第153話 クレーム

 昼間、開店準備を行っていたフェミナンに突然武装した兵隊が押し寄せた。強盗か、と雇った傭兵たちが迎え撃とうとして、剣を抜く手を止める。彼らの異変も、アンはすぐに納得した。装備を見れば、アウ・ルム軍に支給される鎧を纏う兵士だったからだ。威圧感は放ちつつ、すぐにこちらを襲ってこないのも強盗ではないと判断した理由にあげられる。

「ラクリモサ守備兵の方とお見受けしますが、何の御用でしょう?」

 傭兵たちを下がらせてアンが尋ねると、中央にいた一番年かさの男、おそらくは隊長がアンに向けて言った。

「娼館フェミナンの責任者はいるか?」

「私です」

 本当は自分と早紀だが、もしもの時に備えて自分のみという事にした。出てこようとした早紀を、アンは視線で制止する。そのことに隊長は気づきつつも無視した。

「責任者のアンです。ずいぶんと物々しいご様子ですが、何かありましたか? 税は支払っているはずですが」

 それ以外に、店に兵士が押し入ってくる理由がわからなかった。税が払えず店や土地を失うのはどこの世界でも同じだ。その辺の経理関係もアンはきっちりしていた。

 訝しむアンに向かって隊長の口から飛び出したのは、思いもよらぬ言葉だった。

「この店に、反乱罪の容疑がかかっている」

「どういう事でしょう? 私どもは日夜命を削って働く殿方の活力の為、一時の夢を売っているだけです。反乱など、口に出すのもはばかられるようなこと、考えたこともありませんわ。そもそもこのラクリモサがなければ、私たちは商売すらできず飢えてしまいます。お世話になっている場所に迷惑をかけるような真似を、私たちがするとお思いですか?」

「そんなことは、わかっている」

 苦虫を潰したような顔で隊長は言った。どうも、彼にとって、この行動は不本意なもののようだ。見れば後ろに控える兵たちもむつかしい顔をしている。こちらに対して憤りを感じているわけではなさそうだ。それもむべなるかな、何人かの顔を、アンはカウンセリングで見たことがあった。自身が一夜を共にした者も見受けられた。

 となると、とアンは思考を巡らせる。

「どなた様のご用向きでしょう?」

 彼らの本意ではないというなら、彼らの上に立つ者の指示だ。その何者かの個人的な用件で、彼らは駆り出されたに過ぎない。

「我らからは説明できない」

「では、説明できる方の元へ連行される、という事でしょうか?」

 重々しく隊長が頷く。

「行く前にお尋ねしたいのですが、私が大人しくついていけば、紳士的な皆様は店の者に手出しなどはしませんよね?」

「抵抗しなければ、誰も害する気はない。用があるのは責任者だけ、という命令だ」

 貴族制の社会では、権力者の気分一つで人の命が簡単に奪われる。額面通りに受け取れない。だが、連れていかれるまでの時間は、この言葉通りだと推測する。

「わかりました。お伺いします。ただ、少しだけお待ちいただけますか」

「馬鹿な真似は考えるなよ」

「元より愚かな私に、そんなことを考える余裕も知恵もありません。身支度を整えさせてほしいだけです。女の身支度は、少々時間がかかるものですので。高貴な方にお会いするのに、化粧もなしでは失礼に当たりましょう」

 手伝ってくれる? と早紀を呼び寄せ、バックヤードに入る。

「アン、大丈夫なの? 私も一緒に行った方が良いんじゃ」

「いえ、ここを守る者が必要よ。いざとなったら、店の金と皆を連れて逃げるための準備をしておいて」

「逃げる算段をするって、どういう意味? 何かあるっての?」

「おそらくだけど、反乱罪ってのは口実だと思う。私たちを呼び出したのは貴族、それもかなり高位の相手よ。そういえば、最近お忍びで来る貴族が何人かいるわよね?」

 彼らの内の誰かか? いや、とアンは首を振る。彼らがこの店を敵視する理由がない。それは、早紀も同感のようだ。

「ええ、服装とかお付きの者とか、明らかに高い身分ってわかる人間がいるわ。でも、でもね。こういう店に来る貴族は、こんな強硬な事をするような、いかにも傲慢貴族って感じの人はいなかったと思うんだけど」

 彼女の言う通りだった。わざわざ娼館に通わなくても、本来の貴族的気質の持ち主であれば、金で女を買うなどということはしない。プライドが許さないのだ。自分は、女一人なびかせられないほど家にも自分にも魅力がないと思われたくないから。女を買うのは、彼ら風に言えば低俗な行為に他ならない。

 ゆえに、ここを利用する貴族は、少し自分に自信がない、もしくは自信をつけることを目的とする小心者が多い。

「客本人ではなくとも、その身内が許さなかった、という事かもしれないわ」

 推測を口にする。本人は小心者でも、身内がそうとは限らない。息子が娼館通いをしていれば、先ほどの理由から周囲にとっては弱みになるだろう。息子に対する情けない気持ちが、生き馬の目を抜く貴族社会で致命的な弱点を作ってくれたことも相まってフェミナン憎しに変わってもおかしくない。

 隊長が、呼び出した相手の名前を告げなかったのもその辺りが理由だ。可能な限り表沙汰にしたくないということだろう。

「そんなの、なおさら一人では行かせられないわ。何されるかわかったもんじゃない。最悪命を奪われるかもしれないのよ?!」

「でしょうね。でも、チャンスでもあるかもしれない」

 貴族と顔を合わせるなんて好機、そうそうあるものじゃない。

 店を構えた。売り上げも少しずつ伸びている。ラクリモサでトップの娼館になるのも時間の問題だ。

 だが、今回の様にちょっとした横槍で営業を脅かされる。今日を何とか乗り切ったとしても、またいつ同じような難癖をつけられるかわからない。

 問題は、後回しにするべきではない。クレーム対応の基本だ。ここで根本から潰す。

「悪評でも評価は評価、名前を知られているという点では変わらない。そして、評価は人間が下すもの。たった一手で印象は大きく変えられるものよ。化粧と同じ」

「でも」

 不安の拭えない早紀の肩に手をやり、アンは微笑んだ。

「大丈夫。上手く話をつけて戻るわ。だから、あなたはいつも通り、開店準備をお願いね。でも、もしもの時は、皆をお願い」

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