第145話 幕間 胸に秘めた思い
「恐ろしい女でしたね」
城門から離れていく二人の背中を見送りながら、サルースは隣のファルサに話しかけた。
「こればっかりはお前に同意する。あの若さで勘が鋭く、頭も切れ、おまけに腕もたつ。末恐ろしい逸材だ。だからこそ、若さゆえの未熟もある。付け入るとすればそこだろうか」
「でも、アドバイスしちゃったんでしょ? 更に熟しちゃったんじゃないですか?」
「少々もどかしくてな。つい口が出てしまった」
「それだけ見込みがあったってことでしょう? プルウィクス軍の鬼教官は、金の卵を見て見ぬふりはできなかった」
「上質の玉鋼を鍛えぬ鍛冶師はおらず、魔術師は新しい媒体を試さずにはいられない。同じことだ。だが、それはお前もだろう。わざわざ対局したいだなんて無理を言い出して。彼女を見極めたかったのだな。今後のプルウィクスにとって有益か害悪か」
で、評価はいかに? ファルサが彼女以上に認めている男に尋ねた。
「いやあ、劇薬も劇薬、極めて危険、諸刃の刃、門前に住むドラゴンですね。使い方を誤ればこちらの首を絞め、破滅一直線です」
「『俺』が王族全員とつながっていることを見破っていたからな」
ファルサの口調が、親しい者の間だけで使うものに変わる。
ファルサは長らくこの国に仕えてきた。貧しい家族の食い扶持を浮かせ、金を入れるためだけの目的で入った軍で、いつの間にやら出世し、全軍を率いる将軍にまで上り詰めていた。長く在籍していれば、金目当てで入った場所にも愛着は沸き、忠誠心も芽生える。恩を感じ、返したいという気持ちも生まれ、子孫に誇れるものを残したいと考えるようになる。
であるなら、今のプルウィクスは到底誇れるものではない。後継者問題で国のかじ取りはおろか、他国の傀儡となってしまっている。どう転んでも、両国の間に挟まれたまま擦り潰され、この国は滅びる定めにある。子孫に問題を押し付けてしまうことになる。
認められるわけがなかった。この国を活かす方法を日々模索していた。
そんな時に現れたのが、隣に立つこの男だった。本当に偶然の出会いだった。まだ幼かったコルサナティオを連れていった先で倒れていた。片腕を失い、全身にも大けがを負い、それでも生きていた男に、ファルサは同じく苦しみ続ける国を重ねた。かつて自分がしてもらったように男を拾い、傷を治し、育てた。記憶を失っていた男は、元が良かったか、それとも全てを失い空っぽだったためか、ファルサの教えを面白いほど吸収していった。
ファルサの右腕になるまで成長し、信頼を置いていた。それでもこの男に打ち明けるのは一種の賭けだった。だから、重々しい空気の中で思い切って打ち明けたのに「あ、良いですよ。手伝います」と気軽に引き受けられた時は、まじまじと奴の顔を眺めて「嘘だろ?」と疑ってしまった。
賭けには勝った。男、サルースは想像以上に有能で、特にこういった、多くの人間を出し抜くための策を嬉々として立てるような変態で、危険でもあった。王にとって替わり国を牛耳ろうなどという野心があるわけではない。むしろ国家に忠実。忠実過ぎて、時に人間を、王族すらも数で考えるほどだった。必要か必要でないかを感情を排して考えるのだ。
そんなサルースの立てたプルウィクス再生計画は、多くの国を巻き込み、大勢の人間を犠牲にし、王族すら排除するものであった。
だからこそ、最初は反対した。王族を手にかけるなど言語道断とサルースの首筋に剣を突き付けた。だが、彼はそんな状況が見えていないかのように笑いながら言った。
王族と国はイコールではありませんと、飄々と言い放ったのだ。
「国の存続に必要でない、むしろ害悪であるなら、たとえ王族であろうとも排除すべきです。国とは王だけのものにあらず。そこに住むすべての人が乗り込む船です。王はその船頭。船を道に迷わせる船頭は必要ありません」
プルウィクスは二人の船頭と二人を操る二つの国のせいで沈没しそうになっていた。だから排する。当然のように、サルースはそれら全てを排除することを前提として策を立て、最終的にファルサも策に乗った。その瞬間から、石は転がり始めた。
大国に挟まれている小国同士のパイプを作って裏で同盟を作り、潜入に特化した諜報部員を育成し大陸中に配置し情報を集め、情勢を不安定にするための策をいくつも生み出した。それは恐ろしいほど上手く進んでいた。水面下で、誰にも気取られることはなかった。
あの女団長以外には。
「どこで気づかれたのかさっぱりわからない。もっと言えば、アルボスでのペルグラヌス、ミネラでの傭兵崩れを使った運用方法に俺たちが関わっていたこともだ。その二つは、それこそ俺たちの関与がわからないようにするために策を施したはずだ」
「僕もぜひ聞きたいですね。どこをどうすれば、僕たちに行きついたのか。どれだけの手間と金と時間をかけて準備したと思ってるんですかね。恨み言を言うのは間違ってますけど」
対局中の会話を改めて思い返すも、特におかしなことは口走っていなかった。旅の途中でも、特に話はしなかったはずだ。
