第147話 節目
プルウィクスでの依頼を終えた私たちは、十日ほど滞在した。
報酬にあった通り、プラエはプルウィクス内にある魔導工房を巡った。それこそ昼夜を問わず、眠る暇も食べる暇も惜しんで回り続けた。一緒に回っていたはずのゲオーロは二日目で音を上げた。鍛冶修業で鍛え、体力が満ち溢れているはずの若者が「もう勘弁してください」と倒れたのだ。
そんなことはお構いなしに、プラエは相手の魔導工房の魔術師たちと交流を深め、時に理論を巡って相手と激論を交わし、求めていた効果が安定して出せるようになれば喜びを分かち合っていた。ようやく宿に帰ってきたときの彼女のホクホク笑顔は、それはもう、満足げだった。
プラエが魔導工房を巡っている間、団員たちは他の街と同じように行動した。
街中を回って情報収集する際、特にボブたちには私たちが行っている各国各地での商品価格を調べてその情報を売る『チラシ』作成をお願いした。商品の仕入れや売れ行きの推移を調べてもらい、店主に対してアスカロン商品の営業を行ってもらった。
案内所等での依頼では、特に高難度なものはなかったが、魔術師からの媒体収集や作業の手伝いなんかのこまごまとした依頼が多数存在したので、全員で分担して事に当たってもらった。一週間で三十件回れたので、かなりの小遣い稼ぎが出来たと思う。ただ、大型の依頼は残念ながらなかった。小さな依頼が終われば見切りをつけ、プルウィクスからは離れてしまっても良いだろう。
私はやはりというか、他の団員より安静を言いつけられた。腹に穴が開いている人間がうろつくなと釘を刺されたのだ。仕方ないので、お目付け役として残ったギースと二人、次の目的地について相談していた。
「ティゲルさんをドンバッハに送り届けた後の事なのですが、アウ・ルムに向かおうと思うんです」
「ほう、アウ・ルムに? まだ行ったことがないから、新規開拓もできるし、チラシの情報も集まるからいいと思う。ただ、それならアーダマスでも同じ。距離も同じくらいだ。アーダマスではない理由を聞いても良いか?」
「一つは、インフェルナムらしきドラゴンの目撃証言があったからです」
ギースが居住まいを正した。話している私も、何かあるわけでもないのに体が緊張している。
インフェルナム、口にするたび、耳に聞くたび、脳裏に姿が浮かぶたび、恐怖と、それを上回る怒りと憎しみが体の中で暴れだす。
ドラゴン種の中でも最上位、炎を操り、ひとたび現れれば国を亡ぼすとまで呼ばれる怪物。私たちが在籍していた『ガリオン兵団』を壊滅させた原因だ。
「何年も前の話だそうですが、赤い姿のドラゴンがプルウィクス上空を東に向かって横切って飛んでいったそうです」
「しかし、インフェルナム以外にも赤い色のドラゴンはいるはずだぞ。それが我々の追うインフェルナムとは限らないのでは?」
「その目撃した人が言うには、飛び去った後に赤いしずくが落ちてきたそうです。ドラゴンがケガしたのかと珍しく思い、よく覚えていたそうで」
「あの時、お前がつけた傷か」
思い出したように、ギースが言った。仇のインフェルナムには、左目に私が狙撃でつけた傷がある。他にもガリオン兵団総がかりで傷を負わせた。
「そうか。確か東には活火山が多い。源泉も数多く存在する。温泉の中には、傷に効果があるとされる湯もある。ドラゴンがそれを知っている、という事も、あるのか?」
ギースは思いついた新説が正しいかどうか半信半疑な口調だが、私は可能性が高いと思っている。
動物がお湯につかって傷を治すのを見て、人間も真似した、みたいな伝説・伝承は私の住んでいた温泉大国には良くある話だ。動物は本能でそういうのがわかるのかもしれない。ならばドラゴンとて同じこと。
「インフェルナムではないにせよ、調べる価値はあるかと思います。違っても、ドラゴンがいる場所に私たちの依頼はあります」
「確かに、その通りだ」
一つ目の理由は仇。そしてもう一つ。
「まだトリブトムがアーダマス付近にいるかもしれないってのがあります。これは、魔導工房でプラエさんが聞いた話や、案内所等でムト君が聞いた話と合致します」
「なるほど、悪趣味な市が開かれる時期か」
本来人里に現れないはずのインフェルナムが降りてきて街を襲った理由は、自分の卵を奪われたからだ。
近年、貴族たちの間では珍しい品を所有していることがステータスになっている。大国の一つ、カリュプスの王がインフェルナムの卵を奪取したことが、そもそもの発端だった。
あれから懲りることなく、私たちのような下賤な人間の命などどうでも良いとばかりに、貴族たちの収集癖は収まらず、むしろ激化の一途を辿っている。より珍しく、より希少なものを求め、多くの人間と大金が動いている。
