第123話 夜が来る

 日は中天を過ぎ、傾き始めていた。完全に暮れるまで、後二、三時間といったところか。理想としては残り五キロを切っておきたいが。

「プラエさん。今どのくらい歩きました?」

 通信機で問いかける。

『ええと、進んだ距離としては、二十キロは超えてる、けど』

 彼女の口が萎んでいく。

『正直、まだ真ん中を越えたくらいの位置だと思う』

 真ん中、というと、十三、四キロほどか。

『うん、今ティゲルにも計算してもらったけど、答えはほぼ同じだった。ちょっと替わるわね』

 ごそごそと音がすることしばし。

『アカリさん、聞こえますか~』

 緊張感のあまり感じられない、代わりに疲れを感じさせる間延びした声が聞こえる。

『基準にした山の位置から見て、大体十四キロ越えたかな、くらいです』

「わかりました。二人の答えが一致しているなら、そうなのでしょう」

 残り十キロを二時間ではかなり厳しい。誤算の理由はいくつかある。

 まず、位置を確認しながらの移動となったこと。

 森は深く、ともすれば遭難しかねない。太陽の位置や森からでも見える高い山の標高をティゲルが知っていたのでそれを基準とし、三角関数で山の頂点と頂点からの距離を、頂点から三角測量の原理で移動距離を出していた。リムスでまで方程式やサイン、コサイン、タンジェントに出合うとは思わず、学生時代の赤点を思い出して別の意味で疲れた。いまだにそれらの記号はトラウマだ。暗号にしか思えない。

 だが、ここで可能な限り正確な位置を割り出しておかないと、森を変なところで抜けてしまい、敵が布陣していた、なんて笑えない状態になる。可能な限り東端で出るためには仕方なかった。

 次に森の中でも迂回せざるを得ない状況が何度か発生したこと。

 進むにつれ、時折異臭のする場所や大木が倒れている場所に出くわした。異臭の原因はサルトゥス・ドゥメイの糞だ。ティゲルが言うには、サルトゥス・ドゥメイは習性として、自分の縄張りを示すために糞や体を木にこすり合わせて自分の体臭をつけるらしい。その匂いの中に入ってしまうと、縄張りを侵略されたとしてサルトゥス・ドゥメイが襲ってくることになる。無用な交戦をするわけにもいかず、出くわすたびに迂回し、その都度位置を確認して更に時間をかけることになった。

 最後はコルサナティオとティゲルの体力だ。旅慣れていない彼女らの速度にどうしても合わせなければならない。途中でファルサが王女を抱え、ティゲルをゲオーロが背負ったりもしたが、長く続けば今度は彼らの体力が尽きてしまう。ティゲルは今では虚勢を張る元気もなくなり、コルサナティオも声を出すのも億劫な状態だと報告が上がってきている。休みたいが、これ以上の休憩は森の中での夜営を意味する。いや、いっそ割り切って夜営し、体力を回復させることに振り切った方が良いのだろうか。私も決断を迫られていた。

 ここで決断をすぐに出せない時点で、私もかなりの疲労が溜まっていたのだ。

『走れ!』

 突然のモンドの大声が、通信機越しと、空気振動のダブルで聞こえた。

『敵襲だ!』

 緊張が一気に高まる。ここまで来て! 舌打ちしたいのをこらえ、代わりに通信機で分かれている団員たちに指示を飛ばす。

「テーバさんはすぐに中央の王女たちと合流、合流後は王女を守りつつ東へ先行! 左右からの挟撃を警戒! ジュールさんはモンドさんの方へ!」

『了解!』『すぐ行く』

「モンドさん、敵の規模は!」

『ざっと十四、五人くらいの連中と交戦中。追加はわからん。見通しが悪すぎる!』

「私もすぐに合流します!」

『頼む!』

 まさか森の中まで奴らの警戒網が敷かれていたのか。モンド隊の元まで急ぎながら思考も走らせる。

 もし警戒網を敷いていたとするなら、最初に遭遇するのは先頭を歩いていた私のはずだ。後ろを追いつかれたということは、騙された連中が追ってきたのか。向こうだってサルトゥス・ドゥメイの存在は知っているはずだ。それを知ってなお追ってくるとは、相手の必死さが伺える。

 だが、どうも腑に落ちない。いくら相手の方が足が速いとはいえ、一時間以上は時間を稼いだ。相手だってサルトゥス・ドゥメイの襲撃を警戒しながらの探索だったはずだ。この広大な森の中を、襲撃を警戒しながら追尾する難易度は、こちらよりも上だ。暗殺者だから、追跡の技能、技術が高いのか。それともそれ専用の魔道具でもあるのか。王女たちが襲撃を受けた時も、相手は行動を読んだかのように先回りしていたと聞く。

