第115話 手が届く範囲

 敵の首がごろりとウェントゥスの刃から滑り落ちる。

 その後ろから領主に向かって追随してきた残りの敵二名の踵が砂埃を上げた。急ブレーキをかけたのだ。そのまま、私の方を見ている。

「止まったな?」

 睨み、呟く。

 相手は迷っている。そりゃそうだ。目の前で仲間が殺されたのだから。この事実から得られたものは、長距離からの攻撃である事と、相手は女である事だ。彼らの選択肢は二つ。

 動じずこのまま突き進み、領主、及び私を殺すこと。

 反転し、撤退すること。

 この二つきりしかない。

 だが、彼らは止まった。迷ったのだ。相手が女だからという事実が侮りを生み、味方が長距離の攻撃で死んだという事実が警戒と恐怖を生んだ。どちらか一方がわずかでも秀でていれば、彼らの判断はもっと早かっただろう。しかし、残念なことに拮抗した。迷い、足を止めた。どうするか、考える時間を必要としたのだ。しかも二人というのが災難に拍車をかけた。一人ならもっと早かったかもしれない。だが、相手の判断を互いに求め、顔を見合わせた。この代償は大きい。

 私がこの世界に飛ばされて最初に学んだことを、彼らは誤った。二つきりしかない選択肢を保留した。だから何もできず死ぬことになる。

 彼らの横、燃え盛る畑の中から巨大な影がぬっと飛び出す。防火服を着たモンドたちだ。敵も、まさか炎の中から飛び出してくるとは思わなかったようだが、私たちが何と戦っていると思っている。

 まあ、それを知ることは永遠にないけれど。

「おおぉ!」

 モンドの剛腕が唸る。筋力の恩恵を受けた戦斧が、立ち止まっていた男の胴体を真一文字に切り飛ばした。敵は腰から上がバウンドしながら転がった。

 隣にいた仲間の死に、さらに思考停止状態に陥った最後の敵の胸が裂けた。背後から迫っていた団員が槍で貫いたのだ。口から血を溢れさせ、こちらも絶命した。

「周囲の警戒を怠るな!」

 敵を倒したことを誇ることなく、モンドが指示を飛ばす。団員たちは領主を囲んで陣を組んだ。

「無事ですか?!」

 駆け寄って警戒の輪に加わり、肩越しにザジに声をかける。

「あ、ありがとうございます。私たちは無事です。ですが」

 後悔を滲ませながら、ザジは畑だった場所を見た。彼らの努力が全て消えていくのを、なす術なく見つめるという拷問を味わっている。

「団長、敵影は見当たらない」

 モンドの報告で、次の行動を決める。

「申し訳ありませんが、すぐに移動します。このままでは館も危ない」

「えっ!? まさか、先ほどの連中の仲間が?」

「います。ここにたどり着くまでに二組。他にもいるかもしれません。他の団員達には館に残り、防衛するよう指示を出しています。今から戻り、館を攻めている相手を挟撃します。走れますか?」

「はい、大丈夫です」

 ザジは良いとして、問題は足を射抜かれた村人だ。モンドに視線を向ける。わかっていると彼は頷き、足を負傷した村人を抱えた。

「揺れて痛むが、我慢してくれ」

 村人は唇をかみしめながら何度も頷いた。

「行きましょう」

「あ、あの!」

 動き始めた私たちを、ザジが呼び止めた。

「彼ら、は・・・」

 ザジの視線の先に、血の海に沈む村人の亡骸があった。このまま放置したら、火が燃え移ってしまうかもしれない。焼死体は惨い姿になる。それでも、私は言った。

「放置します」

「そんな」

 歯を食いしばり、ザジは俯く。彼もわかっているはずだ。そんな時間はない。時間がかかればかかるほど、館に危険が迫る。

「すみません。生きている人間だけで手一杯なんです」

 駆け出す。もう呼び止められなかった。



 館に到着した時、私は目を見張った。

 すでに館が攻め落とされ、燃え落ちていたから、というわけではない。戻る途中にプラエに連絡して、館の守りが保たれているのは把握している。

 逆だ。敵の死体が館の外に転がり、館を包囲している敵の生き残りが、館の前に立ち塞がるメイドを前に攻めあぐねている。もう一度言う。メイドを前に、彼らは攻めあぐねている。アスカロンの団員も同数程度混ざっているが、彼女たちのインパクトのせいで視界に入ってこない。

「シュールね」

 心の声が口からこぼれ出ていた。いや、出るだろう。ヴィクトリア朝風クラシカルメイドたちが、槍や弓、大剣、中には両手にメリケンサックを嵌めて敵を威圧しているのだから。とんだ武闘派メイドさんズだ。好きな人はたまらなく好きなジャンルだ。

