第94話 麗しの君と、共に

 館にミネラの領民たちが集められた。突然夜中にたたき起こされ、取るものも取り敢えず誘導させられた彼らの前に、ミネラ領主イブスキが立った。

「ミネラに住まう民たちよ。まずは、このような夜更けに、あなたたちの安眠を妨げたことを申し訳なく思います」

 良く通る声だ。いつだったか、人の上に立つ人間は声に特徴が出ると聞いたことがある。良く通ることもそうだし、大きな声もそうだ。心地よい声も当てはまるだろう。とにかく、人の耳に、そしてその奥にある脳に届けるために、印象に残らなければならない。生まれ持ってのものか、訓練によるものか、イブスキの声は人に意識を傾けさせる力があった。

「しかし、理解してほしいのです。今、ミネラには未曽有の危機が迫っている。スライムという危険な生物が、この街に向かってきているのです」

 にわかに領民たちが騒ぎ始める。危険な生物が迫っていると聞けば、誰しもが落ち着いてなどいられない。

「今ミネラ守備隊と、この街に逗留していた傭兵団アスカロンが協力し対処に当たっているが、正直に言いましょう。戦況はかなり厳しい」

 領民の不安はさらに増した。小さく悲鳴が上がり、隣近所の住民同士が口々にスライムとは何か、これからどうしたらいいのかを相談しあっている。

 意外に思ったのは、誰からも領主を責めるような言葉が出てこないところだ。現代日本では、色んなことで政府が突き上げを食らう。景気が悪くても文句を言われ、外交問題が起こってもまずは自国の政府が叩かれ、災害等が起こっても対応が遅いとかもっとマシな方法があったのではと追及される。

 王侯貴族が、権力が絶対であったとしても、流石に命の危機が迫っている状況であるなら、文句や、言葉には出さなくとも不平不満が噴出して空気が悪くなるものではないかと思っていた。しかし、ミネラの領民からは不安はある不満がない。

「皆に頼みたいことがあります」

 少し間を開けた後、彼女は続けた。

「領主様、私たちは一体、どうすればよろしいのですか」

 真ん前にいた男が、恐る恐る尋ねた。採掘場にいた、組合長だ。

「私たちと共に、この未曽有の危機に、スライムに立ち向かってほしいのです」

 領民たちがどよめく中、イブスキが私たちの方を見て頷いた。用意していた街の地図を手に、私とプラエで彼女の後ろに回り、地図を広げる。

「真上から、この街を描いた地図です。現在、スライムは街の北東、採掘場の方向から徐々に近づいています」

 イブスキの指が右上から中央へ地図をなぞる。

「この街に到達するのは、あと四時間。夜明け近くです。このスライムは、通常のスライムよりも巨大で、通常の武器では傷つけることすらできません。したがって、私たちが取れる選択は一つ」

 イブスキが、地図の中心、街の広場を指さした。

「ここに、巨大な炉を作ります」


「炉、ってえと、あの炉ですか? 俺らの職場にある、鉄を溶かす、あの炉?」

 鍛冶組合の組合長が、鍛冶代表として訪ねた。その顔はイブスキの正気を疑うような顔だ。

「そうです。中心部に巨大な穴を掘り、即席の炉を作り、スライムを誘い出し、超高温の熱量で奴を溶かします」

 これが、私たちが出した答えだ。耐氷結に加え、鉄の性質をもった奴を倒すなら、これまでとは真逆、高火力で鉄もろとも溶かすしかない。

「無茶ですぜ領主様! 炉一つ作るにも、壁一つ作るにも保温だの防湿だの色々と工夫はいるし、風送りこむための加工もしなきゃなんねえんです。でかくなればなるほど、それらの加工の手間は増えるんですよ!」

「問題が山積みなのは百も承知です。ですが、何もしなければあと四時間で街はスライムにより蹂躙されます。もちろん、何もしないという選択肢であれば、領民全員守備隊の誘導で近隣の街に避難します。しかし、それで安全という保障はない。スライムは私たち人間を追跡してきます。ラーワー本国の本体が到着するまで、どれほどの被害が出るかわかりません。ここで食い止めるのが、国家にとっても、他の街に住む民たちの為にも、そして自分たちの安全のためにも最良の選択なのです」

 領民たちの顔を見渡す。表情を見る限り、かなり迷っているのがわかる。

 人を食う未知の化け物を前に、命の危機を感じていない者はいない。守備隊でもどうにもならない化け物を、自分たちがどうにかできるのか、という不安もあるだろう。

 反対に、イブスキが言っていた通り、街を大切にしている、という面もある。自分たちの街に愛着があり、また過去の復興劇がそれを助長している。当時生まれていなかった者もいるはずだが、その精神は誇りとして、子孫に連綿と受け継がれているのだ。そんな自分たちの自慢の街を、訳の分からないまま見捨て、蹂躙されていいのか。それは物理面だけの話だけじゃない。精神面でも許しがたいものだ。

 これらの感情が拮抗しあって、協力するのか逃亡するのか、どちらを選択すればいいのか迷わせている。次に出る領民の内、誰かひとりの反応一つで、拮抗は簡単に傾き、その後が大きく動く。

