第100話 時間の価値
宿に戻ると、食堂に全員が集合していた。
「ああ、戻ってきた。団長、丁度良かった」
ギースが私に気づき、手招きした。
「どうしたんですか?」
「お客さんだ」
ギースが道を譲ると、食堂中央に見慣れた顔があった。
「ファキオ親方?」
鍛冶師のファキオがこっちに向かって手を振ろうとして、包帯を巻いているのを思い出し、顔を苦々しくしかめた。先日のスライム戦、自ら盾を掲げて領主を守っていたが、その時に右腕を折っていた。
「アカリさん。お忙しいところ申し訳ありません。この度はお願いがあってまいりました。もしご都合悪いようでしたら、時間改めさせていただきますが・・・」
「いえ、お気になさらず。大丈夫です。そんなことより、私に何か御用ですか?」
そう言うと、ファキオは笑って否定した。
「いえ、私じゃありません」
ファキオが私から視線を移す。その先にいたのは、大きな体を小さく縮めた彼の弟子、ゲオーロがいた。
「ゲオーロ、お前自身の事だろ。お前の口からちゃんと話すんだ」
ファキオの言葉に背中を押されたか、ゲオーロがもじもじしながら進み出た。そして、これでもかというくらい頭を下げ、腰を曲げた。
「お願いします! 俺を、アスカロンに入れてください!」
突然の申し出に面くらう。
「・・・ええっと、どういう事でしょう?」
説明を求め、頭を下げたままのゲオーロとファキオに尋ねる。
「いや、実はですな。きっかけは、うちの工房が営業できなくなったことに始まりまして」
スライムが暴れまわった際、炉とした中央広場やその周辺はかなりの被害が出た。多くの家屋が破壊され、そのうちの一つがファキオの工房だった。工房はまだ広場から離れていたが、思いのほか跳ねた流れ触手が工房の心臓ともいえる炉を直撃し、全壊した。中で作業していた女性陣には幸いケガはなかったものの、修繕には数か月かかるという。
「他にも優先して直さねばならない場所もあるし、街の工房の数からいえばうち一つ遅れても王都に卸す武具等の出荷には困らならないし、そもそも儂の腕の骨が治るまで一か月以上はかかるもんで、ちっとばかり療養しようと思いましてな。で、以前から遊びに来い孫の顔見に来いと言っておった娘夫婦の厄介になろうかと。しかしここで、ゲオーロの生活をどうするかっちゅう話になったわけです。こいつは独り身で家族もいない。儂の工房で住み込みで働いていたので、寝床もない。最初は他の工房に頼み込んで、鍛冶の修業や仕事を続けさせようと思ったんですが」
「俺はファキオ親方の腕に惚れこんで弟子入りしました。他の親方の皆さんも優れた腕をお持ちですが、ファキオ親方以外の方に師事するつもりはありません」
「と、きたもんで。自信がないくせに、こういうところは強情っつうかなんつうか鋼鉄もかくやでして。そこで、です。こいつを傭兵団の鍛冶師として雇ってはもらえないかと思いついたわけです」
ファキオが近づいてきて、ゲオーロを少し気にしながら耳打ちした。
「身内びいきじゃないですが、こいつには一通りの仕事を叩き込みました。他の街や国でなら、工房を出してもおかしくない腕前まで鍛えています。万が一にも本人が調子に乗るといけないので言いませんけどね。真面目で勤勉で飲み込みも早く、何より健康です。唯一の欠点は、あまり自分に自信がないことです」
話を聞く限り、かなりの優良物件だ。うちにとっては強力な味方が増えることになる。間に合わせの応急処置でつぎはぎだらけの鎧をつけることも、ひもで柄を縛った槍を使うこともなくなる。しかし、良いのだろうか。掌中の珠のようにファキオが大切に育ててきた弟子を、うちで預かってしまっても。
