第91話 男の前傾姿勢の理由は察しないで

「団長! 落ちる! 落ちる落ちる!」

 ムトの声に再び自分の置かれた現状を思い出す。自分を引っ張る重力も思い出したように作用し始める。

 アレーナを視界の中で最も高い木に伸ばす。木の方向へとアレーナを縮めながら、落下の慣性を緩める。木にしがみつくと、今度は真下にアレーナを伸ばし、着地。地面はもう揺れていない。

「大丈夫ですか?」

 まだ腰にしがみついているムトに声をかけた。

「もう、地面についています。安心ですよ」

「え、あ、はい」

 強張っている彼の手をポンポンと叩くと、ゆっくりと組んでいた両手が離れた。

「皆と合流しましょう」

 ともかく、他の団員やミネラ守備隊の安否が気がかりだ。移動して数歩、振り返る。

「どうしました?」

 ムトがついてくる様子がなかった。見れば、彼はまだ中腰の、腰を引いた体勢でいた。

「もしかして、どこかケガを?」

 引き返そうとした私に向かって、ムトは掌をこちらに向けて突き出した。その間も、腰を引いたままだ。

「大丈夫です!」

「え、でも」

 そんな体勢で動かないのだから、ケガを疑うのだが。

「大丈夫です。本当に大丈夫です。すぐに追いつきますので、先に行ってください」

 ここまで言われれば、それを信じるしかない。

 暗い森に目を向ける。先ほど視界を照らした星明りは、雲によって再び遮られた。近くの木の枝を一本ウェントゥスで切り落とし、油を染み込ませた布を巻き付けて点火する。ぼうと周囲が照らされた。

「お待たせしました」

 後ろからムトが追いついた。

「もう大丈夫なんですか?」

「それはもうばっちりです。むしろ絶好調です!」

「はぁ、それは何より」

 どうして絶好調になったのか気になるところではあるが、今度にしよう。

「皆を探しましょう。アスカロンのメンバーなら、私と同じ装備を準備しているから、こうやって松明を点けるはず。暗闇の中の明かりは目につきます」

 それは、向こうにとっても同じだ。こちらが見つけられなくても、この松明を目印に合流できる。ミネラ守備隊の装備はわからないが、山を熟知している彼らが何の準備もなく夜の登山をするはずがない。

 そう思っていると、さっそく足音が近づいてきた。

「おお。あなた方も無事だったか」

 こちらに気づいたのはカナエ隊長だった。彼の後ろには、数人の部下が続いている。

「カナエ隊長もご無事で何よりです」

「いや、アカリ団長の指示のおかげだ。あのまま、あそこにとどまっていたら確実に巻き込まれていた。あなたの英断で命を救われた。礼を言う」

「あ、あの! カナエ隊長殿!」

 ムトが体と質問を私たちの間にねじ込んだ。

「カナエ隊長殿は我らのように松明をお持ちでないように見受けられますが、どうやってこの暗い山道を?」

 彼の言う通り、カナエは明かりになるようなものを持っていなかった。近づくまでかなり暗かったはずだが。

「ああ、いつも他の地域に住む者から驚かれるのだが、ミネラに住む者は、みな普通の人間より夜目が利くらしいのだ。わずかな光、今日のように雲に覆われた空であっても星明りは届いていて、この位であれば昼間と同じ、とまではいかないがそこそこ見える。それにだ、我々がどれほどこの周囲を行軍訓練として走り回っていると思っている? 見えずとも走れるほどに、地形は頭に入っているぞ」

 得意そうにカナエは笑い、後ろの部下たちも力強く頷いていた。環境による適応、進化だろうか。日照時間の短いこの地域で長く活動するために、野生動物のように眼球が変化したと推測できる。興味深いが、この話も後にしよう。

「カナエ隊長、あれはもう、ご覧になりましたか」

 尋ねると、彼の顔が引き締まった。

「ああ。あの巨大なスライムの事だな。見た。嫌でも見えるデカさだ。アレは何だ」

「あれこそが、スライムの本体と思われます。我々が先ほど相手をしたのは、奴の末端、人でいう手や足に当たる部位でしょう。人であれば手や足が失われれば大事ですが、スライムにとってコア以外は特に問題ないようです」

「ふん、末端を失って、むしろ活性化したのか。それで地表に現れた」

「だと思います」

 話している途中で、カナエの言葉通りミネラ守備隊の隊員たちが次々と合流していた。彼らにつれられるようにして、アスカロンの団員も合流できた。良かった、全員いる。大したケガもしていないようだ。命が無事なら、次がある。選択肢が増える。戦える。

『全員無事ね?』

 早速我が団のブレーンに連絡を入れる。

『小山の如きスライムね・・・多分、史上初、史上最大の巨大さじゃないかな。ここにきてまたイレギュラーが加わるとは』

「とはいえ、依頼を受けた以上、依頼完遂は命の次に大事です。信用に関わりますから。対応としてはどうしましょうか」

『基本は変わらないわ。今度は電撃によりコアが判明すると思う。けれど、問題は大きさなのよ。今聞いた話じゃ、スティリア二本以上ぶち込んでも氷漬けにならなかったんでしょう? 弾数は大丈夫?』

 素早く団員たちに指示を出す。加えて、ミネラ守備隊に対して継続してグラキエストラの使用回数や時間を確認してもらう。

「一人一本から二本だな」

 モンドが全員の本数を確認して回った。

「グラキエストラはまだ稼働できる。隊員の体力も魔力も継続して戦闘可能な状況だ」

 カナエが答える。その情報をプラエに伝えた。彼女からの返答はすぐにあった。

『一時撤退して、体勢を立て直すべきと進言するわ。現行の装備では対応できない可能性がある』

 その意見には賛成だ。しかし、ミネラ守備隊は少なからずまだ戦えるのに、と顔をしかめるものも多い。先ほどの戦いで手ごたえがあったのも起因しているだろう。一部とはいえ、スライムに自分たちの戦いが通用したのだから。

『幸いなことに、時間はある。スライムの行動速度はゆっくりだし、それだけ離れれば追跡もされないはず』

 プラエの話を聞き終える前に、全員が同じ方向に顔を向けた。

 木々の枝葉がこすれる音が徐々に近づいてくる。

「全員、戦闘準備!」

 カナエの号令に、守備隊は盾を掲げて素早く隊列を組んだ。盾を構え、そして見上げた。私たちも、その光景を見上げていた。

「行動速度はゆっくり、離れれば追跡されない、はずじゃないんでしたっけ?」

 思わず毒づく。冷汗が流れる。うなじの毛がちりちりする。

 スライムが、私たちの前にその全容をさらしていた。

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