第152話 スクラップ・アンド・ビルド
「ここに来たことを、呪わない日はなかったわ」
二十七年前の当時を振り返った時、笑顔のアンが語るのは絶望に満ちた苦難の日々だ。
「見知らぬ土地で、頼れる人はいない。金もない。食料もない。家もない。しかも当時のラクリモサは今よりも治安が悪くてね。若い女は格好の獲物だった。私たちはリムスに着いて五分後には訳も分からず組み敷かれて、見知らぬ男たちの慰み者になっていた」
気づけば男たちはいなくなっていて、剝ぎ取られた制服を抱き寄せて体に巻いた。現実感がなさ過ぎて、涙すら出なかったと彼女は言った。そんな彼女に、かける言葉は見つからなかった。
「足元に、何枚かの銀貨が落ちていたわ。その頃の娼婦は、道端で声をかけて、路地裏でさっさと行為を済ませ、手早く何人もの男を相手にするっていうスタンスだったから、多分、現れた私たちの事を娼婦と勘違いしたんでしょう」
金を落とすだけまだ良心的だったわね、と笑って済ませて良い話じゃない。聞いているだけでその自分勝手な男どもに怒りと殺意が沸く。反対に彼女には同情するし聞くだけで悲しくて悔しいけど、何とかそれを口に出さずにねじ伏せた。当の彼女が、そういう同情や憐憫を拒絶しているように思えたからだ。下手な同情、共感は、逆に相手を傷つける。
「私たち?」
アンの言葉に引っかかりを覚えた。そうだ、確かあの時一緒に教室を出ていったクラスメイトがいる。
「他のクラスメイトはどうしたの?」
「大井美也子と柿沼早紀のことね。美也子は、襲われた翌日死んだわ。自殺した」
声すら出せなかった。女の尊厳を踏みにじられ、命まで奪われたクラスメイトと、それを目撃した彼女の心情など、到底計り知れるものではなかった。
「よほどショックだったんでしょう。あの子はさっきあなたが言ってたような潔癖さを持っていた。男に触れられただけで虫唾が走る程のね。錆びたナイフで手首を切って、私と早紀が気づいた時には血だまりの中、真っ白な顔をして倒れていた。墓なんか立てられないから、城壁の外に彼女の亡骸を二人で運び出した。そこら辺に転がってる廃材で、四苦八苦しながら穴を掘って埋めた。最初は二人ともずっと泣いていたんだけど、掘るだけの単調作業を繰り返してたらそのうち何も考えられなくなって、涙も枯れてた。胸から悲しみが尽きたら、代わりに恐怖が満たされてきた。土を被って見えなくなっていく美也子の姿に、これが悪い夢でも幻覚でもなく、現実で、自分の未来だと突き付けられた。このままいけば次は自分の番だ。次の日、早紀と話をした。ここで生きていくしかない。そのためには金を稼ぐしかない。でも、この街に私たちを雇ってくれるところなんてなかった」
今よりも働く女性は少ない時代。コネもなく、資本もなく、明日を生きる食い扶持すらなかった彼女たちが、生きると決断し、可能な限り早く金と等価交換できるものは、己の身一つのみだった。
「娼婦として生きるって決断は、意外と早くできたわ。死の恐怖に勝るものなどなかなかないってのは本当ね。失うものが何もないってのも大きかった。その日から早紀と二人で体を売りながら生活を続けた」
食事以外は可能な限り節約した。成長期に栄養不足になれば体が成長しないし、何より病気になる。医食同源をその時だけは妄信した。誰も住んでいない廃屋がいくつか存在し、間借りして、寒いときは二人で寄り添って過ごしたという。
「運が良かったのは、新学期最初に持ち物検査をしたでしょう? その時に没収した化粧品やヘアカラーなんかを持ったままだったの」
その他持ち込めたファッション雑誌類数点を参考に、池の水面に映る自分の顔を見ながら化粧をして、髪の毛を染めた。
「その時も私、馬鹿みたいな思い込み持ってたんだって気づいたわ」
何か失敗談を思い出したのか、アンは苦笑を浮かべた。
「馬鹿な事? アンに限って、そんなことないんじゃない?」
そう言うと彼女は首を横に振った。
「校則で化粧とか、髪の毛を染めることを禁止してたでしょう?」
そういえば、と思いだす。夏休みデビューで金髪にしていた何人もの学生がその持ち物検査で止められているのを横目に見ていた。
「娼婦になって特に強く実感したのは、見た目はかなり重要ってこと。だって、客の数が化粧前と化粧後で違うのよ。それで気づけたの」
今となっては意味のない話になるんだけど、とアンは前置きした。
「社会人になったら、化粧してないのがマナー違反になるのよ。自分の顔は相手が一番にチェックするから、それが出来ないのは社会人として失格だとかファーストインプレッションが人脈を作るとかなんとか。でも、学校では化粧すること自体が校則に引っかかる。これ、今思えばなかなかのトラップよね」
「言われてみれば、確かにそうね」
「で、校則の言い分は、ざっくり言うと風紀を乱すから。これじゃあ、確かにあの子たちが守らないのも無理ないわ。納得できないもの。せめて、派手にしすぎると似合わないし可愛くないから、なら多分皆校則を守ったと思う」
「本人に似合うものなら可、ってことね」