「いいんです。大量受注の製品をひたすら作るならともかく、一流の鍛冶師を目指すなら、他の鍛冶師とは違う発想や知識が必要不可欠です。儂は、今は亡きこいつのご家族に、ゲオーロを一流の鍛冶師にすると約束しました。またこいつも、一流の鍛冶師を目指しています。ならば、基礎をしっかりを学んだ今、こいつに必要なのは新たな経験、知識、刺激、そしてなにより確固たる自信です。アスカロンと共に過ごすことは、こいつの成長にもつながります」
私たちの視線がゲオーロに向く。彼はまだ頭を下げたままだった。
「ゲオーロ君。顔を上げてください」
恐る恐る、ゲオーロはこちらを見上げた。
「雇ってくださいと簡単に言いますが、本気ですか?」
「ほ、本気です! 俺は、もっと腕を磨きたい。様々な武具を作れるようになりたい。アスカロンの魔道具を初めて見た時、俺は驚きました。見たこともない武具に興奮しました。こんな武具をいつか作ってみたいと夢見ました。ドラゴンを討つような、そんな伝説になるような武具を、この手で」
震える指先を、彼は力を込めて握った。
「そのためには、知らなければならないと思いました。見てくれじゃなくて、中身を。全ての形状には意味がある。俺は今回の戦いでそれを学んだから」
「あなたの意志をないがしろにするつもりも、夢をバカにするつもりもありません。ですが、どうか落ち着いて聞いてください。本当に傭兵としてついてくるのが正しいか。まず傭兵に必ずついて回るリスクを知る必要があります。死のリスクです」
ゲオーロの体が強張る。後ろでギースやモンド、テーバがやれやれ、という顔をしているのがわかる。人員を補充したいのかしたくないのかどっちなんだと言われたこともある。けれど、こればっかりは譲れない。かつてガリオン兵団の団長、ガリオンが私に言ったように。
「特に私たちは、ドラゴン討伐を一つの指針にしています。今回のスライム戦のようなことが、これからもずっと続くということを意味します。他の傭兵団よりも死ぬリスクは確実に高い。まずそのことを理解してください」
ゲオーロが唾をのんだ。彼の頭の中に、死や、スライムの恐怖がリフレインしていることだろう。
「もう一つ、これは君にとって、死よりも大きな問題かもしれません」
「死ぬよりも、ですか」
「そうです。私たちは傭兵。つまりは、雇い主と金で戦う相手が変わります。私たちがラーワー、ミネラと敵対する国に雇われた時、あなたは自分の生まれ故郷と敵対することになります」
ぎょっとしたように目を見開いて、ゲオーロは私を見つめた。
「もちろん、万が一の話です。国同士の戦争なんて、落ち着いている今の情勢では起こらない。けれど、絶対ではなく、可能性はあります。そうなった時、君はどうする?」
その情勢が崩れるかもしれない、という話をイブスキとしてきたのはこの場では伏せる。いずれ、ギースやプラエに相談するし、団員達にも打ち明けるつもりではいるが。
ゲオーロが逡巡する。きょろきょろと私やファキオにせわしなく視線を送るが、私もファキオも助け舟を出すつもりはない。彼が決めなければならない。自分に自信がないということは、重要な選択を他人だよりにしがちということだ。それでは困るし、自信をつけたい本人の為にもならない。しかし、ここでこれ以上迷い続けられても困る。私たちだって忙しい。
「私たちは準備が整い次第、この街を出る。ギースさん。準備にはどれくらいかかりそうですか?」
「今日を含めて三日というところか」
「ありがとうございます。聞きましたね? 私たちは明後日には出立します。それまでに今私が話したことをしっかりと理解し、吟味して、答えを出してください。本当に、それほどのリスクを背負ってまで私たちと共にくるメリットはあるのか、生まれ故郷を敵に回す覚悟があるのか」
今日のところはお引き取り願い、私たちは出立の準備を始める。迷い続ける人間に割く時間はない。時間は貴重で、命とイコールで、有限だ。しかも突然失われることだってある。時間は金では買えないのだ。
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