第96話 消耗戦

 炉のもう一つの問題は、巨大な穴の中をどうやって鉄を溶かす千五百度以上にするか、だった。燃料は無理をすれば問題ない。穴に敷き詰める木材や炭、魔道具をフル稼働で一時間保たせることが可能と試算が出た。

 だが、その温度に持っていくのが問題だ。スライムが千五百度に届かずとも、それこそスライムの主成分は水なのだから百度以上であれば沸騰させ、蒸発させることが出来るのではないかと考えられた。誰も試したことはないが、無理矢理そうだと仮定する。しかし問題は、スライムを溶かすほどの高温を出すまでに、スライムが大人しくしてくれるのか、だ。あらゆる生物は命の危険を感じれば逃亡する。その間、ミネラ守備隊とアスカロンで這い出てくるスライムを押さえつけることができるのか。

 かける時間は短ければ短い方が良い。そこで考えたのは、あらかじめ熱しておく方法だ。しかし、穴をあらかじめ熱しておけば、空気の振動を感知するスライムに気取られかねない。

 なので、各鍛冶屋の炉でありったけの鉄をあらかじめ溶かしておき、そして穴、溝を通してスライムのいる落とし穴に流し込む方法を採用した。これで、スライムに気づかれずに熱する時間をかなり短縮できる。

「盗掘犯の盗掘方法が、まさか街を救うことになるとはね」

 汗を拭いながらつぶやく私の足元付近を、真っ赤になったどろどろの鉄が流れていく。街を俯瞰で見れば、血液のように溶けた鉄が中心部の穴に流れ込んでいくのが見えるだろう。当然ながら流れ込むための溝にも温度を可能な限り下げないためにコーティングが行き届いている。その効果や、いかに。


 空気が震えた。声帯を持たないスライムが身体全体を使って悲鳴を上げた。バチバチと油が跳ねるような音が飛び回り、異臭が立ち込める。


「効果あり! 効果あり! 高温によりスライムの体が溶けていくのを確認! 復元の兆し・・・、無し!」

 顔を布で覆いながら、私は叫んだ。私の声を聞いていた周囲からどよめきと希望が溢れる。攻撃が通るのであれば、続けていれば倒せるということだ。

 だが、喜んでばかりもいられない。溶けているのはまだ体の一部だ。

 熱したフライパンの上に水滴を落としても、なかなか全部蒸発しない。それは、ライデンフロスト効果と呼ばれる現象が発生しているためだ。フライパンと水滴の間に先に蒸発した水蒸気があり、水滴が蒸発させないように熱伝導を阻害するこのライデンフロスト効果が、スライムと熱した鉄の間でも発生している。

 想定以上の耐久戦になることを覚悟しなければならない。

「作戦を第三段階に移行! 炉を稼働して!」

 合図を出すと、すぐさま穴から熱風が吹き荒れた。あまりの熱気にとっさに顔を背けて距離を取る。

 穴につないだのは、鉄を流し込むための溝だけではない。風を流し込むための通風孔が用意されている。熱や炎は、それだけでは充分な火力を維持できない。充分な酸素を送り込まなければ炎は燃えないからだ。

 風を送る魔道具、さらに人力による巨大なふいごを用意して細い管から風を送り込む。この作業をミネラの女性陣が担当する。彼女たちは今、穴の近くの家屋内で交代しながら風を送り続けている。おかげで、穴の中では火災旋風が発生し、赤く渦を巻いた竜巻が立ち上っていた。

 これで、熱を維持する機能は整った。流し込む鉄がなくなれば、その穴も送風に利用する手はずが整っている。

 再びスライムが震えた。触手が天高く伸び、そして落下する。触手の先端は鉄に変化させていて、所かまわず振り回す。自分が穴を脱出するためのとっかかりを探しているのだろうか。

「ひ、ひいぃ!」

 触手のうち一本が、ラップを維持しているコーティング部隊に迫った。幅二メートルもあろうかという鉄の柱が、地面を削りながら彼らに襲い掛かる。入力デバイスと出力デバイスは有線で繋がっているため、風を送り込む女性陣と同じように穴から距離を取れなかった。

 派手な衝突音が響く。しかし、コーティング部隊はいまだ健在だった。彼らと触手の間に、ミネラ守備隊が割って入ったからだ。盾を前面に押し出し、体を張って触手の進行を食い止めている。

「弾き返せぇ!」

 真ん中でカナエが怒鳴る。守備隊の筋肉が服の上からもわかるほど隆起する。十名ほどの隊員たちが一枚の盾となって、触手を弾き、穴に送り返した。先ほどは同じ触手に弾き飛ばされたのに、もう対応を修正している。二度同じ相手に力負けしない、という彼らの意地が見て取れた。

「案ずるな!」

 カナエがコーティング部隊にはっぱをかけた。

「お前たちの命は我ら守備隊が必ず守る! 安心して持ち場を守れ! 魔道具を維持せよ!」

「は、はい!」

 そして再び迫る触手を、守備隊は真正面から受けるのではなく、斜めに逸らし、弾く。タイミングや音頭を取った様子はないのに、一個の生物のようにまとまっている。練度の高さがうかがえた。こちらも負けてはいられない。