 これだけの領民がいるのに、耳が痛くなるほどの静けさが続いている。一分、二分、イブスキは顔色一つ変えやしない。私たちにはミネラの総力で、とは言っていたが、領民が反対すればすぐさま方針を切り替えるつもりだ。彼女はどう話が転がっても、自分の最善を尽くすという覚悟を決めていた。

「儂はやるよ」

 群衆の真ん中で、手が上がった。領民たちをかき分けて現れたのは、ファキオ親方だった。

「あなたは、確かマイスターファキオ」

「名前を知っていただけたとは。光栄です、領主様」

「知らないわけがありましょうか。あなただけではありません。覚えていますとも。あの時、ミネラが一度滅びた時。雪と土砂と廃材と、途方もない無力感に埋もれる中、ミネラ復興のために汗をかいてくれた者たちの顔を、私が忘れるはずがありません」

「そんなあなただからこそ、そのあなたが守りたい街だからこそ儂は協力します。あの時も、今もね。あなたの作戦、乗らせていただきますよ」

 儂にできることなど大したことはないでしょうが、とファキオは笑った。とんでもない。今この時、一番の働きをしたとも。

「こちらから頼んでいることですが、良いのですか。この作戦は、命の危機がついて回ります。死ぬかもしれません」

「そんな危険な化け物相手に、あなたや守備隊、アスカロンの方々は、儂等のために戦ってくれてるんでしょう。協力しないわけにはいかんでしょうよ」

 ファキオの声が、言葉が領民たちに広がっていく。感情の拮抗が崩れ、各々の覚悟が決まっていく。

「親方がやるなら、俺もやります」

「ゲオーロ、お前は避難しろ。ここは年長者、ジジイの出番だ。若いお前が命賭けて無理するところじゃねえ」

「バカ言わないでください。俺だってミネラに住む一人です。腕はまだまだ親方には勝てませんが、体力なら負けません。領主様、炉を作るのでしたら、たくさんの炭が必要になりますよね。穴掘った後の土の運び出しだって必要です。そういう運搬作業なら、俺でもできます」

「それなら俺もできますよ」

「地面を掘り返すのも得意です。それで飯食ってますからね」

「採掘作業で鍛えたこの体、存分に使ってください」

 流れが変わる。若い鉱夫たちが次々と申し出てくれる。

「ファキオがやるなら、同じジジイの私も手伝います」

「ブル、お前まで」

「一人で格好つけるんじゃない。いくら麗しの君の前だからって」

「バッカ野郎!? 余計なことを言うんじゃねえ!」

「麗しの・・・君? 私が、ですか?」

 動揺などこれまで欠片も見せなかったイブスキが、初めて感情をあらわにした。

「ええ、そうですとも。まことに失礼ながら、領主様、何十年かぶりに白状させていただきますと、当時より、あなたは同年代の私たちの憧れの的でした。美しく聡明で、男勝りの豪胆さも併せ持ち、何より人を惹きつける魅力にあふれていた。なので、あの時復興を微力ながらお手伝いさせていただいたのは、手も届かぬ高嶺の花に少しでもお近づきになれれば、わずかでも目に留まれば、という下心があったからです。いや、もちろん、自分たちの住む街を直したいという気持ちもありましたけれども」

 なあ? とブルが振り返ると、少なくない人間、特に高齢の男たちがしみじみと頷いていた。

「ばれてしまったらしょうがねえ。俺も憧れた一人だ」

「男はいつまでも、初恋を引きずるんだよな」

 年長者たちがぞろぞろと進み出てくる。すると、今度は女性陣が進み出た。

「私にも、出来ることがあるんでしょうか」

 その中の恰幅の良い婦人が言った。髪はかなり白いが、肌つやは良くエネルギッシュだ。

「え・・・? いや、女、子どもは優先的に避難を」

「何をおっしゃってるんですか。領主様だって女だてら、ここで踏ん張っておられます。私も一緒に頑張ります。それに、うちのバカ亭主が領主様に不埒な真似をしないとも限りません。私が見張っておかないとね」

 女性が睨みつけると、そりゃないよ母ちゃん、と睨まれた男が嘆いて、周囲に笑いを起こしていた。

「私もお願いします」

「私もやります。手伝わせてください」

 男性以上の熱意で、女性陣が願い出ていた。

「どうして、皆、そこまで・・・」

「男どもが言っていましたでしょう。理由は同じなんです。私たちも、あなたが大好きなのです。私たちは知っています。先代の領主様がお亡くなりになられたのに、悲しむ間もなく領主様は街を守り続けてきたことを。女だからと舐められないように、色んなものと戦い続けてきたことを。そんな方の助けになれるチャンスなのです。私たちも、あなたと共に戦わせてください。ご恩を僅かでも返させてください」

 いつの間にか、イブスキを領民たちが囲んでいた。イブスキは彼らの顔を見渡し、固く目を瞑り、少しの間、天を仰いだ。再び領民たちに向き直った彼女は、大声で指示を飛ばし出す。少しだけ、赤い目をして。

「時間がありません。全員、作業にかかってください!」

「「「はい!」」」

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