第151話 第五次元移動の弊害

「どうしたの?」

 現実が、過去の思い出の中にいた私を引き戻した。首を振り、目の前の相手に相対する。思い出の中の彼女とは一変した柴田杏奈と。

「すこし、昔の事を思い出していたの。覚えてる? 夏休み前に、一度だけ話したことがあったでしょう?」

「ああ、うん。覚えてる覚えてる。正直、あまり思い出したくないけど」

「それはまた、どうして?」

「あの頃、我ながら青臭くて独りよがりな正義感振り回してたから。過去に戻って昔の自分を殴りたい、なんて表現があるけど、痛いほどよくわかるわ。あなたに訳の分からないカマをかけようとしたのも、簡単に見破られたのも、あの時は平然を装ってたけど滅茶苦茶恥ずかしかったし、今思い出したらより恥ずかしいし」

「私は、なかなか興味深かったけどね。あれで委員長がただの神経質で潔癖じゃないってわかったから」

「それまでは、枠にはめ込んだような委員長ってイメージだった?」

「そうそう」

 彼女は苦笑し、一口お茶を口に含む。その仕草一つとっても洗練されていて、上流階級感漂う彼女の前に、かなり圧倒されている。こんな人間を相手に、頑張ってため口を使うというのも、なかなか疲れる。

 どうしても年上相手に敬語を使う癖が抜けない。しかも、相手は貴族と同等以上の権力者だ。口に出す前に一度会話の内容を吟味する癖のある私にとって、敬語なのかため口なのか、判断がぶれそうになるのだ。

 正直にそう伝えると、今はアンと名乗る彼女は困ったように笑い「できれば学生のときみたいに話してほしい」と言った。同級生に敬語を使われるのはかなり背中がむず痒いらしい。


 ラクリモサで過ごす宿を決め、いつものように明日以降の団員たちの行動、役割分担を決めた翌日、私は興味深そうに私のことを見送るみんなの視線を浴びながらフェミナンに向かった。

 ラクリモサの歓楽街は、日中であるにもかかわらず繁盛していて、多くの人がごった返していた。不夜城とはよく言ったものだ。飲食、賭博、そして風俗と、様々な店が整然と立ち並び、通路には一人でも多くの客を引き入れようと呼び込みの店員たちが声を張り上げている。

 ただ、ぼったくりなどの悪質なキャッチ、という雰囲気は感じられなかった。私も歩いている最中に何度か声をかけられたが、しつこく勧誘する者はいなかったので意外に感じた。

 歓楽街も、そういう街特有の、なんというかこう、汚水がそこかしこに流れ、ゲロの後があったりゴミがうずたかく積まれていたり、タバコの煙や異臭が立ち込めるような風通りの悪い、濁った空気みたいなものは感じられない。きちんと整備されていて不潔感がないのだ。夜になったら、また様相が変わるのだろうか。

 その歓楽街の中央付近にフェミナンはあった。こういっては何だが、かなりお洒落だ。普通の娼館は、良く言えば実用主義、悪く言えば装飾もへったくれもなくただ性行為を他の人間に邪魔されなければいいという感じの、パーティションで区切ったような武骨な作り、だそうだ。団員たちが話しているのをこっそり立ち聞きしたことがある。別に気にしないのに、彼らはこちらに気を使ってか、そう言った話題を私の前ではあからさまに避ける。

 それはさておき、そういう話を意図せず聞いていたから、フェミナンもそういう、小分けにされた部屋と受付しかないような店だと思っていた。もしくは、電飾で飾った現代のラブホテルのような作りか、どちらかだと。

 しかし、フェミナンは違った。外観は武骨なレンガ造りだが、中は落ち着いた色調の壁紙と明かりが灯り非常に落ち着く。耳障りにならない程度に流れる音楽に、センスの良いソファは、上手く観葉植物や屏風が配置されていて互いの姿を知られず、視線を気にする必要がない。何も知らずにくれば高級なホテルと勘違いしそうだ。かなり入ってくる人間の心的負担を配慮して作られているのではないかと考えられた。

 受付に向かうと、コンシェルジュのようなかっちりとした格好の女性が二人、丁寧な一礼で出迎えてくれた。アンに言われた通り名乗ると、一人がすぐさま奥へ向かい、もう一人がソファに私を案内し、お茶を用意してくれた。

 待つことしばし、奥に向かった一人がアンを連れて戻ってきた。

「来てくれたのね」

「ええ、約束した、しましたし」

「敬語はやめて。同い年でしょう。・・・まあ、見た目はお互い、だいぶ変わってしまったようだけど」

 自分の姿と私の姿を交互に眺め、アンは苦笑した。

「そのことも含めて、話したいことがたくさんあるの。時間は大丈夫?」

「大丈夫だけど、そっちこそ大丈夫? オーナーなんでしょう?」

「昨日のうちに調整しておいたわ。私も半日休みを取ったから。さ、応接室の方へ」

 彼女に促されてフェミナン内部に足を踏み入れる。

「シャワラ。応接室にお茶菓子をお願いできるかしら」

 アンがコンシェルジュの一人に声をかける。

「かしこまりました。マム」

 シャワラと呼ばれた彼女が一礼し、すぐに準備に取り掛かった。よく見れば、昨日彼女の後ろに控えていた侍女だ。服装と化粧でこんなに雰囲気が変わるのかと驚く。

「あとのことはよろしくね」

「イエス、マム」

 もう一人のコンシェルジュが最敬礼でこちらを見送ってくれた。隣を歩くアンの顔をまじまじと見て、最も気になったことを端的に口にする。

「・・・マム?」

「ええ、まあ、うん。そう呼ばれているわ。改めて同級生にそう言われると、少々気恥ずかしいんだけどね。だから、あなたはアンと呼んで」

「では、私もアカリと」

「わかったわ。アカリ」

 アンが扉を開く。執務机と向かいあう二人掛けのソファが二つ。間にテーブル。ドラマに出てくる社長室のイメージに近い。そこに向かい合って座った。

「さて、何から話しましょうか。私も、あなたも、ここに至るまで色々あったと思うのだけど」

「では、まずはあの教室で起こったこと、その後の顛末から。アンは私たちよりも先に教室から出てしまったから、そこから」

「その前に一つ、確認したいんだけど。アカリ、あなた、年齢はいくつ?」

「今年で、二十二になる、けど」

 アンが愕然とした表情で私を見つめていた。

「あなたを見た時から、そんな気はしていたけど、現実を突きつけられるとやっぱりショックね」

「じゃあ、やはりアンは私より年上・・・?」

「今年、四十二になるわ」

 言葉に詰まった。驚きと気まずさとで、何と声をかけていいかわからない。最初に思いついたのが「肌もきれいでつやつやして、とても四十代に見えない」「三十代で通用する」という慰めの言葉だったが、却下した。同級生とここまで年齢が離れていることに驚いている彼女に、的外れすぎる慰めは逆効果だ。

「二十七年も前に、リムスに?」

 当たり前で当たり障りのない事実確認を口にすると、両手で顔を覆いながらアンは頷く。


 ―どこに落ちるかわからないのに―


 私たちをここに送り込んだ元凶、モヤシがかつて呆れながら言い放った言葉が蘇った。あれは場所だけじゃなく、時間軸のことも含まれていたのだ。

 シャワラが応接室にお茶菓子とお茶を運び込んできて、ショックを受けて動けずにいる私たちを見て戸惑っていた。少し悩んだそぶりを見せた後、テーブルにお茶菓子を並べて、何も言わずにそそくさと出ていった。気遣いも危機回避もできるようで、オーナーの教育が行き届いているのが良くわかった。

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