第92話 形を成すイレギュラー

 木が飲まれた。私たちの身長のゆうに三倍はある木が、そのてっぺんから。しかも飲もうと思って飲んだわけではないだろう。ただ奴は進行方向に向かって進んだだけだ。私たちが足元の雑草を意識することなく踏みつぶしているのと同じだ。奴にとってはその程度の木々は足元の雑草みたいなものだ。

「・・・でかい」

 それしか出てこない威容だった。横幅は隊列を組んだミネラ守備隊の盾の壁よりも広い。こいつが頑張って体を大きく見せているわけではないのなら、直径がこの長さ以上のパンケーキ型ということになる。

 これは、真正面から戦っても勝ち目はない。流石というべきか、ミネラ守備隊もアスカロンの団員たちも、戦意は折れてはいないが動揺は隠しきれていない。

 驚いている私たちの先手を取るように、スライムが蠢く。先ほどの木を飲み込んだ時と同じ、ただ前に、私たちに向かって進む。それだけで壁が迫ってくるかのような圧迫感だ。

「グラキエストラ起動!」

 ミネラ守備隊の盾が淡く発行する。迫りくるスライムと接触した。とたん、盾を包もうとしたスライムが嫌がるようにして引っ込んだ。

「効果あり! いまだグラキエストラはスライムに対して有効!」

 守備隊員の声に、守備隊はにわかに活気づく。

「よし、このまま押し返すぞ!」

 カナエの号令で隊が横一列となって前進、再びスライムに体当たりを敢行した。倒せないまでも、撃退、街に近づけさせないようにはできる。グラキエストラの効果が彼らにそんな期待を抱かせた。

 だが、その期待は阻まれる。

 ギャリギャリと硬質で耳障りな音と共に、ミネラ守備隊の体当たりは止まった。彼らの表情が驚愕に染まる。先ほどは押し返せたはずなのに、という顔だ。

 何の音だ。先ほどのスライムを削っていた時とはまるで違う音。まるで剣戟、金属同士がこすれあう音だ。

 ミネラ守備隊員の一人が、一歩退いた。堅固な盾の隙間から見えたのは、鈍色。空中で見たスライムの姿は半透明だった。

 変わったのは色だけではなかった。鈍色に変わった部分が、唐突に守備隊に向かって伸びた。驚く守備隊員たちだが、体は訓練を思い出し、盾を掲げる。

 今度は守備隊員たちが跳ね飛ばされた。

「援護するわ! 誰かトニトルス用意できる?!」

 飛ばされた守備隊員たちを助け起こしながら叫ぶ。トニトルスをチョイスしたのは、スティリアではあの鈍色の時は効果が薄いと思ったからだ。

「団長、用意できたぜ!」

 モンドからの返答に、すかさず命じる。

「発射!」

 トニトルスがスライム向かって飛翔し、貫通どころか、今度はあっけなく弾かれた。

「うっそだろ!」

 射出機を構えていたムトがすっとんきょうな声を上げた。声を上げなかっただけで、私も、他のアスカロンの団員たちも彼と同じ心境だったに違いない。さっき効果のあった魔道具が、簡単に防がれたのだから。同じスライムなのか、あれは。まるで鉄の鎧だ。

「・・・鉄?」

 地震の時に浮かんだ疑問が、ここにきて噴出し、鉄というワードと結合した。

 盗掘、スライム、はぐれ、新種、鉄。これまで私の中に蓄積された単語の点が、線で結びつき、形を成した。

「全員、撤退!」

 早急に戦術を練り直す必要がある。こんな、こんなことってありえるのか。内心は困惑とこれからどうすればいいのかわからず焦っていたが、おくびにも出さずに指示を飛ばす。

「けが人がいないか確認、いたら手を貸して。全員ミネラまで退却する!」

 団員たちが倒れ伏す守備隊たちを担ぎあげる。自分も隊員の一人に肩を貸し、立ち上がらせる。

「団長、危ない!」

 ムトの叫び声が聞こえた。視線を巡らせると、私の方にスライムの触手が伸びていた。とっさに体を動かそうにも、隊員が邪魔になって思うように動けない。かといって、放り出せばこの隊員が飲み込まれる。アレーナを伸ばして縮める時間も無い。苦し紛れにアレーナを盾にして掲げるが、防げないと直感で悟る。質量が違い過ぎた。押し潰される、そう諦めかけた瞬間、抱えあげられた。視界が横にスライドする。