 彼女らの中に、あの一番幼いメイドはいない。やはりまだ修業中の身ということで、ファルサと共に館の中に籠っているのだろう。

 とにもかくにも好都合だ。彼女たちが目立てば目立つほど、私たちは仕事がしやすい。途中で合流した団員たちに視線で合図を送る。音を立てずに散開し、館を包囲している連中をさらに外側から包囲する。位置に着いた団員たちから合図が来た。

 手を掲げ、振り下ろす。団員たちが潜伏個所から一斉に飛び出す。ようやくこちらに気づくが、遅い。

 目の前にいた敵の背中にウェントゥスを突き立てる。敵は、驚愕に目を見開きながら私を肩越しに見た。信じられない、といった顔だ。そのまま柄を捻りあげ、致命傷を与える。敵が一度咳き込む。血の混じった咳だ。一緒に最後の吐息が口から出ていった。瞳からは生気が失われ、虚ろになる。私の顔を映しているが、もう何も見えないだろう。

「卑怯、だなどと言わないでくださいね」

 ウェントゥスを引き抜くと、支えを無くした敵は力なく崩れ落ちた。

「状況を確認。周辺の警戒を怠らないで。安全を確認後、隠れてもらった領主様たちを館まで案内してください」

 声を張る。団員たちは各々敵に止めを刺しつつ、互いに安否確認と協力しながら周囲の警戒を行っている。彼らに後を任せ、メイドたちの方へと近づく。

「中の皆さんはご無事ですか?」

 プラエから無事は確認しているが、そう声をかける。

「はい。賊は一匹たりと中に入れていません」

「お疲れ様でした。ご助力、感謝します」

「いえ、私たちはファルサ様の指示に従っただけですので」

「そうでしたか。ではファルサさんにもお礼申し上げたほうが良いようですね」

「アカリ団長!」

 身を潜めていたザジや生き残りの村人たちが、団員に連れられて駆け寄ってきた。

「家族は、村の者たちは!?」

「落ち着いてください。傷に障ります。残っていたうちの団員たちとファルサさんの部下の方々が協力して守り抜いたので、中の皆さんは無事です」

 それを聞いて、へなへなとザジは脱力した。

「良かった、良かったぁ」

 ありがとうございますと、ザジは涙と鼻水を流しながら何度も言った。

「お父様!」

 館のドアが勢いよく開かれた。

「まだ出ては」

 ドア付近にいたメイドの制止を振り切ってティゲルが外に飛び出した。後に夫人が続き、ザジに抱き着く。

「お父様、ひどいケガを」

「大丈夫だ、大したことない。お前たちも無事でよかった」

「私たちは大丈夫。皆さんが守ってくれたから」

 三人一塊になって泣いている。しばらくはこのままの方がよさそうだ。彼らに倣って、中から避難していた村人が外に出て、ザジの後ろにいた村人たちとの再会を涙して喜んでいる。

 だが、慟哭を上げる者もいた。おそらく、殺害された村人の家族だろう。家族の前には、殺された村人の最後を伝えた者がいた。私たちが保護した男性の一人だ。彼の手は固く握りしめられ、震えていた。怒りと後悔がないまぜになって、死んだ事実以外何も家族に伝えられないもどかしさと情けなさを抱えて俯いている。きっと、一生自分を責めることになる。あの時こうしていれば、ああしていれば、と。彼らにかける言葉もまた、誰も持たない。

 いつの間にか、一番幼いメイドが外に出ていた。彼女はその光景を、焼ける畑を、転がる死体を、泣き崩れる家族を食い入るように見ていた。まるで、絶対にこの光景を忘れないと、脳に刻み込むかのように。その後ろにファルサがいた。使用人に連れられて、という感じを受けない。逆だ。ファルサの方が彼女に付き添っているかのようだ。

 声をかけようとした私の視界の端で、何かが動く。村人だ。村人、のはずだ。だって、村人と似た服装をしている。誰かの家族、のはずだ。

 こんな村人助けた中にいたか? いや、女性や子どもが多かった。男はザジと一緒にいた三人だけ。ならば先にテーバたちが避難させていたうちの誰かか? それなら私が知らなくてもおかしくない。おかしくないが、おかしい。それならば、館の方向から出てこなければならない。何より、村人が集まる場所ではなく、彼らを見つめるファルサたちの方へと歩を進めているからだ。

 違和感は消えず、ならば念のため村人であっても止めるべき、と頭が判断した。その時には村人と思しき男はファルサまで十数メートル程の距離にいた。

「止まれ!」

 同時にウェントゥスを構える。その場にいた全員が私の方を振り向く。聞こえているはずの男は、加速した。腰から鈍く光る刃を取り出して。

 舌打ちし、ウェントゥスを構える。

 引き金は引けなかった。私が撃つ前に、ファルサの剣が村人の体を両断していた。

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