第64話 来る

『気をつけて!』

 突如入ったプラエからの通信。気をつけてと突然言われても、何に気をつければ良いのか聞き返そうとした時だ。突然、部隊前方にある城壁の一部が崩れた。まだ敵の車が残っていたかと、団員達にすぐさま身を隠すように指示を出し、私も物陰に隠れた。壁が崩れれば、次は敵が侵入してくるのは明白だ。その敵に対して、見えない場所から狙撃するつもりだ。

 もうもうと土煙の立ち込める前方をこそこそと物陰から覗き見る。ウェントゥスは既に向けられており、いつでも撃てる状態だ。家屋の屋根や陰に潜む団員達も、合図一つで集中砲火を浴びせる準備が出来ている。


 結果として、私たちは誰一人狙撃出来なかった。


 土煙が晴れても、なかなか敵は入ってこなかった。奇襲は早さが重要だ。すぐに攻め込んでくると思っていた私は、肩透かしを食らったような心境で、様子を伺う。

 ずん、と足元が揺れた。地震を疑い、次の瞬間それを否定した。せざるを得なかった。新しく出来た不細工な出入り口から、にゅっとその鼻先が覗いた。もちろん人間の物じゃない。人間の鼻はあんなに尖がってないし、四、五メートルの高さに位置しないし、人間の頭よりもでかいはずがない。

「な、ぁ・・・」

 誰かの驚嘆の声が背後で漏れた。気持ちはわかる。

 なぜここに【ドラゴン】がいる? しかも二匹も。

『アカリ、聞こえてる? 聞こえてる前提で話すわよ? さっき妙な音が聞こえたのね。で、それが何かってずっと考えてたんだけど、思い出したの。ドラゴン種【ペルグラヌス】の鳴き声に似てたのよ。ホラ、一回遭遇した事あったわよね? あのクソでかい奴よ』

 興奮したようにまくし立てるプラエの声が、静寂の中でキンキンと跳ねる。このときほど、プラエを恨んだ事は今のところ無い。

 もちろん覚えている。今のように対龍装備を揃える前。小さな依頼をこなしながら、街から街へと渡り歩いていた時、ペルグラヌスに遭遇した。全長約二十メートル。体高六メートル。巨大な顎を持ち、姿はティラノサウルスに似ている。違うのは、ティラノサウルスの前腕は退化して小さかったが、こいつは前腕も後ろ脚同様発達している点だ。資料では五指の鋭い爪と膂力で垂直の壁を昇ることも、獲物を掴むことも出来るらしい。

 幸い向こうはこちらに気づかず、もしくは気にもせずに去ったので事なきを得たが、もし戦闘になったら確実に全滅していた。

「ちょっと、黙ってて、ください」

 あの時の息苦しさを思い出し、可能な限り声量を抑えた、かすれた声で返答する。

『え? 何か言った? 良く聞こえないんだけど?』

 わざとなのだろうか。狙っているのだろうか。だとしたら笑えない。少し声量を上げて返答する。

「今、目の前に、そいつらがいます」

『・・・嘘でしょ?』

 ようやくこちらの事態を把握したのか、プラエも声を抑えていた。

「数は二匹。崩れた城壁の間から首を出して、キョロキョロ様子を伺っています」

『何でペルグラヌスがいるのよ。連中の住処は標高の高い山岳地帯でしょ? 私たちが遭ったのも登山道じゃない。迷い込むレベルの場所じゃないわよ? 標高数メートルの平地よここ』

「理由は不明です。もしかしたら餌を求めて降りてきたのかも」

 山で取れる餌が不足して、野生動物が麓の街まで降りてきたなんて話は、元いた世界でもあった。ここでも似たような理由で降りてきても不思議ではない。

『んなわけないでしょ。餌は山に十二分にあるわよ』

 プラエが一蹴した。

『ドラゴンも含めて、基本、獣は自分の縄張りから出ないの。色々理由はあるだろうけど、私なりの見解としては『出る必要がない』からよ。餌はその縄張りの中でとれる。下手に知らない物食べて腹壊したくないのは獣も同じよ。知らない物に挑戦するのは人間くらい。また、縄張りってことは勝手知ったる自分の家と同じ。目を瞑っても移動出来るほど知り尽くして、どこに餌があるかも、危険が迫ったらどこから逃げれば良いかも理解している。つまりね、既知の中で生活するのが獣じゃないかと思うわけ。人間以外の獣は未知に挑もうとは考えないのよ』

「では、既知からはみ出た連中には、何か理由があると言うことですか?」

『そうとしか考えられないわ。未知に挑むだけの理由が。それこそあなたが今言ったような餌不足による餓えなんかも理由に上がるでしょうけど、それはやっぱり無理がある』

 餌以外にどんな理由があるというのか。睡眠や性欲、食欲など、本能に関係するほど強い欲求のはず、しかしそれらは縄張りの方が満たし易い。

「う、うわ、うわあああああああああああ!」

 ペルグラヌスがいる、更に前方で悲鳴が上がり、思考を中断する。ドラゴン襲来を理解したエクゥウス傭兵団の団員達が、本能からせり上がる恐怖を声で表現した。

「ドラゴンだ! ドラゴンが!」

「喰われる、喰われちまう」

「何でだよ、何でこんなところにドラゴンがいるんだよぉ!」

 ある程度ドラゴンに慣れている私たちでも驚いたのだ。彼らの混乱ぶり、察するに余りある。


 ブゥアアアアアアアアアアアアアアア!