 今度は私がいる場所に、触手の柱が現れる。持ち上がり、突き立つ。持ち上がり、突き立つを掘削作業のように繰り返している。穴を広げて上りやすくしようとしているのか、地面を掘り返して自分と炎の間に壁を作ろうとしているのか、私たちを圧し潰そうとしているのか。意図はわからない。が、好きにはさせない。私たちには、守備隊のような強固な守備力はないため、同じ方法は使えない。

 敵を知る。

 当たり前のことで、最も大事なことだ。特に、人間以外の生物と戦うことが多いのであれば。

 視線の先にあるのは、触手。地面を掘り返している末端ではなく、本体により近い場所。鉄と粘液の境目だ。タイミングを見計らい、私はウェントゥスを伸ばした。狙い通り、触手の根元に突き刺さる。貫通したところで、一気にウェントゥスの剣幅を広げた。

 ずるずると、触手の根元あたりがずれていき、空間ができた。末端の鉄の部分に引かれて触手が落ちる。地響きを立てて落ちた触手は、もう動かない。

 やはり間違いない。やはりスライムはコアからの伝達がなければ形も維持できず操作も受け付けないのだ。森の中でカナエにまとわりついた触手を切り落とした時も、粘液の効果は残ったままだが、うごめく気配はなかった。再び本体と接触しない限り、それはただの粘液だ。これで、熱以外でも奴を削ることができる。しかもだ。

「千切れたスライムを回収するわよ!」

 プラエがアスカロン団員を率いて、鉄の部分にロープで繋がれたくさびを打ち込む。

「引いて!」

 彼女の合図に、ゲオーロ達鍛冶師の若い衆が力を合わせてロープを引く。

 これも想定通りだ。切り離した部位がスライムに操られないなら、そこはそのままの形状、鉄の状態を維持する。粘液だとまた地面に染み込んでしまうかもしれないが、掴むことのできる鉄なら回収は容易だ。

「相手を弱らせ、かつ材料も回収できる、これぞ一石二鳥ね!」

 運ばれていく鉄の塊を見届けてプラエが言った。

「さあ皆、どんどん切り取っちゃって! そしたらしびれを切らせて、奴は必ずコアを出すわ。それまで耐えて! 耐えきれば必ず勝てる!」

 プラエが鼓舞し、私たちのテンションが上がる。興奮が疲労を上回り不安や恐怖を抑え込む。だから集中力が上がっていく。

「また出たぞ!」

 ムトが上を指さす。今度は同時に三本。向こうもなりふり構ってられないのだ。生き残るために全力で足掻いている。

「でも。こちらだって負けるわけには、死んでやるわけにはいかない」

 私はまた、ウェントゥスを伸ばして触手を根元から断つ。テーバたち狙撃部隊がスティリアで根元を狙い撃つ。スライム本体を凍らせることはできなくとも、直径二メートルの柱、その一部分を集中的に狙えば一瞬凍らせることは可能だ。凍った瞬間、モンドたちが鎚で一気に叩き、凍った部分からへし折る。そしてまた、プラエがゲオーロ達に指示して回収させる。

 スライムの触手は時間が経つごとに増加していく。ミネラ守備隊は四方に分かれ、コーティング部隊を死守する。私たちはその間に一本でも多くの触手を切り取る。

 スライムと私たち、互いに死力を尽くした消耗戦のていを成していた。


 誰もかれもが疲弊していく中、拮抗がついに破れた。

 悲鳴が上がる。デバイスがある方向だ。見れば、守備隊の守りが突破され、コーティング部隊が跳ね飛ばされている。

「まずい!」

 援護のために駆け出す。が、その私の前にタイミング悪く触手が突き立った。靴底を削りながら下がった。目の前で触手はぶるぶると暴れ、行く手を遮る。ランダムに暴れまわられる方が予測が立てにくく、これを処理しなければ向こうに向かえない。

 触手の猛攻を掻い潜りながら、私以外に救援に行ける者はいないか視線を走らせる。駄目だ、全員、自分の持ち場で手いっぱいだ。あと少しなのに。

 私の目の前で、コーティングの面積が縮小していく。今は穴の縁だが、このまま放置すれば穴が開く。隙間から熱された鉄も流れ出るし、スライムも流れ出てしまう。

 迂回して走りだそうとすると、その前にスライムの触手が現れる。

「くそ、どけ!」

 ウェントゥスを付け根に向かって伸ばす。しかし、今度は鈍い感触が刃に伝わる。鉄の部分を削っただけだ。焦れば焦るほど、不規則に動く触手を切り取れずに苛立ちとさらなる焦りが生まれる。その間も、コーティング範囲は縮小し、とうとう私の視界から消えた。他三方が今は何とか補っているが、時間の問題だ。食い止めきれない。そこに一番近いのは私なのに。強くかみしめすぎて奥歯が鳴る。

 その時、目の前を誰かが横切った。

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