第93話 領主の価値観

 一足先にミネラに戻った私は、すぐに領主の館に戻り、プラエ、ギース、イブスキを交えて会議を開いた。真っ先に被害状況、特にカナエの状態を報告しようとしたら、イブスキが手で制し「今は対策が先よ」と言い放った。

「しかし、ご子息であり、部隊を束ねる重要な方の状況報告ですが」

「死んでないんでしょう? なら後回しで良いわ。そう簡単にくたばるような、やわな男に育てた覚えはありません。治療がすんだら這ってでも来ます」

 そういう彼女の手は、血がにじむほど握りこまれていた。心配でないはずがない。それを押し殺し、領主としての義務を果たそうとする彼女の邪魔をすべきではない。一礼し、敵であるスライムの報告に移る。

「冗談でしょ」

 私の報告を聞き終えたプラエが頭を抱えた。一緒に聞いていたギース、イブスキも表情は暗い。

「冗談でこんな暗い話はしません」

「いや、アカリが見たものを疑う訳じゃないのよ。疑ってんのは常識って言葉よ。存在の意味がないわねその単語。くそ、論文作成が捗るわぁもう! 鉄を含むスライムって何よ! 矛盾にもほどがあるわよ!」

 それが、私の導き出した雪山に現れたスライムの仮説だ。今回のスライムの出現は、多くの悪い偶然が重なっていると思われる。

 まず一つ目の偶然は、盗掘の方法。盗掘犯はスライムの粘液の作用を利用し、鉱石を溶かして収集していた。そこで気になったのは、彼らが盗もうとしていた量が、リムス最大級の鉱山の、それも新しく掘り進めている場所にしては量が少なかった。時間制限があったか、まだ溶けて流れてくる途中だったか、それは定かではないが、おそらく彼らが取りこぼした量はかなり多い。その取りこぼした分がどこに行ったのかというのがポイントだ。

 二つ目。はぐれのスライムが現れたこと。プラエも言っていたが、新種が突然生まれることは可能性としては低い。今しがた常識の存在が疑われたばかりだが、常識的に考えて何らかの理由でスライムが北上したと考えられる。相対してわかったが、リムスのスライムは、ゲームや漫画で見たような、単細胞生物ではなかった。ミネラ守備隊を蹴散らしたのがその証拠だ。ある程度の知能があり、同じ手に対しては対抗手段を取ってくる。

 三つ目にして最大の偶然は、スライムが、スライムの粘液が大量に垂れ流されるこの場所にたどり着いたことだ。スライムはコアによって制御され、コアから離れるとただの粘液となって形を失う。では逆に、粘液がコアを持つスライムに融合すると、その粘液はスライムの一部になるのではないか。

 このミネラで存在し辛いスライムの粘液が使用されたということは、凍らないように寒さに耐性のある粘液として加工された可能性がある。つまり生物としての意思はないが、新種のスライムだ。はぐれのスライムと新種の融合した結果が、寒さに強いスライムの正体だと私は推測している。

 元の世界でも、工業地帯付近などで環境の変化等により生態系の変化、亜種や新種の昆虫が発見されたというニュースを見たことがある。本来なかった場所に本来ない物を使えば、影響は大小の差こそあれ出るのが世の常だ。

「新しいスライムが生まれた原因はわかったわ」

 静かにイブスキが口を開いた。

「問題は、それに勝てるのか、という事よ」

「正直に申し上げますと、かなり難しいでしょう」

「ちょ、アカリ!」

 プラエが非難するが、嘘をついてもイブスキは私の嘘やその場限りのごまかしなどすぐ看破してしまう。それならば正直に言った方がまだましだ。

「そう・・・。まあ、そうでしょうね。ここで勝てます、と即答する人間じゃないわよね。あなたは。では、この街が取るべき手段は何が挙げられる?」

「まずは応援を呼ぶべきでしょうね」

「やはりそれが一番確実かしら」

「ラーワー本国に伝令を送って、ここに軍が派兵されるまでの期日はどれくらいでしょうか?」

「鳥を飛ばせば一日で状況を伝えるのは可能でしょう。軍を編成し、ここまではどう頑張っても二日かかる。・・・でもアカリ。あなたのその顔を見る限り、二日じゃ間に合わないってことかしら?」

「まことに申し上げにくいことですが、その可能性は高いです。スライムは退避し、ある程度離れた私たちを追尾してきました。ここまで追ってくる可能性が高いでしょう」

「ちょっと待って。追ってきたの?」

 再びプラエが頭を抱えた。

「スライムは獲物を待ち構えるタイプの捕食行動をとるわ。自分から獲物を追うなんて」

「ですが、事実です。もしかしたら、巨大になりすぎたがゆえに行動パターンも変わったのではないかと」

「あり得、てしまうじゃないのよぉ・・・。スライムは周囲の振動を体表で感知する。表面積が増えれば得られる情報も増加するわ。それだけ大きければ、自分から動くと考えてもおかしくない」

「その動くスピードはゆっくりですが、二日もかからないと思います。なんせ私たちの足で一時間かからないのですから。もしまっすぐにここに向かってくるとすれば、早朝にはたどり着くかもしれません」

「時間が足りないわね」

 イブスキは苦い顔で部下を呼んだ。

「警鐘を鳴らしなさい。街中を回り、領民全員の避難誘導を実施。持ち物は食料や水など最小限にさせて。残っている守備隊で協力して行ってちょうだい」

 二つ返事で部下は外に走っていく。

「最悪、街を放棄することも考えないといけないわね」

「放棄ですか?」

 意外だった。自分の街をその領主が放棄するなんて。領主や王、自分の土地、支配地域を持つ人間は、最後の最後までその場所に固執するものと思っていた。自分の土地、その名前こそが彼らの誇りだと思っていたからだ。