「もしかしたら、女の勘、というやつなのだろうか。こればっかりは男の我々にはわからん領域になる」
「お、実体験ってやつですか? 奥様と何かあったんで?」
「人の家でスキャンダルがあったみたいな言い方はやめろ。妻とは良好な関係だ」
「ですよね。ほっとしました。奥様には僕も大変お世話になっていますから、これからどんな顔で会えばいいのかと思いましたよ」
「またご飯を食べにおいでと言っていたぞ。適当に済ませるくらいなら、うちでしっかり食べなさいとな」
「たはは、参ったな。奥様には敵いませんね」
「当たり前だ。何十年も連れ添っている俺ですら、いまだに頭が上がらんのだから」
二人の頭におっとりとした柔和な顔が浮かんだ。
その穏やかな顔でファルサを時に叱り、時に励まし献身的に支える傍ら、三人の子どもを立派に育て上げた鉄火肌の女傑だ。若いときにはファルサを逆恨みした暴漢数名が彼女に襲い掛かったらしいが、返り討ちにし、改心・更生させ、仕事まで面倒を見たという逸話まである。
自分の妻と比較して、ファルサがふと思ったことを口にした。
「アカリ団長は妻のように突然答えに行きつくような直感、というよりも、複数の情報に対していくつもの仮説を立て、それに新たな情報を組み込んで仮説を立てていくスタンスだと思う。あまりにそれが速いから勘に見えるだけで。傭兵としてリムス中を渡り歩いているのも影響しているのだろう。出くわした依頼の中に、アルボスやミネラでの共通点を見出し、それを行うメリットがある我々につながった、と言ったところか」
口に出してみて、納得した。彼女は情報をかなり重要視するタイプだ。情報を精査し、事前の準備を念入りに行って、可能な限り勝算を上げてから戦いに挑むのだ。その裏返しが完璧主義なのだ。
「理論立ててくるタイプですね。ううん、彼女とは気が合いそうだ。顔もタイプですしね」
「何だ、そうなのか? じゃあ、何で『素顔』を見せなかったんだ?」
言われてサルースは「ん?」と不思議そうにして、ようやく合点がいったと笑い、その顔が溶けた。
どろどろと溶け落ちていく。赤い髪も、大きな目も。薄皮一枚の向こう側が覗く。潜入工作員に持たせている魔道具の一つ、変装用の魔道具が解除されたのだ。
現れたのは、先ほどの顔とは似ても似つかない、まったく別の顔だった。黒い短髪に細い切れ長の眼、皮肉気に歪められた口元。最も特徴的なのは、顔の右半分を覆うほどの大きな傷痕だ。
「いえね、この顔が突然現れたら、彼女も驚くんじゃないかな、と思いまして。好みのタイプに嫌われたら、流石の僕も少々傷つくと思うんですよ」
「嘘だな。お前は誰かの態度一つで傷つけられるような、繊細な心など持っていないだろうが」
「心外だなあ」
苦笑するサルース。その態度からも、心が傷つくなどということからは程遠い人間に見える。
「それに、アカリ団長はその程度で驚いたり、避けたり嫌ったりするような人間ではないことは確かだ」
「僕もそう思います。多分いい意味で合理的な人なんでしょうね」
「だったらなぜ、顔を変えた。別の理由があるんだろう?」
「ちょっと説明しづらいんですよね。彼女に会ったのはプルウィクスが初めてのはずです。けど、どうも、初めて会った気がしないと言いますか」
ファルサがはっとした顔でサルースの方を見た。
「まさか、記憶を失う前のお前と面識が?」
「かもしれません。最初は、好みの相手だから、若人特有の『僕たちどっかで会ったことなかった? もしかしてこれは運命?』という口説き文句みたいな感情が生まれたと思ってたんですけど、それも違う。ただの恋愛感情では説明できない何かを彼女に感じました。それに、疼いたんですよ」
サルースが義手を見つめる。
「失われたはずの腕が、彼女と握手したときに。もしかしたら、彼女は僕を知っているかもしれない、って。傭兵の彼女と面識があるかもしれなくて、こっちが怪我をしていたとなると、考えられるのは二つ。同じ団員だったか、敵対していたか、です」
アスカロンはドラゴン討伐を掲げる傭兵団だ。であれば、ドラゴンと戦い、犠牲になった団員も多くいるだろう。襲われ、行方不明になった団員もその中にはいるはずだ。そのうちの一人なら、感動の再開となったかもしれない。
しかし、敵同士だった場合。彼女は正体を知るなり命を狙ってきたかもしれない。その可能性もあって、彼女に正体を知られるのがはばかられた。今、死ぬわけにはいかないからだ。ファルサに、そしてコルサナティオには返しきれぬほどの大恩がサルースにはある。彼らの願いを叶えるまでは、失うはずだったこの命であっても、失うわけにはいかない。
今の自分はプルウィクス軍に所属するサルースだ。ファルサを助け、姫を守るのが己の使命。たとえアカリがかつての仲間で、過去の自分が恋した相手であったとしても。
銀色の手が強く握りしめられる。胸の中に沸いた感情を、握り潰すかのように。
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