第137話 敵の敵は、結局敵

 竦みそうになる身体に頭から刺激を送って強制労働させる。心構えがあらかじめできていれば、たとえドラゴンが目の前に現れても動けるものだ。

 それは、うちの団員も同じだ。全員が、視線を引き付けてやまないサルトゥス・ドゥメイから視線を外し、周囲を見渡している。

「団長!」

 モンドが私を呼んだ。彼の視線は敵陣、その綻びを捉えていた。

 サルトゥス・ドゥメイの登場で敵陣は浮足立っている。その中で、恐怖によって思考停止している者と、腰が引けて逃げ出しそうになっている者、その二種類の人間が混在する場所を見極める。

 同じ方向を向いている、結束した団体を突破するのは困難だ。だが、バラバラの方向を向いている団体は、団体ではなく個人の集まりになる。分子結合と切断の関係みたいなもので、隙間が大きければ簡単に割ける。しかも今の敵陣は、切れ目の入った調味料の袋と同じ。どこからでも切れる中で、最も切れる場所を選び取る。

「ドラゴンだ! ドラゴンが出たぞ!」

 テーバがわざとらしく声を上げる。視覚情報だけで脳の処理が追いつかない程の情報が氾濫し、オーバーフローしそうなところに、聴覚からも情報を叩きこむ。

「指揮官がやられちまった!」「どうすんだよ!」「誰か指示をくれぇ!」

 ジュールが、モンドが、ムトが声を上げる。聞く者を焦らせ混乱させる、高めで震えた声。それを聴いて敵はさらに及び腰になる。

「逃げろ!」

 ギースが決定打を放つ。

 私たちが見ていた敵陣が、勝手に割けた。くるりと方向転換して、一人、二人と逃げの一手を打ち始める。一人が逃げれば後には二人、二人逃げれば四人、ねずみ算式に増えていく。

 団員たちに目配せする。皆も私を待っていた。

「走れ!」

 割けていく敵陣の、逃亡していく方の後に続く。全力で逃げている傭兵団に敵も味方も判別つくはずない。自分か他人の二種類だ。

「逃げろ逃げろ! 喰われちまうぞ!」

 走りながら、団員たちが次々に恐怖を煽る。

「まだ来るぞ! 森から来るぞ!」

 私の言葉を証明するように、もう一匹のサルトゥス・ドゥメイが森から飛び出し、森の中で布陣していた敵も逃げていた敵ももろともに巻き込み、轢き潰した。ティゲルの言っていた通りだ。

 サルトゥス・ドゥメイは、『ペルグラヌス』に引き寄せられている。


 この最後の手段を思いつけたのは、ティゲルからこの周辺の生態系についてレクチャーを受けていたおかげだ。

 生息域は違えど、二種のドラゴンが近隣に生息していた。ペルグラヌスとサルトゥス・ドゥメイ。森林地帯と山岳地帯で棲み分けが出来ている二種は、天敵同士だという。しかし、個々の特徴を聞くうちに疑問が一つ沸いた。

 サルトゥス・ドゥメイは、確かに人間よりもはるかに強大な怪物ではある。だが、数字だけで見ると、体長は平均六、七メートルほどだ。単純な考えだが、特殊な能力でもない限り、自然界はでかい奴ほど強い。でかければでかいほど力が強いからだ。六メートルは人間からすれば脅威だが、他の種族からすれば中級程度といったところか。件のペルグラヌスは二十メートル。発達した四肢は、あの巨体で岸壁を駆けるようによじ登り、人の作った城壁を紙同然とばかりに突き崩す。

 対してサルトゥス・ドゥメイ。体長は五メートルから八メートル。鋭く強靭な顎、強烈な毒を持つが、先のペルグラヌスと比べれば大人と子どもの対格差だ。相対すれば、ペルグラヌスが圧勝する。それがなぜ、同等以上の危険度なのか。

 答えはサルトゥス・ドゥメイが群れで行動する、という点だ。一匹の女王を頂点に、多くの雄が女王や巣を兵隊として守る。女王を守るためなら兵隊は死をもいとわず、圧倒的対格差のペルグラヌスにすら挑みかかり、時に捕食してしまう。逆もしかり。


 今回の依頼の成功とは何か。そこから考えをスタートさせた。

 一番気にしなければならないのは、敵に発見された時だ。相手は圧倒的にこちらより人数が多い。囲まれればまず勝ち目がないが、囲まれる可能性は高い。勝ち目がない戦いに勝つにはどうすればいいか。

 まずは、相手の勝利条件とこちらの勝利条件を考えてみた。相手の勝利条件は言うまでもなくコルサナティオ王女の命。反対に私たちは何か。敵を倒すこと? 違う。依頼主をプルウィクスに送り届けることだ。

 逃げ切る事にゴールを置いたものの、ただ逃げるだけでは被害が拡大するのは明白だった。どんな戦いであれ追撃戦は追う方の被害は皆無で、追われる方の被害は甚大となる。だからしんがりという命がけのポジションが存在する。

 誰にもしんがりを務めさせたくなかったし、そもそも私たちの人数でしんがりなど意味がない。それなら全員でバラバラの方向に逃げた方が得策だ。

 ならば、私たち以外の何かにしんがりを務めてもらえばいい。対象は、サルトゥス・ドゥメイ。圧倒的なドラゴンの存在は否が応でも敵の目を引く。

 サルトゥス・ドゥメイを囮代わりに使うとして、次の問題はどうやって敵とサルトゥス・ドゥメイをぶつけるか、だった。巣から誘い出すのは不可能だ。相手は森の中を時速六十キロ以上で駆け抜ける。敵にぶつける前に縄張りを犯した瞬間私たちが全滅する。