やがて、年に数回、大陸中央に位置するアーダマスにて希少品の展示販売会が開かれるようになった。各国から希少品を求めて貴族や商会、希少品を売るために傭兵団が集まる、オークションと同人誌即売会がごっちゃになったイベントだ。そのイベントには当然、珍品収集と販売をメインとする大手傭兵団トリブトムも参加するはず。全てのトリブトム傭兵団員が各地で集めた珍品を持ち寄って集まるわけで、私たちを裏切った連中もいる確率が高い。今はまだ、彼らを相手にして勝てる確率は低い。戦い以外で復讐を果たす方法も思いついていない。だから避けるのが無難だ。
「以上二つの理由から、アウ・ルムに向かおうと思っています」
「反対する理由はない。それでいいと思うぞ」
ギースのお墨付きも貰った。傷も大分癒えた。明日、明後日には出発できるだろう。それまでに自分も準備を整えなければ。
「アカリ、少し良いか?」
珍しく、ギースの方から相談を持ち掛けてきた。
「はい。どうしました?」
「今後の方針について話をするときなんだが、ムトを参加させてやってほしい」
「ムト君を、ですか? それはもちろん、これからのミーティングに参加してもらいますが」
「そうじゃない。今私と話したような、ミーティング前のちょっとした相談みたいなもののことだ」
ギースがお茶を啜る。
「アカリ。私は、そろそろ引退を考えている」
頭が真っ白になった。内容が頭に入ってこない。耳がその言葉を聞き取るのを拒絶して門前払いをしている。
「え、ちょ、え?」
「落ち着け。今すぐってわけじゃない」
「いや、でも、そのうちってことですか? そんな、ギースさんに引退されたら、困る、困ります」
これまでずっと彼に教えを請うてきた。モンド、テーバと並ぶアスカロンの支柱だ。精神的な部分ではかなり頼っていて、私の中でも彼に相談するのが当たり前になっている。そんなギースが突然辞めると言い出したら、混乱するし、戸惑ってしまう。今もお茶を飲もうとしているが、ほら、手が震えて取っ手が手につかない。それほどに動揺している。
「なあ、アカリ。ずっと続けられるほど、傭兵は甘い物ではない」
ギースは突き放すように私に言った。
「不肖ながら、これまでお前の教育係みたいなことをしてきた。だが、近年お前の成長は著しく、私にわざわざ教えを請い、許可を得る必要はなくなりつつある。どころか、私よりも先を見据えられるまでになってきた」
「そんなことないです。まだまだ、私はギースさんや、皆に及ばない」
「馬鹿を言うな。お前の悪いところだ。自分をわざわざ低く見積もる。元居た世界の習慣だか風潮だかお国柄だか知らんが、自分を低く見せて何の意味がある」
「でもっ!」
「でもじゃない。正直、この前の森を突っ切る強行軍は骨身にしみた。私も良い年だ。ケガも多く、体が言う事を利かなくなってきている。ここらで世代交代を考えなきゃならない」
ギースが自分の足と手元の杖を交互に見つめていた。
「お前の願いは、もっと遥か先にある。もっと早く走っていくべきお前の速度に、この体はついていけなくなっている。お前の願いの足手まといに、なりたくないんだ」
後遺症さえなければ、もっと続けられるはずだ。そうだ。義手だ。プルウィクスの義手や義足で補えば。
「言っておくが、義手とか義足とか、体の補助になるようなものを作ろうとか考えるなよ。金の無駄だ。もっと有意義に使え」
先手で釘を刺される。
「お前の成長を見守るのは、正直なかなか楽しかった。あのおろおろしていた新入りが、団を率いて最前線で突き進んでいくのは、痛快で、頼もしく、誇らしくもあった。だからこそ、そろそろ独り立ちをすべきだ。いつまでも私に頼っていてはいけない。お前は団長なんだ。お前も後進を育てていく立場になるんだ」
もちろん、引退までは相談にも乗るし、話も聞く。ギースはそう言ってくれた。彼なりの、最大限の譲歩だ。
「ムトには、お前と同じように私が知っている限りの知識を与えた。あいつも中々に成長している。この調子なら、必ずお前の片腕となり、作戦参謀として支えてくれるようになる。だが、まだ経験が不足している。そこを補うためには場数を踏むしかない。色んな場所で、様々な相手を前にして、力だけではない、言葉と心の駆け引きも学ぶ必要がある」
「だから、この前のプルウィクス城で、彼を謁見の間に同席させたんですね」
あの時感じた、嫌な予感はこれだったのか。
依頼にあった、謁見の間に向かう見栄えのための最小人数は確保できていた。なのに、ギースはムトも参列させるように提言した。全員が疲労困憊の中、無理させる必要はなかった。何か思惑があってのことだと思っていたが、こういうことか。
「この事、他の皆には」
「まだだ。だが、近々伝える。そうだな。あと一年で私は五十になる。そこが節目、丁度いい潮時かなと考えている。はは、いつの間にか、私はガリオン団長よりも年を食っていたのだな」
少し寂しそうに、ギースは笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます