第144話 仮面の下

「参りました」

 サルースと握手を交わす。盤面は、私の王が彼の弓兵に追い詰められ、逃げ場がない状態になっている。

「いやはや、紙一重の戦いでした。初めてとは思えない強さだ。何度も追い詰められて、ずっと冷や汗をかきっぱなしでしたよ」

 本当に初めてですか、などとサルースは褒めてくれるが、これだけの接戦になったのは、おそらく彼が適度に手加減をしていたからだと思う。もっと効果的な手、例えば王と重戦士を両方狙う手や、私の陣の守りが薄い場所をもっと的確につく手があったはずだ。私がまずいな、と気づいたくらいだから、彼が気づかないはずがない。

 接待だったのだ。それは何のためか。ご機嫌を取るためのものではない。この男は軽口以外に無駄なことはしない。わざと対局を長引かせたのは、私と話をするため、自分たちにとって有用かどうか値踏みするためだ。

「色々と、適当なことを言ってしまいました。お気に障っていたら、謝ります」

「いえいえ、言ったでしょう? ただの世間話です。ここにはプルウィクスに仕える兵士はいない。ハンサムと爺さんの二人だけ。この話が外に漏れることも、あなた方に悪影響を及ぼすこともない」

 握っていた手の力を弱めると、吊り橋が落ちるように互いの手が離れた。

「では、私たちはこれで失礼します」

「え、もうですか? 流石にもう少し休まれたほうがいいのでは?」

「もう大丈夫です。動いてもさほど痛みはありませんし、団員たちと合流して、次の依頼や目的地を探さなければなりません。それに、ラーワーのドンバッハ領主から、大事な一人娘をお預かりしています。早く村に送り届け、無事な姿を見せてあげなければ」

「あの森を抜ける為に助力を申し出てくれた、勇敢で有能なお方ですね。ラーワーで冷遇されているなら、うちに引き抜きたいな。将軍、どうですかね?」

 サルースが対局中、身動き一つ取らなかったファルサに話を振った。

「無理だ。彼女のご家族や村の方々に、私は多大なる迷惑をかけた。こちらがよくても、向こうは私たちに良い感情を持たぬだろう。王城に直行した時点で、我々の正体もばれているだろうし、なおさら肩入れはできぬだろう」

「んん、その権力、振りかざしてもダメですかね。多額の報酬をちらつかせても?」

「辞めておけ。かの領主殿、おそらく従軍経験がある。貧しても鈍らぬ貴族の矜持を胸に宿しているだろうから、下手に金や権力を振りかざせば痛い目を見るのはこちらだ」

「そっかぁ。あ、じゃあ、嫁入りはどうでしょう? 良い男は、僕を筆頭に揃ってますよ。それなら両者の関係が良くなるし、有能な人材を引き入れられて一石二鳥だ。また国同士の結束も高まるというものです」

「おっと、サルース殿。それは困りますねぇ」

 プラエが本当に進みそうな話に待ったをかけた。

「彼女はうちの団のゲオーロ君と良い感じなのよ。人の恋路を邪魔する奴は、ドラゴンの餌にするわよ」

「怖い怖い。でも、彼女が僕に惚れたら話は別でしょう?」

「はっ、お前のどこに惚れる要素があるというのだ。口を開けば人の神経を逆なですることばかりの男など好かれる要素が皆無だ」

「ちょちょ、将軍。ここは僕をフォローするところでは?」

「フォローする要素がない。お前なんぞに嫁入りしたら、彼女が心労で倒れてしまうぞ」

「ああ。なるほど、僕がモテ過ぎてしまうためですか? 浮気しないか心配ってことですね? 大丈夫ですよ。僕はこう見えて一途ですので」

「違う。いつお前が上司の反感を買って職を失うか生きた心地がしない、という意味だ」

「将軍の匙加減じゃないですか」

「権力を使うのはこういう時だ。勉強になったか?」

 勘弁してくださいよとサルースが項垂れる。

「人間的魅力はさておいて」

「アカリ団長までなんですか。僕の尊厳が踏みにじられているというのに、それをさておいて、だなんて」

「いえ、そういう意味ではなく。顔もわからなければ、人間的魅力もわからないと思うのですが。人の印象は見た目からですし」

 人は見た目が七割ともいう。あれは正しい。それに、少し気になっていることもある。

「お、そういえば、ずっとこいつを被ったままでしたね」

 コンコンとフルフェイスの兜を叩く。

「よく将軍に叩かれるんで、被ったままの方が安全なんですよね」

「叩かれるようなことを言わなければ良いのだ。むしろ口をずっと塞いでいろ」

「そんなことしたら僕の長所死んじゃいますよ」

「百害あって一利なしの長所など墓に埋めておけ」

 残念ですが、お断りです。そう言いながら、ゆっくりとサルースが兜を外し、素顔が外気に晒された。

 真っ赤な髪を銀色の手がかきあげた。

 なるほど、自分からハンサムだの粋だの言うだけはある。吊り上がり気味の大きな眼は悪戯好きな猫のようで、そのまま彼の性格を表している。少し上向きな鼻も、生意気そうに片端を持ち上げた口元もバランスよく顔の中に納まっていて、一般女性でも私の感覚でも男前と評して問題ないカテゴリに入るだろう。

「どうです? まあまあイケてると思うのですがね?」

 自慢げに顎に指を添えてサルースが笑う。

「何か軟派そう。タイプじゃない」

 プラエが一蹴し、彼は崩れ落ちた。

 ゆっくりと、悟られないよう息を吐いた。何を誰に悟られないようにかはわからない。自分でもわからないうちに、息を止めていた。

 同年代位で、今回の依頼の窮地に現れ、共闘すれば背中を守ってくれていた。そして対局後の握手のとき、気のせいかもしれないが一瞬右腕が疼いた。だから、確認しておきたかった。その仮面の下を。

 だが、気のせいだった。やはり、彼はもういないのだ。


 丁重に礼を言い、同時に自分たちもここでの話を公言しないと約束し、王城を去る。報酬はきちんと宿に届けてくれるそうだ。

「何日ほど滞在されるんですか?」

「そうですね。一週間ほどでしょうか。そちらから許可された魔導工房の見学も一週間ですし。準備を整えて、一旦はドンバッハ村に戻ろうかと。その後、よさそうな依頼があればまた戻ってきますし、無くてもプルウィクスを経由してアウ・ルム、もしくはアーダマス方面に向かおうかと思っています」

「一週間ですか。残念。僕らもですが、姫様が寂しがる。アスカロン、特にお二人には、かなり恩を感じて、それ以上に初めての友人と思われている。お立場上、どうしてもご友人をなかなか得られませんからね。ずっとあなたたちとの旅の話をしていますよ。武器を突き付けられたり、あんな失礼なことを言われたのは初めてだ、とね?」

 ははは、とプラエと二人、乾いた笑いで誤魔化す。

「姫様のためにも、引き留めるために何か依頼を作ろうかな」

「それこそ職権乱用でしょう。そのうちまた、依頼の匂いを嗅ぎつけてまた来ますよ」

 どうせいずれ、嫌でも何かが起こるんだろう?

 言葉にはしないが、空気は伝える。彼は笑って、外への道を譲った。最後まで、食えない男だ。ファルサともども、敵には回したくない。心からそう思う。

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