 思い出したのは、以前アルボスで入手した、ペルグラヌスの声を模した音が出る笛だ。天敵の声を聴いたサルトゥス・ドゥメイは総出で音源に駆け付ける。音源にいるのは人間だが、ほぼ確実に襲い掛かる。そのための布石も念のため打っておいた。敵が引っかかった私たちの罠は、かなり大きな音のする閃光弾だ。夜中にあれだけボコボコ破裂して騒々しくしたため、サルトゥス・ドゥメイはかなり苛立ったはず。そこへこの笛の音を聞けば、そいつが原因だと直結させるだろう。

 おびき寄せたのは良いとして、そのまま自分たちに襲い掛かられては元も子もない。なので次の策を用いる。敵に向かってばらまいた皮袋には、ペルグラヌスの血液や体液が入っていた。ドラゴンの素材は魔術媒体として優れているため、保存しておいたのが役に立った。案の定、サルトゥス・ドゥメイはペルグラヌスの液体を浴び、匂いを出す連中をメインに襲い掛かっている。これで、こちらに襲い掛かられるリスクはかなり下げられた。それでも絶対確実ではないし、この場にとどまっていたら仲間だと思われるので、全滅させられる前に全速力で逃げる必要があった。


 走りながら、左右や後続の敵に対してさらに皮袋を投げつける。運悪く顔面に直撃した敵はもんどりうって倒れ、わらわらと森の中から湧いて出てきたサルトゥス・ドゥメイと顔を合わせ、悲鳴を上げていた。どうなったかは知りたくもない。敵めがけて横合いから飛び出してくるサルトゥス・ドゥメイは頭は敵に向いているが加速のついた体を振り回して道を塞ぐ。必死で躱しながら、私たちは出口に向かって走る。心臓が痛い。足も痛い。頭も酸欠気味で痛いし重いし眠いし、もう辛いところしかない。それでもまだ生きている。私たちは生きて走っている。

「森の街道が終わるぞ!」

 いつの間にか私たちの先を行く敵がいなくなっていた。先頭を走るジュールから声が聞こえた。私の眼にも見えた。分厚く覆われた枝葉の隙間が徐々に大きくなって、そこからまぶしい光が差し込んでいる。

 街道に出た時以上の明るさ、広い空間の中に飛び込んだ。心なしか、息苦しさが減ったような錯覚に陥るほどだ。開けた平野の向こうに、城壁で囲まれた街が見える。ひときわ高くそびえる、街の中心にある塔の屋根が朝日を反射していた。

「プルウィクスだ!」

 ファルサだろうか、感嘆の声を上げた。あれが目的地。残り四キロを切った。

「死に物狂いで走れ!」

 鞭を入れるがごとく団員たちの背に声をかけた。

「あと少し、あと少しです! 着いたら休み! 私も休む! 一日中寝るんでそのつもりで! その代わり、今だけは走り続けて!」

 ばらばらに返事が返ってくる。わき目も降らずに一直線に走り続ける。もう少し、もう少し!

 城門が見えてきた。なのに、ここにきて。


 目の前で炎が上がる。突然のことに全員が足を止めた。炎は横一文字に広がり、向こう側とこちら側を隔てた。隔てた先、草むらの中から何かが盛り上がる。

「伏兵?!」

 まだいたのか。全兵力をあの街道に集結させたと思っていたのに!

 どうする、どうする?!

 こっちは疲労困憊だ。足はもう二度と走りたくないと震えて訴えている。吹き出した汗は止まらず目に入って、全身は水中のように緩慢だ。何より精神面のダメージがでかい。もうすぐ終わると思った矢先のこの仕打ちはメンタルを抉った。メンタルはモチベーションに直結し、モチベーションはフィジカルに影響する。モチベーションが高ければ多少の疲れなどものともしないが、下がれば疲れは倍増し体を動かすのに倍以上の体力を要する。

 迷っている間にも、敵はこちらに向けて武器を構えて迫っている。数は、先ほどの絶望的な戦力差ほどではないが、それでもこちらの二倍から三倍はある。しかも後ろの森からは悲鳴が消えた。なのにうなじがピリピリしている。背後の危機はまだ去っていない。出来る限り早くこの場から立ち去った方がいいと本能が叫んでいる。

 考えろ、今すぐ答えを出せ。判断が遅くなれば、自分と団員が死ぬ。

 後方から先頭へ移動し、指示を出す。

「全員、弾込め用意!」

 炎が消えたら一斉射撃を行い、怯んだところを切り崩し、道を拓く。やることは単純明快だ。迷いを消せ。ここまで来たら後は力で押し切るのみ。

「ファルサさんたちは後方へ。私たちが道を切り開きます」

「相手の防御を貫くのか?」

「ええ。幸い相手は多数ですが、横に広く広がっています。一点突破し、敵の壁を越えます」

「それしかないだろうな。だが、少し待ってくれ」

「時間がありません。それとも、一緒に戦いますか?」

「もちろんそれもある。ここまで来てあなた方だけに戦わせて自分は逃げるなんて出来ないさ。王女を守るため、私も戦うとも。人数は多ければ成功率が上がるだろう。だが、もう一つ伝えさせてほしい」

 ようやく私は、彼の顔を見た。こっちがこれだけ焦っているのに、焦りの表情は見られない。声も随分と落ち着いている。どういうことだ。

「伝えるって、何かあるんですか?」

「ああ。どうやら、私はまた、あのいけ好かない男に貸しを作ってしまったらしいんだ」

「どういう、ことですか?」

 苦笑する彼は答えない。代わりに、敵陣のさらに向こうで上がった鬨の声が、彼の伝えたかったことを教えてくれた。

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