請け、って結婚?!」
「ええ。もう十五年前になるのかな。娼婦という身分も気にしない、優しくて良い人に巡り合って。店も軌道に乗ったし、もともと早紀は、あまり体が丈夫な方じゃなかったから。彼女の為にも、良いタイミングで引退出来たんじゃないかしら。子どもも一人生まれて、短いけど、幸せな結婚生活を送ったわ」
この時は、お葬式を上げさせてもらったわ。そう言うアンはほっとした表情を浮かべていた。
「家族や私、他にも店の仲間たちで盛大にお見送り出来て良かったわ。本当に良いお葬式だった」
美也子が亡くなった時、アンは葬式を上げることが出来なかった。自分も生きるのに必死だったとはいえ、友人の遺体を弔う事が出来なかったことは、彼女にとって情けなさと後悔で満ちていたことだろう。
二度目の別れで、大切な友人を弔えた事は、言い方は変だが彼女にとって余程嬉しかったに違いない。亡くなった者に対して生きている者が最後にできるのは、悼み、きちんと弔ってあげる事と、覚えていてあげる事だけだ。
「いつの間にか、こっちでの生活の方が長くなって、大勢の仲間や部下を得て『マム』だなんて呼ばれるようになってた。これが、私の二十七年」
そして、これからも年月を重ねていくのだろう。そう、アンは締めくくった。
「私の話は、一旦これでお終い。本当はもっと話したいことがあるんだけど、それはまた今度。次はあなたの話を聞かせて?」
壮絶な半生を聞かされた後に、私の七年はちょっと話しにくい気もしたが、いいやと首を振る。私の事はともかく、世話になった皆のことを恥ずかしがる理由はない。むしろ誇るべきだ。
私を団長として支えてくれる、アスカロンの皆。ガリオン兵団の死んでいった皆、そして、上原。彼らの事を、きちんと口に出して話そう。そして、改めて思い出し覚えておこう、頭と胸に刻んでおこう。
私が今、生きて戦えている理由を。
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