第102話 幕間 新人団員が学んだ最初の教訓

 いつもの見知った、レンガ造りの壁じゃない。

 目覚めを知らせるのは、工房から聞こえる力強い鎚の音ではなく、吹雪が窓を叩く音でもない。

 室内なのに掛け布団が恋しくなるような肌刺す寒さはなく、かといって炉の熱によって蒸し暑くなっているわけでもない。

「ああ、そうか」

 自分を起こしたのが鳥のさえずりで、室温を一定に保っているのが魔道具によるものだと頭が理解したとき、同時にここが自分の住み慣れた場所ではないことも理解する。いい加減慣れないといけないのだが、まだ目覚めるたびに少し驚き、そして少し不安になる。その不安こそが、今の自分の居場所を無理やりにでも教えてくれるわけだけれど。

 今の自分の居場所は、傭兵団アスカロンである、と。

 胸に湧き出した不安を払しょくするために顔を洗いに外に出た。日差しが強い。目が眩むほどだ。団のみんなは、これが普通くらいだという。今まで山奥の、日の光が弱い場所にいたせいかもしれない、と団長が言っていた。進化の過程とか、適応とか、むつかしいことも言っていたが。

「お、ゲオーロ。おはよう!」

 背後から声をかけられる。振り向くとムトが人懐っこい笑みを浮かべて、こちらに手を振っていた。

「おはようございます。ムトさん」

「だから、ムトで良いって。同い年だろ?」

 笑いながら近づいてきて、俺の肩をポンポンと叩いた。

「しかし、団の中では先輩ですし」

「そうなんだけどね。でも、もっと気軽に話したいしさ」

 彼は今まで同年代の団員がおらず、ずっと丁寧な口調で暮らしていた。初めての後輩、初めての同年代の入団に、嬉しさを隠そうともせずに接してくれている。彼のおかげで、自分のような口下手な人間も、上手く団に溶け込めている、と思う。

 しかしだ。彼は気軽に「話そうぜ」などと言ってくれるが、考えてもみてほしい。彼は現在人気急上昇中のアスカロンで幾度も戦いを潜り抜けてきた歴戦の猛者だ。昨日今日入団した自分が、対等に話しかけていいものか。

 二人して井戸からくみ上げた水を桶に入れ、顔を洗う。

「それにさ、気軽に話し合いができるってのは、後々効いてくると思うんだよ」

 顔を服の端で拭きながら、ムトが言った。

「効いてくる、とは?」

「団長やギースさんが言うには、戦いは準備の時点からすでに始まっており、準備の時点で決まることが多いって。つまりさ、道具を準備するところから、戦いの勝敗が決まるわけだ」

「ふむふむ」

「特に団長は、魔道具についてプラエさんとかなり念入りな打ち合わせをする。使い心地はどうか、誤作動はないか、とかな。僕はそれを知った時、目から鱗が落ちたね。それまでは、自分の腕っぷしが強ければどうにでもなる、って浅はかな考えをしていた。だから最初は、ゲオーロの前で申し訳ないけど、ちょっと道具を軽視している部分があった」

 今はもちろん違うぜ? とムトは少し恥じながら言った。

「僕たちが相手にするのは、ドラゴン。小型でも亜種でも、人間の身体能力なんて全く相手にならない怪物だ。それを何とか相対できるまでにしてくれるのが道具なわけだ。でも、道具は持ち主を選ぶ」

「へ?」

 突然ムトが変なことを言い出した。道具が持ち主を選ぶなんて、そんなことあるわけない。

「あ、いや、本当に意思を持っているとか言うつもりはないよ。物の例えだ。ええとね、例えば団長の魔道具のウェントゥスがあるだろ? わかるか?」

 もちろんわかる。美しき風を纏う剣だ。魔道具としても、剣としても素晴らしい出来栄えで、いつか触らせてもらいたいと思っている。

「ああ、もしかしてウェントゥスは団長しか使えない、という意味ですか?」

「ちょっと違う。一応、僕でも使うことができるけど、団長のように使えないという意味なんだ」

 ますますわからない。道具は、誰でも同じように使えるもの、というのが自分の考えだ。同じように成果を生み出す、例えば剣なら切れる、盾なら防げるというように。

「おっと、作りに関して素人の僕が言うのもなんだけど、それはまずいんじゃないか?」

「どうしてです?」

「例えばだ。人間一人ひとりにも個性があるだろ。ゲオーロは僕よりも背が高いし、手足も長い。そしたら、ゲオーロにとって振りやすい剣の長さは、僕にとって振りにくい剣の長さってことになる」

「あ・・・」

 これまで軍に支給する、長さや重さ、柄の位置などすべての規定が決まっていた武具しか作ったことがなかったが、言われてみれば当たり前だ。人それぞれ、身長や体重、力の強さは違って当然なんだ。

「持ち主を選ぶってのは、そういう意味で使ったんだ。僕には僕の、ゲオーロにはゲオーロの最適な使い心地がある。そりゃもちろん、誰にでも使えるものもある。スライム戦の時に使ったトニトルスとかドラゴンを縫い留めるカテナとかね。こういうのは、誰にでも使えなければならないから逆に打ち合わせは増えるらしいけどね。けれど、いざというときは自分の最も得意とする武器で戦うことになる。そして、その武器を調整してくれるのは、プラエさんやお前だ」