「ええ、放棄よ。危機が迫っているのに、わざわざ大事な領民を残しておくわけにはいかないでしょう」

「良いのですか? 私はてっきり」

「何が何でも街を守ろうとした?」

 その通りなので頷く。

「そういう領主もいるでしょうね。この場所こそが自分そのものだと思う、土地に愛着と誇りを持つ領主が。だから失われれば自分も死んだようになる。まさに、私の夫がそうだったわ」

 一度、ミネラの街は滅びたの。イブスキが懐かしい思い出を語るような顔で言った。

「あの時も色々と大変だったのよ。大盗賊団が現れて、誘発されるようにしてイノシシに似た怪物スースの群れが山から下りてきて、守備隊と三すくみの争いになったの。で、最終的に雪崩が起きて、盗賊団とスースの群れと守備隊の半数以上、そして街の大半は埋もれた。地盤が緩かったのも加わって、本当にきれいさっぱり流されてしまったの。夫はラーワー王より下賜された重要な拠点であり、自分の過ごした愛すべき街を守れなかったと悔やみ、見る見るうちに心を病んで痩せ細っていった。今だから言うけど、夫はここで踏ん張るべきだった。踏ん張っていれば、素晴らしい物が見れたし、新しい価値観を得られたはず」

「新しい価値観、ですか?」

「領民がいる限り、街は復活できる、という事よ。王都に避難していた私は、復興と鉱山再開のために、ラーワー軍と共にミネラ跡地に戻ったの。そこで、私たちは驚くべきものを目にした。近隣の街に避難していたはずの領民が舞い戻り、除雪作業を行っていたのよ。守備隊たちの遺体をきちんと埋葬し、少しずつ少しずつ、街を元通りにしていたの。夫は、街が、土地が『ミネラ』だと思っていた。だから失われたとき、ミネラは滅んだと思った。でもそうじゃない。ミネラは、ミネラを故郷と思ってくれている領民のことよ。彼らが一人でもいて、街のことを思ってくれている限り、ミネラは滅びない。民が街を、ひいては国を作っている。彼らさえ生きていれば、街は必ず復興できる。そういう価値観が私に生まれた」

 だから、領民は守らなければならない。確固たる決意をもって、イブスキは断言した。なるほど、人は石垣、人は城。この精神はリムスにも存在したか。

「倒せないのはわかったわ。あなたにこれ以上無理を言うつもりはありません。今後のことも考えれば、あなた達に払う金がなくなりそうですので、逃げても違約の罪は問わないでおきましょう。ただ、もう少し傭兵の仕事をしていってもらえる?」

「それはお願い、ですか?」

「ええ。領主と傭兵ではなく、私とあなたの間の『お願い』。可能な限り時間を稼いで。追尾してくるということは、誘導する、ということも可能なのでしょう? 街にたどり着くのを可能な範囲で遅らせて」

 ここまで譲歩してくれる貴族は珍しい。ならばこそそんな貴族には、情けが味方しても罰は当たらない。

「少し、お待ちいただけますか」

「良いわよ。出来るだけ早くね」

 イブスキから離れ、プラエ、ギースを呼び寄せる。二人に、私が思いついた策を告げる。

「はぁっ?!」

 プラエが驚いた声を上げたが、私の話を聞いて、首を捻り、頭を抱え、固く目を瞑り、腕を組み、唸り、出した答えは『理論的には可能』だった。

「ギースさん、どうでしょうか?」

「団長はお前だ。お前が決めたなら、皆ついていくさ。もちろん私もな」

 心強い太鼓判を二つもらえたところで、再びイブスキに向かい合う。

「どうするか決めた?」

「ええ。報酬は貰います。タダ働きなどできません」

「あら、がめついわね」

「ただし成功報酬として、です」

 イブスキの目が大きく見開かれる。

「倒せるの? 話を聞く限り、難しいんじゃなくて?」

「難しいです。今も、理論上は可能、というだけで、実際はどうなるかわかりません。だから成功報酬です。失敗したらお代は頂きません、というか頂けません。なんせ、我々が用意した方法は、ミネラの多大な協力が必要だからです」

「どういう事?」

 『ミネラの多大な協力』に引っかかりを覚えたイブスキは、私の策を聞くにつれ、「そういう協力?」とこめかみに指を当てつつ、笑みを深めていった。

「賭けね。しかも、ハイリスクでリターンは少なく、結局街は大いに傷つく」

「無茶は承知で一応、提示させていただきました。スライムを打倒する可能性がある方法として。私たちとしても、逃げの一手を選択していただいた方が助かります。安全、確実なのは間違いありませんから」

「そうよね。でも、あなたは提示した。その裏には、色々と考えがありそうだけど・・・」

 私の頭の先からつま先までじっくりと、三往復ぐらい眺めて、イブスキは言った。

「面白いわ。私としても、メリットがないわけじゃないし。あなたの策に乗りましょう。すぐに準備を始めなさい」

「かしこまりました」

「お願いね。・・・誰か!」

 イブスキが柏手を打つと、すぐさま兵が現れた。

「領民の避難状況はどうなっているの?」

「手分けして誘導を行っておりますが、まだ一割から二割ほどかと」

「急がせて。彼らにはこれからのことをきちんと説明しなければなりません。そのうえで、この街が取るべき選択を、領民たちの手で選んでもらわねばなりませんから」

「・・・領主様、それは、どういう?」

 ふう、とイブスキは大きくため息をつき、次の瞬間には威厳ある領主の顔を見せた。

「この街の未来は、この町に住む領民たちにかかっている、ということよ」

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