「カナエ隊長!」

 私と隊員を一人ずつ抱えて、彼は飛ぶように場を離れた。部下たちと一緒に跳ね飛ばされたはずなのに、もう復活して動けるのか。その部下はまだ昏倒しているというのに、なんという頑強さだ。

 さっきまでいた場所に、スライムの触手が落ちた。落ちた衝撃で触手の飛沫が糸を引いて飛び、カナエの足に絡みつく。

「ぐぉっ」

 足を取られ、がくんとカナエが膝をついた。素早くウェントゥスを引き抜き、剣幅を広げて触手の最も細い部分に差し込む。普通に切っても、刃が通り過ぎればその部分から修復されてしまうが、一息に切断してしまえばその限りではないはずだ。

 狙い通り触手は離れた。しかし一部はまだカナエの足に絡みついたままだ。

「カナエ隊長! 意識はありますね! 私にしがみついていてください! あと部下を離さないで!」

 意識がある前提で返事も聞かずアレーナを伸ばした。彼の首が上下に動く気配がする。大木に絡みつけたアレーナを一気に収縮させる。腹が締め付けられる。二人合わせて二百キロ近い巨漢の体重がカナエの腕、ひいてはその腕が巻き付く私の腹に集中する。自分なりに鍛えた腹筋が悲鳴を上げて締め上げられる。通常の感覚なら、この距離ならたどり着くまで一秒ほど。普段なら何ともない一秒が、今は異常に長い。木の根元にたどり着いたとき、不覚にも少し吐いた。だが、咳き込んでいる場合じゃない。口元を乱暴に拭って立ち上がる。

「動けますか!?」

 声をかけながら、彼の足を見る。本体と切り離されたからか、足に絡まっていたスライムはゆっくりと滴り落ちていく。ぬぐい取ろうとすると「触れるな!」とカナエが怒鳴った。

「まだ粘液の効果が残っている! 迂闊に触るとあなたの皮膚までただれる!」

 彼の言う通り、患部からはじゅうじゅうと白く煙が上がり嫌な臭いが漂っている。かといってこのままにしておくわけにもいかない。足元の雪や土、木の葉を手で掘りかけ、その上から予備の油を含んだ布でぬぐい取る。油臭くなるのはこの際勘弁してもらう。

「団長! 無事か!」

 モンドが駆け寄ってきた。

「状況は!?」

「うちの団員は無事だ。ケガしてるミネラの隊員はうちの団員が担いで運んでる。気絶していた隊員も、こっちが運んでいる途中で意識を取り戻し、動ける奴は自分の足で走っている。人数を把握してるわけじゃないが、大方は逃げきれているはずだ。そっちの隊長さんは?」

「足をやられています。モンドさん、手を貸していただけますか。私はこちらの隊員を運びます」

「は、無茶すんな。二人とも俺が運んでやる。団長はさっさと街に戻って、状況報告してプラエと作戦会議だ」

「しかし」

 さすがに気が引ける。自分も一人連れていくと言おうとした時「団長! ご無事ですか!」とムトが現れた。

「おう、丁度いいところに! ムト、手伝ってくれ!」

「はい!」

「てなわけだ。肉体労働は俺らの仕事だ。団長、あんたはあんたの仕事をしな。・・・さ、隊長さん、肩かしな」

「かたじけない・・・」

 モンドとムトに両脇を支えられられ、カナエが立ち上がった。

「こっちは任せてください。さ、団長、先へ!」

「わかりました。ここは任せます。あとで合流しましょう」

 モンドとムトの声に押され、私は一足先にミネラに向かう。

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