第134話 明日の風は気ままに吹くのみ

 敵陣に囲まれた時、プラエは味方の陣の中央付近にいた。付近にはティゲル、ボブ、ゲオーロ、そしてコルサナティオ王女と、非戦闘員が固まっていた。

「か、囲まれてる」

 これ以上ないくらい的確に、ボブが現状と心情を一言で表した。状況は最悪だ。

「もはや、ここまで、ですか」

 コルサナティオ王女が諦めたように目を瞑り、天を見上げた。

「王女、諦めてはなりません」

 するするとファルサが王女の傍に近寄った。

「まだ脱出の目はあります。あと少し、あと少しでプルウィクス領内です。それに、奴が王子を送り届けたら、援軍を率いてこちらに向かってくるはずです。奴と合流できれば私たちの勝ちです」

「脱出の目、ですか」

「そうです」

「しかしそれは、ファルサ。あなたや近衛兵たちの命は勘定に入っていないでしょう?」

 ファルサは何も言わなかった。言い返せなかった。それが図星だからだ。

「そして、ここまで私たちを護衛してくれた、アスカロンの皆さんの命も」

「御身が最優先です。御身さえ守れたなら、我らの誉れです」

 いや、私たちは誉れよりも命が大事なんですけどね、巻き込まないで欲しいんだけど、とプラエは思ったが、わざわざ口には出さなかった。

 主従のやり取りをどこか冷めた目で見ていたプラエの通信機が、微弱な音を伝えた。誰かの通信機がたまたまぶつかった音か? と思っていたが、どうも違う。規則的に音を伝えてくる。

「ああ、クソ、あの子本気?」

 通信機の弊害、相手の状況がわからない時に声を出し、敵に気づかれかけた経験を活かして、規則的な打音による簡単な信号をアカリと考えた。その信号が繰り返し送られている。

 最終手段の用意。

 信号は繰り返し伝えてきている。

 確かに最終手段の用意はしておいた。だが、諸刃の剣だとも伝えたはずだ。命が助かる可能性が高いのは、コルサナティオ王女を差し出すことだ。敵もほら、まさに今そう言ってる。嘘の可能性もあるけれど、この状況なら誰だって投降する。

「そりゃ、心情的には王女に味方したいし、私自身も出来るなら彼女を送り届けてあげたい。でも、わざわざ困難を切り抜けるために困難を呼ぶ? 普通」

 頭の冷静な部分がそう叫んでいるが、彼女の体は自分の袋を漁っている。必要なものを取り出し、準備を進める。

 彼女たちは、プラエ、ギース、モンド、テーバ、元ガリオン兵団の者たちは、アカリを支えると決めたのだ。無茶はもちろん諫めるが、見てみたいと思ったのだ。彼女の行く末を。この地に無い知識や習慣、考え方をもつルシャが、この地をどう変革していくのか。誰も見たことのない光景に連れて行ってくれるのではないかと私たちは彼女に賭けたのだ。一体誰が、自然災害と同義のインフェルナム討伐を掲げる? 今更、この程度の無茶無理無謀など、どうということはない。

 それに、本能の部分。魔術師の知的好奇心が理性の声をかき消すほどに叫んでいるのだ。仮説は実証してこそ。師の教えの一つでもある。

「プラエ女史、今、よろしいですか?」

 いつの間にかコルサナティオが近寄ってきて、プラエに話しかけていた。

「その通信機で、アカリ団長にお伝えください。私を差し出せと」

「王女!」

 ファルサが諫めるが、コルサナティオは「良いのです」と彼の手をやんわりと振りほどいた。

「ファルサ。私を差し出した後、可能な限り逃げなさい。おそらく、彼らは私が死んだ直後メリトゥムが爆発することを知りません。強行突破してでも逃げなさい。敵の目的は私。無理に追うことも妨害することもないでしょう」

「王女、させません。そんなことはこの私がさせません」

 もう一度、今度は折れんばかりの力でファルサが彼女の腕を取った。

「逃げる目はあるとお伝えしたはず。無理やりにでもお命は守らせていただく」

「ファルサ!」

「ちょっと、五月蠅い」

 二人を引き離す。

「その元気、取っといた方が良いわよ。これから忙しくなるからね」

「どういう意味、でしょう?」

「将軍の言う通り、逃げられる目はあるわ」

 二人の目が見開かれる。

「ただし、かなりの賭けになることは請け合い。アカリが喋って時間を稼いでいるのは、その準備を私にさせるためと、王女。あなたの覚悟を問うているのですよ。死ぬほどの辛い目に遭っても、それでも生きる覚悟があるか」

