第149話 私でなきゃ見逃している
旅路の計画と準備、味噌と醤油の積み込み作業を含む食料の買い足しに一日費やして、その翌日。ドンバッハ村から私たちは出立する。現在復興真っ最中のザジたちの邪魔はしたくないし、失礼な話だがこの村に依頼も、依頼を出す余裕もない。金の匂いのしない街に、物騒な連中はいるべきではない。
「お世話になりました」
領主夫妻と挨拶を交わす。
「何をおっしゃる。世話になったのはこちらの方です。あなた方のおかげで私たちは命を救われた」
ザジが笑みを私に向けて言った。
「あなた達なんだろう? ファルサ殿に此度の交易の話を進言してくれたのは」
「・・・まさか。傭兵は金にならないことはしません」
「そう、なんでしょうね。普通の傭兵はきっとそんな無駄なことはしない」
優しいまなざしに耐え切れず、話をすぐさま変える。
「領主様の方こそ、良いのですが?」
後ろを振り返る。ザジの視線も、私と同じ方向に向く。そこにはアスカロン団員に囲まれて、荷物を抱えたティゲルがいた。
「私たちとしては、寂しいですが、娘の夢を後押しするのも親の務め」
昨夜、家族で話し合ったそうだ。
「あなた方と短い間でも旅をして、多くの刺激を受けたのは明白でした。昔の、ひたすら本を読み漁っていたころのティゲルは、いつも言っていました。いずれ自分も旅に出て、未踏の地を歩き、大発見をする冒険家になると。好奇心の塊のはずのあの子が、いつしか夢を見ないようになり、全てを諦めて苦笑いばかりするようになっていました」
ザジは、今回の旅の話ばかりする彼女から、彼女が胸の内に押さえつけていた幼き日の夢に気づいた。こんな窮屈な思いを娘にさせていいのかと。だから、断腸の思いで娘の背中を押した。
「親バカかもしれませんが、あの子は頭が良い。家柄や生まれが違えば、果ては大軍師か多くの弟子を抱える研究者か、王族であれば名君か。歴史に名を残していてもおかしくないと思うのです。ですが、私のような貧乏貴族のもとに生まれたがゆえに、己が授かった才能を無駄にさせてしまうところだった」
さて、本当にそうだろうか。確かに才能はあっただろう。けれど、そう呼べるほどに成長したのは、やはり彼女の努力なしには語れないのではないか。それを積み重ねられたのは、やはり親であるザジたちの教育の賜物ではないだろうか。
この世界では、やはり女は早く結婚すべきという習慣が強い。無駄な勉強などせず、最低限の教養と花嫁修業が娘の為と思う親は多いはずだ。そんな中、娘のために様々な本を与えたことが、彼女の才能が伸びるきっかけになったはずだ。
「あなた方にお会いできたのは、天の采配としか思えない。身分ではなく、実力で評価する傭兵は、今のティゲルにとっては最も居心地のいい場所となるはずです」
「それが、艱難辛苦が待つ千尋の谷であっても? 私たちが向かうのは命の危機が付きまとう戦場ですよ?」
「何が生きがいか、幸福かは本人が決めるでしょう。嫌なら逃げ出すようにはいっておきましたが、多分、そんなことはないと思います。それに、ここからは貴族的考えになりますが、旅を続けていれば、あの子の才能を買ってくれる有力貴族が、それも独身で領地も広く裕福な方が見初めてくれるやもしれません」
それが希望的観測でないことはプルウィクスで実証されている。
「わかりました。私たちとしても、有能な人間が増えることは願ってもない事です」
一応、私もリスクについてティゲルに話をした。だが、決意は固いようで、反対する理由もない私たちは彼女を迎えた。
固いと言えば、ギースの話が頭をよぎる。先送りにしたいが、そうもいかない。
「ところで、アカリ団長」
「はい?」
ギースの事で頭がいっぱいになりかけた私に、ザジが尋ねた。
「先ほどから、ティゲルにずっと話しかけている、彼は?」
ザジが見ている先では、ティゲルとゲオーロが親し気に話している。あの強行軍でゲオーロはかいがいしくティゲルの世話を焼いていた。危ないところも何度も助けている。そもそもゲオーロは一人の職人として、司書として仕事をする彼女を尊敬していたし、ティゲルだって自分の仕事を認めてくれる人間に対して悪く思うわけがない。親しくならない理由がないのだが、それがどうかしたのだろうか。
「彼はゲオーロ、うちの専属鍛冶職人です」
「ああ、彼が、そうか」
・・・ずいぶんと平坦な声でザジが言った。
「彼が、何か?」
恐る恐る尋ねる。
「いえね。そのゲオーロなんとかという名前が、ティゲルの話で何度も出たわけでして。さて、どこの馬の骨かと思っていたところですが、そうですか彼がそのゲオーロですか」
そう言い、ザジが二人の方へと歩いていく。
「どちらへ?」
小走りにザジに追いつく。
「いえいえ、彼に一言挨拶をしておこうと。娘と仲良くしてくれてありがとうと」
どう見ても、そんな感謝を述べるような雰囲気ではない。娘と仲良くしてくれてありがとう故に死ねと言いそうな雰囲気だ。
「さっきまで貴族が見初める云々の話をしていたのでは? 見初めるとはこういう男女の出会いという意味だと認識しているのですが?」
「それはそれ、これはこれです。私の目の前で私の許可なく愛しい娘とイチャイチャしやがってあのクソ野郎がクソらしく肥溜めにぶち込んでやろうか」
ああ、本音が、本性が漏れ出ている。
「あ、お父様」
二人も私たちに気づいた。ゲオーロは命の危機に気づかずのんきにこちらにお辞儀している。彼女の父親だから礼儀正しくしておくのは良い事だが今は逃げの一手しかないはずだ。気づいてくれ。
まずい、このままでは有能な鍛冶師の未来が潰えてしまう。
「ティゲル、そいつから離」
そこでザジは言葉を切った。切らざるを得なかった。突然足元がおぼつかなくなり、意識を失ってふらっと倒れる。
「あら、あなた。大丈夫?」
いつの間にか後ろに控えていた夫人が彼を支え、地面に横たわらせる。
「いやだわ。娘の旅立ちだというのに」
にこにこと夫人は言う。
「お父様、大丈夫?」
「大丈夫よ。多分、ここ最近の疲れが出ただけだから」
心配になって駆け寄る娘を夫人が安心させる。
だが、私は見てしまった。ゲオーロに襲い掛かろうとしたザジの首筋に叩き込まれる電光石火の一撃を。恐ろしく早い手刀だった。
気を付けていってらっしゃいと娘と抱擁を交わす夫人を、私は驚愕の面持ちで見つめる。本当に勧誘するべきは、彼女だったかもしれない。
意識を失ったザジと満面の笑顔の夫人、そして領民の声援に見送られてドンバッハを離れて十日。アウ・ルム領ラクリモサに入った。
首都ではなくなぜ第二の都市にしたか。理由はここに到着するまでに立ち寄った街で聞いた噂だ。
『ラクリモサにはリムス中の様々な情報が集まる』
リムス中とはかなり大きく出た話だ。人の耳と口を通る度に様々な肉付けがされていったにしても、無視できない内容だった。
そうしてたどり着いた街で、思わぬ出会いが待っていた。
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