「俺、が?」

「そうだよ。その時、僕たちの間で変な遠慮があったりしたら、細かい調整までできないかもしれないじゃないか。そうなると、僕は戦場で死ぬかもしれない」

 ショックを受けた。自分の作ったものが悪ければ、使った人間が死ぬ。心の準備ができていない証拠だ。顔を洗って不安を消すつもりが、ますます増大してしまった。

「おい、なんて顔してるんだよ」

 ぼす、と胸を拳で叩かれる。

「そんなことにならないよう、日ごろからこうやってコミュニケーション取って、互いの意図をくみ取れるようにしとこうって話さ。しっかりと僕が注文して、ゲオーロがしっかりとそれを形にしてもらえれば、僕はしっかりと生き残れる。だから、お前も言うべきことは言う訓練を、まずは僕でしておくべきだ。僕で慣れておいて、他の団員のみんなとも話ができるようになるべきだ。それが、ひいては僕たちを生かし、活かすんだから」

 同年代のはずだ。でも、彼の考え方は俺なんかよりもはるかに秀でていて、さらに気後れた。団を守るためにここまで考えている。自分のために団に入った俺とは、格が違う。

「何でさらに落ち込むんだよ!」

「いや、だって、ムトさん、その年ですでにそんな色々考えてて、対して俺は、何にも考えてなくて」

「バカ、これくらい大したことじゃないし、団長と比べたら僕なんてまだまだだし。それに、僕だってこの団に入るまでは何も考えてないただのバカだった。でも、この団に入れてもらえて、皆に助けられてここにいる。ゲオーロが僕を褒めてくれたのは、僕があの時よりも少しでも成長できたから、だと思う。自分でいうのは恥ずかしいけどね。で、僕にできたんだから、ゲオーロにもできる。間違いない」

「成長、出来るでしょうか。俺も」

「できる。だって、ここには団長や、皆がいるから。皆と一緒に戦っていれば、皆の考えや技術が学べる。小さい団は、そうやって互いに助け合って、高めあっていけるメリットがあるんだ。そうやって生きていくしかないんだから。そして、何もかもが僕の何倍も優れている団長よりも、唯一僕らが勝っていることがある。それは」

「それは・・・?」

「若さだ。僕たちの方が、団長よりも若い。だから多く学べる。若い方がたくさん知識を吸収できる。僕たちはまだまだ成長できるんだ!」

 熱い。熱い何かが腹の真ん中に生まれた。これが若さ。これが情熱。折れかけていた心が、情熱の炎によって鍛えなおされる。

「お、俺、頑張ります。頑張って学びます」

「違うだろ、ゲオーロ」

「・・・お、おう。頑張る、よ、ムト!」

「ああ。お互い、頑張ろうぜ!」

 ガッと熱く握手を交わす。

「楽しそうね」

 友情が生まれたことを確かめ合っていたところに、件のアカリ団長が現れた。

「「団長、おはようございます」」

 二人して頭を下げる。

「おはよう、二人とも。朝から元気ね。・・・なるほど、それが若さなのね」

 若干、棘のあるような、ないような、非難するような、悲しむような、そんな声だ。

「だ、団長?」

 ムトが恐る恐る、といった風に顔を上げた。俺も追随するように顔を上げる。

 団長は、少し悲しそうに眉尻を下げて微笑んでいた。

「そっかー、二十歳過ぎたらおばさんって、こういう事かー」

「ち、違うんです団長。ていうかどこから?」

「何が違うの? 何も違わないわ。私はあなた達よりも年上ですよ? 間違いなくあなた方より劣っているところですけど? 何か?」

 体が震えている。変な汗で背中がびっしょり濡れている。今日、死ぬかもしれない。そんな予感がしている。こんな状況で口が利けるムトはやはりすごい。

「良いのよ。当たり前のことを言っているだけなのだから。私は全く、これっぽっちも気にしないわ。ただ」

 すっとアカリ団長が横に移動した。

「私が気にしなくても、彼女はどうでしょうか?」

 ゆっくりと、それは近づいてくる。足音はない。けれど、俺たちにとっては、それはドラゴンの足音よりも恐ろしかった。

「面白い話、してるじゃない」

 参謀のプラエだった。彼女もまた、笑顔ではあった。

「そうね、二人の話を当てはめるなら、アカリよりも年上の私は、さらに劣っているという事よね」

「違う、違うんです。そ、そそそそういうつもりではなくてですね・・・」

 ムトはかろうじて言い訳をしようとするが、いかんせん歯の根があってない。

「若いって羨ましいわぁ。・・・あ、そうそう、どこかの文献で読んだんだけど、若返りの薬の作り方をなぜか唐突に今思い出したわ。アカリ。作り方、知りたい?」

「わあ、すごい。ぜひ知りたいです」

 恐怖におののく俺たちをしり目に、ひどく棒読みの二人の女性の会話が続く。

「えっとね、火山の火口に生える百年に一度咲く花に永久凍土の氷、深海に住むと言われる人魚の涙などなど」

「どれも入手困難な伝説級の代物ですね」

「ええ、でも唯一簡単に手に入るものがあるの」

「それって一体何ですか?」

「人の生き血。若ければ若いほどいいらしいの」

「なあんだ。それなら今すぐ手に入るじゃないですか」

「そうなのよ。今から、確保しておこうかと思うのよ」

 ガッ、と顎を掴まれ、ギリギリと持ち上げられる。爪が頬に食い込んでいるのに、痛いという感覚が鈍い。恐怖が全てを塗りつぶしている。

「あら、良いところに?」

 楽し気なプラエの顔が俺たちの真ん前にあった。彼女の全く笑っていない左右の瞳に、おびえる俺たちの顔がそれぞれ映っていた。

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