 首を二度、三度と振る。追跡の件は後回しだ。危険度が時間と共に上昇していく今、襲撃者を一秒でも早く撃退するのが最優先だ。ここで手間取れば第二、第三の襲撃を許すことになり、さらに時間が過ぎれば森の中での夜営が確定となる。

 中央に位置していたコルサナティオとすれ違う。彼女が心配そうな顔でこちらを見ていた。問題ないと一つ頷いて見せ、後は振り返らずに走る。

 木々の隙間から音が届く。モンドの大きな背中が見えた。彼を左右から囲むように二人の暗殺者が位置している。敵の位置取りが上手い。一人にかかればもう一人が背後をすぐとれ、かといってその場でどう振り回してもモンドの武器は掠りもしない。相手に焦りとプレッシャーを与え続けて隙を見出そうという魂胆か。敵も急ぎたいはずなのに、ここで倒しておくべき相手とモンドを見据えたようだ。それだけでも油断してはならない連中だと分かる。モンドも攻め手に欠け、守勢に回らざるを得ない状況だ。他の団員にも一人、もしくは二人が張りつき、加勢に行けない。一人でも倒れたら、一気に形成が傾くギリギリの状況だった。

 彼の後ろで枝葉が揺れた。音に気付いたモンドが、振り返るのと音から遠ざかるように横に飛ぶのを同時にやった。

「っぐぅ!」

 しかし一瞬早く、彼の腕を白刃が貫いた。一拍置いて、肘から血が滴り始める。鎧の隙間を縫うような的確な刺突。モンドの死角から現れたもう一人の暗殺者は、さらに踏み込み、今度は彼の首を狙った。

 慣れた手つきでウェントゥスを構えながら伸ばす。手首を返し、切っ先を相手に向けたタイミングで相手に剣先が突き刺さる。釣りでいうところのバックハンドキャストのような動きだ。刃の軌道が、的確に暗殺者の手首を通過した。手首がずれ、剣の重みと一緒に落ちていく。

 悲鳴と血しぶきが溢れる。私から見て奥、モンドと相対していた二人の暗殺者が一瞬仲間に気を取られた。

 モンドが前に出た。体当たりと見まがうほど相手に接近し一人の頭をかち割る。もう一人がすぐに応対し、側面を見せたモンドに切りかかる。

 剣が胴を薙ぐ。仲間だった亡骸の。

 一瞬早く、モンドが命を刈り取った暗殺者を相手の前に放り出したのだ。ケガした腕で無茶をする。だがその甲斐はあった。己の命を守り、敵の命を刈れるのだから。

 再び戦斧が唸る。斜め下から振り切られたそれは、敵と敵の死体両方を腰から肩にかけて斜めに寸断した。

「モンドさん!」

 ようやく彼の名を呼ぶ。

「こっちは大丈夫だ! 他の団員を頼む!」

 頼まれなくとも、すでにそのつもりで動いている。私と共に来たムトたちが、モンド部隊の団員に加勢している。傾きかけた戦況を再び押し戻す。

 ムトたちが相対していた三人の暗殺者、その内一人の頭部が殴られたようにのけ反って倒れていく。頭に突き刺さったのは、ロープのついた杭だ。杭が死んだ暗殺者の頭から勝手に抜け、隣にいた暗殺者の腹部を貫く。ただの杭じゃない。魔道具『ウガッカ』だ。持ち主の意志で自在に動かすことのできる、この魔道具を巧みに操れるのはただ一人。

「間に合ったか!」

 ジュールだ。木々の生い茂る森の中では銃よりも蛇のように相手を狙うウガッカの方が適任だ。

 横からの奇襲に、次第に暗殺者たちは数を減らしていく。逃亡しようとした相手もウェントゥスやウガッカ、銃で追撃し、全滅させた。こちらの情報を持ち帰らせるわけにはいかない。

「こちらアカリ。襲撃者は撃退した。ギースさん、そちらはどんな状況ですか?」

 団員たちに周囲を警戒させながら状況確認を行う。

『こちらギース。我々の方に襲撃はない。全員無事だ。そっちは大丈夫か?』

「モンドさん含め、数名が負傷。幸い戦死者は出ませんでした」

『・・・その割に、声が暗いな。理由は何となく察するが。ともかくこっちに合流してくれ。こちらも問題が出てきている』

「了解しました。プラエさんに治療の準備をお願いしてください」

『ああ』

 今後の事を考えると、日没を待たずして気分は暗くなった。あまり考えたくないことを、どうしても考えなければならなくなる。

 作戦に不備はなかったか。森を抜けるのはやはり無理だったのか。もしかしたらもっといい方法があったのではないか。

 敵はどこまで展開しているのか。さっきのは遭遇戦なのか。それともこちらの位置がばれているのか。それは何故か。


 裏切り者が、いるのではないか。

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