 騒ぐ矮小な人間達に向けて、ペルグラヌスが吼えた。奴の腕が、足が、全身が隆起する。次の瞬間、全長二十メートルの巨躯が飛んだ。カタパルトから射出されたがごとき勢いで水平にかっ飛び、エクゥウス傭兵団の後方部隊に喰らいついた。人間が奴の肉体と地面との間に挟まれ、物理的にすり潰されていく。後には真っ赤な摩り下ろしが残るのみだ。一瞬にして、訳の分からない間に、ただ仲間が死んだという事実だけが本能に突きつけられた彼らの戦意は、同じようにすり潰されて消滅した。

 彼らは傭兵だ。何度も死ぬ思いをしただろうし、死ぬことを何度も意識しただろう。けれど、この死に方は想像しなかったに違いない。彼らにとっての死は、死ぬほど戦っての死だ。最後の最後まで命を燃やし尽くした上での尊厳ある死が、彼らが想像し、覚悟している死だ。こんな呆気ない死を想像も覚悟も出来るわけが無いのだ。

 エクゥウス傭兵団は瓦解した。蜘蛛の子を散らすように四方八方に逃亡を図る。

『何あの鳴き声!』

 プラエの悲鳴が通信機から響く。その周囲のざわめきも一緒に伝わる。何が起きているかは分からないが、まずい何かが起きているのを避難している住民達も感じている。

「ペルグラヌスがエクゥウス傭兵団に襲いかかりました。もう戦闘どころじゃ無いでしょう。見てる傍から戦線が崩れています」

『そんなに圧倒的なの? 彼らの覚悟を一撃で突き崩せるほど?』

 エクゥウスはこの戦いに団の生命がかかっている。彼らが一つの街を滅ぼそうとした事実が明るみに出れば、傭兵団として致命的だからだ。傭兵に用意されているはずの逃げ道が彼らにはない。賭ける覚悟は相当な物だろう。だが

「物理的にも、精神的にもすり潰されれば、全てを捨てて誰でも逃げます」

 悲鳴が木霊する。二匹の災厄が、悲鳴の中心で暴れている。

『どうするの、団長』

 静かにプラエが問う。

『奴らがここに来た理由は分からない。けれどわかることもある。このまま行けば、エクゥウスではなくペルグラヌスがアルボスを滅ぼすわ。ボース傭兵団も奴らの存在を既に感知してる。・・・今、ギースからの連絡があったわ。ボース傭兵団の団長が撤退を指示したそうよ。エクゥウスの連中が開けた穴から逃げる算段みたい。ギースはこっちに戻って私に合流する予定』

 団員達が、私の周りに集まってきた。彼らの顔を見渡す。

『多分、これは逃げても問題ない話ね。私たちは約束通りエクゥウスからアルボスは守った。私たちが手を下したわけじゃないけど、エクゥウスはこれで間違いなく壊滅する。依頼は果たしたと判断して良い。逃げるんなら、私はそろそろ身支度をしたいんだけど?』

 どこか挑発するようにプラエは言った。まるで、反対の意味の返事を待っているかのようだ。

「身支度の前に、お願いがあります」

『何?』

「おそらく、ボース傭兵団は依頼を破棄する旨を伝えるでしょう。そのため彼らに支払われるはずだった金貨三百枚があぶれると思うんです」

『なるほどなるほど?』

「領主に交渉を持ちかけてください。もしペルグラヌスを退けたら、報酬を倍にしろ、と」

 見渡していた団員達の口元が、笑みを作る。もし一人でも嫌そうな顔をしたら、すぐさま取り下げて撤退を指示するつもりだったが、一人もいなかった。

『戦うのね?』

「ええ。私たちの目標はインフェルナム。ドラゴン種の最上位。ペルグラヌスは恐るべき力を持ちますが、危険度ランク的には中の上。奴を仕留められなくて、どうしてインフェルナムに勝てるというのでしょう」

『至極御尤もな話ね。団長の周りにいる皆も、それで良いのね?』

「「「応ッ!」」」

 各々が拳と拳をぶつけあう。

『了解。領主と交渉するわ。倍以上必ずもぎ取るから任せておいて。その代わり、そっちは必ず生きて帰ってきなさい』

「もちろんです」

 通信を終え、私は団員達に向き直る。

「そろそろ中程度のランクのドラゴンは狩り飽きたでしょう」

 軽い冗談に、彼らは笑ってくれた。

「団結成後、初めての上位種との戦闘になります。それも二体。我々の実力を見せつけるには丁度良い相手です。皆さん、心の準備は宜しいですか?」

「もちろんだ」

 最初に力強く頷いたのはモンドだ。インフェルナムの恐ろしさをよく知る男、そして、自分が尊敬する人間をドラゴンに殺された、私と同等以上にドラゴンを憎む男が自分の胸を強く叩いた。

「準備だけは、いつでも出来ていた」

「予行演習には丁度良い相手じゃねえの?」

 テーバが言った。軽い調子で言うが、彼は最もドラゴンを恐怖する男だ。目の前で自分の部下を全て焼かれ、自分自身も燃やされかけた。その記憶はきっと彼の頭に染み付いて、今後一生付きまとう。

「ここらで、ひとつやってやろうや」

 他の団員達も、各々が胸に思いを秘め、ドラゴンに復讐を誓う者たちだ。そして唯一、インフェルナムと交戦していない男が口を開いた。

「僕らは、団長についていきますよ。今までも、これからも」

 ムトのセリフに「一丁前に」と茶化しながらも他の団員達は同意した。

「分かりました。では共に参りましょう。我らはアスカロン。龍殺しの剣。龍の鱗を貫き、命を絶つ者」

 振り返り、己が獲物を見据える。

「いつまでも、人間が喰われる側だと思うな」

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