「私の?」

「そう。だってあなた。私たちがドンバッハ村を援助してって頼まなきゃ、命を捨てても良いみたいな感じだったでしょ? 今だって簡単に自分を差し出せとか言うし。そんな奴を命がけで守るなんて、バカバカしいじゃない?」

「プラエ女史、言うに事欠いて王女に向かって奴だのバカだのとっ」

「五月蠅いってば。私ゃあんたに聞いてない。で、どうですかね王女。そこんとこ。あなたは、私たちが、いや、私たちだけじゃなくて、ティゲルやそのご家族、将軍や近衛兵、自分の国の連中、そいつらが命がけで守るほどの価値はありますかね?」

「私、は」

「一応わかってますとも。あなたは王位継承権から最も遠くて、これまで特に何かを成したわけでもないし、第一王子とか王妃とかみたいに他国とパイプを持っているわけでもない。王族っていうラベルがなければ、十代の小娘。ただの小娘なら命惜しさに何でもするから助けてと泣き叫ぶでしょうけど、それすらない小娘」

「だって、私は」

「この状況でだってもクソもなしで行きましょう。何が何でも自分が成したいことを、心の底からの願いを、せめて命がけの今この時くらい吐き出して。私たちが命を賭けるに足る願いが、私たちを踏み台にしてでも叶えたい欲望があるか、答えてくださいな。プルウィクス王国第二王女、コルサナティオ・プルウィクス」

 通信機から聞こえる打音が激しくなっている。アカリがかなり焦れてきている。準備時間を考えたら時間稼ぎも限界というところか。

「私は、あなたの言う通り、何もない小娘です」

 コルサナティオが口を開いた。

「自分はただの交渉材料、いざという時の罠、そして、ゆくゆくはどこかの国との同盟のために嫁ぐ政治の道具。自分の価値など王族というラベルが保証する物ばかりで、それを良しとして受け入れていました。自分から何かを成す必要はなく、何も求められず、ただ父である王の言う通りに生きて、王が死ねば次代の王の指示で国益のために死ぬ女です。その私が願いなどあろうはずがありません。あっては、ならない」

 コルサナティオがファルサを見た。その後ろに控える、近衛兵たちを見た。ティゲルを見た。プラエを見て、その先のアカリを見た。

「このたった数日の旅路で、そんな私のために命を賭けてくれる臣下がいて、犠牲になった方がいて、助けてくれる傭兵団がいる。それだけの労力にあった価値を、申し訳ありません。今の私は持ち合わせておりません。ですが。これを借りということにしていただけませんか」

「借り、ですか?」

 コルサナティオがプラエを見た。見たというより、睨んだ、という方がしっくりくるような、強い視線だった。にたぁとプラエが笑って受ける。

「これから、私は私の価値を作ります。あなた方と、ファルサたち、ドンバッハ村の人々やプルウィクスに住まう人々、皆が生かしただけの価値を、皆が誇れる価値を、これより作ります。それでいかがですか?」

「へえ、作れます? そんな価値。なかなか高額ですよ? ドンバッハ村の援助など塵芥も同然と思えるほどに」

「できます。やってみせます。ここまで言われて黙っていることなど、私のプライドが許しません」

 おっと、焚きつけ過ぎて炎上したようだ。王族なんだからプライドが高くて同然。彼女のそれは生まれや役目などで枷を嵌められ、殻をかぶっていただけだ。ちょっと挑発すればこの通り。だがこれで、言質は取れたも同然。ここからどうなろうとあとで王族から訴えられるということもないだろう。それこそ王族のプライドに賭けて。やはり保証はあった方が良い。アカリが確認したかったのは覚悟じゃない。言質だ。あの子は意外とこういうことに細かい。

「答えとして、いかがですか?」

 文句あるか? と言いたげな口調でコルサナティオが鼻息を荒くした。

「上々です王女。では、私たち傭兵団アスカロンは、王女の脱出のためにあらゆる手段を用います。その際、王女並びに将軍たちや近衛兵の皆様にも最大限の協力をしていただきますが、よろしいですね」

「許可します」

「ありがとうございます」

 通信機を短く叩く。

「さあ、後は野となれ山となれ、だっけか」

 ルシャのことわざを口にして、プラエはある魔道具を構えた。

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