「そうそう。と、まあそんな感じで、ここでの生活は、私を形作っていた常識とかそういうものが木っ端微塵に砕け散って、そのかけらを組み立て直す生活でもあったのよ。毎日が必死だったから、恥じ入っても穴に入る暇がないのはある意味幸いだったかもね。そうして五年くらいかな。ノウハウを身につけ、私たちは自分の店をオープンした」
「経った五年で店を、しかもアウ・ルム第二の都市で」
彼女がどれだけの努力を重ねてきたかがわかる。尊敬の眼差しで見ていると、少し照れたようにアンは顔の前で手を振った。
「七年以上傭兵団を率いているあなたほどじゃないわ。あなたの様な戦闘技術と違って、私たちにはこっちでも使える知識を持ってたから。それが大ハマりして、一気に人気に火がついたのよ」
「使える知識?」
「特殊プレイよ」
どうにも、リアクションに困る。
「分かりやすいのがSMプレイ。いまだ男尊女卑が色濃く残るリムスでかなり意外なんだけど、攻められて喜ぶ殿方はかなり多いわ。もしかしたら、男尊女卑が残るからこそ、だからかもしれないけど。他にも赤ちゃんプレイ、声がメインの耳舐めプレイ、コスチュームプレイ、デートだけの恋人プレイもあるわね。そういえば一夜限りの貴族なりきりハーレムプレイは、傭兵に人気だわ」
かつての自分の上司、今は亡きガリオン兵団のラスもフェミナンの常連だった。もしかしたら彼も、特殊プレイにドハマりしていたのかもしれない。尊敬だけ、していたかったのに。
「これまで、リムスには特殊プレイは存在しなかった。そこに、新しい刺激を提供するフェミナンが現れた。珍しさも手伝って商売は繁盛した。これまで個人で商売していた他の娼婦たちを雇い、選択肢の幅を広げることで更に規模を大きくすることができた」
黒船が異世界から現れたわけだ。
「他の人を雇って大丈夫だったの? 商売敵みたいなものでしょう?」
「もちろん、問題はいくつもあったわ。彼女たちだってそれまでやってきた自負があるし、縄張りを荒らされたと思った人も少なくないと思う。雇った後も、自分のやり方があると反発する人もいた。そういった人たちに、私たちと働くメリットを一つ一つ説明していった。特に福利厚生について。自慢するわけじゃないけど、リムスの民間企業で一番早く取り入れたのはうちよ」
娼婦たちの健康を守るために体調を管理する医者を雇い入れ、定期的に検診を受けさせ、体調が悪ければ無料で診察できるようにした。妊娠した場合のアフターケア、保育士兼産婆や子どもを見てくれる幼稚園のような施設を導入した。家がなければ寮を作って住まわせた。
また客に対しては、娼婦たちに対しての暴力行為を徹底的に禁止させた。支配欲等の欲望を満たすために、命に係わるほどの暴力を振るう輩が多数存在したのだ。そんな連中から娼婦を守るため店のルールを作り、違反するものに対しては傭兵等を雇い、厳しく処罰した。それが後々「気に入らなければ貴族さえも袖にする」と言われるようになった由来だ。
その代わり、顧客満足度を上げるために一人一人に研修を受けさせた。様々なプレイを売りにしているのなら、様々なプレイに対応できる人間を育成しなければならなかった。全員で快楽に関して猛勉強したそうだ。
特に言葉遣いやマナーに関して、マナー検定と秘書検定を持っていたアンが全員に徹底的に指導したらしい。
「何でそんな資格、高一の夏に持ってるの?」
「受験の面接で役立つと思ったのよ。推薦取ろうと思ってたから」
異世界で役立つとは思わなかったけど、とアンは虚空を眺めた。私が聞きたかったのは、なぜ普通の高校生が狙う英検とか漢検とかTОEICを選ばなかったのかという事なのだが。そう尋ねると「もう持ってたから」とアンは言った。優等生は言う事が違うね。
「でも、人の性癖なんてすぐにわかるもの? 新しい刺激ってことは、それに目覚める前の人が現れるってことでしょう? 本人が自覚していない事を見抜くのって、難しい気がするんだけど」
その通りとアンが深くうなずいた。
「私たちは行為に入る前に、初めての殿方には好みを確認すると称して、無料のカウンセリングもどきをするわ。こう、私の後ろに様々な服装の女の子たちにずらっと並んでもらって殿方に選んでもらう。で、殿方の視線が留まる時間や表情などのちょっとした仕草、動きを観察する。その後、プレイ内容を簡単なイラストを見せながら丁寧に説明する。その間も殿方の反応をつぶさに観察して、最後にお勧めとしてプレイプランを提案する」
今のところ外れたことはないわ、とこともなげにアンは言うが、やってることはプロファイリングじゃないのか。人間が無意識に反応してしまう微細な行動を読み解く行動心理学者のサスペンスドラマがあったはずだ。
「そうして、店は軌道に乗り、皆の生活も安定して安心していた頃、事件が起こった」
一度言葉を切り、再び紡いだ。
「ラクリモサの支配者、ラクリモサ領主夫人、ああ、この時は婚約者だったっけか。フウミュ・ラクリモサによって、私たちは問答無用で捕らわれたの」
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