第63話 奥の手と呼んではいけない奥の手

「失敗しただと?!」

 部下からの報告を受けて、シフは怒りと困惑がない交ぜになった顔で部下に詰め寄った。あまりの勢いに、部下は締め上げられているような圧迫感と恐怖を覚えながらも、きちんと伝令の役目を果たす。

「は、はい。敵陣より、館内に侵入したエクゥウスの部隊を掃討したという声が上がり、敵は士気を高めています」

「敵の策に違いない。こちらの士気を落とそうという魂胆だろう」

 自分でも無理のある事を言っているとシフは理解していた。隠密で潜入させているのだから、気づかない限りは『侵入した部隊』という単語は出てくるはずがないのだ。

「そう思い、潜入した部隊に向けて伝令鳥を飛ばしましたが、いまだ返答はありません。この距離であれば、五分も経たずに返答が来るはずです」

 部下から続けて出た報告が、シフが最も考えたくない展開に現在追い込まれている事を決定付けていた。

 読まれていたと言うのか。この総攻撃こそが囮ということに。ありえない。その言葉がシフの脳内を駆け巡った。

 伝令鳥がもたらしていた東側のボースの隊列が乱れるという情報は、こちらを誘導するための敵の策だ。だから東側にボースの全部隊が待機していた。敵は自分達が騙されて突っ込んできたと狂喜したはずだ。自分達は騙された振りをしてやっていた。敵の目をひきつけるために後退の演技までして、敵を館から引き離そうとしていた。

「浮かれていたのは、こちらだったというのか・・・!」

 歯が欠けんばかりにシフは強く食いしばった。策を見破ったと浮かれ、普通ではありえない、水中からの侵入作戦を思い付いた時は勝てると確信した。誰が思いつく? 普段であれば、川は天然の城壁だ。誰もここを越えようとは思わない。自分だけが、その常識を打ち破った。後世に残るような戦術だ。

 しかし、敵はその慢心を笑うように阻んでみせた。信じられなかった。認めたくなかった。ボースは自分達と同程度の規模の傭兵団だ。その傭兵団と戦って負けるという事は、ボース団団長に自分が劣るということになるからだ。

 認められるか! シフは強く拳を握る。策は破られた。それが何だ。ここ本陣は潜入を成功させるための囮の要素を持つが、本命の要素も持ち合わせる。ボースの防壁さえ突き破ればこちらの勝ちなのだ。それに、まだこちらには奥の手がある。エクゥウスに話を持ちかけてきた連中が持つ奥の手が。他人の奥の手を当てにするのはどこか心許無いが、勝てば良いのだ。

「策の一つが見破られた。しかし、依然我々は負けずここにある。狙いは変わらない。ボースの防壁を崩し、領主の首を取るのだ」

 部下を鼓舞するシフの元に、更に悪い情報が舞い込む。

「伝令! 背後より敵部隊を確認、交戦を開始しました。しかし、敵は巧妙にこちらにひと当てしては下がり、それを深追いすれば要撃に遭い苦戦しています」

 まさか、先ほどまで自分達がボースたちに与えていた苦痛を、今度は自分達が味わう羽目になるとは。ここで背後の部隊を討つ為に部隊を分ければ、たちまちボースの全軍に各個撃破されて飲み込まれる。かといってこのままでは前後に注意を払いながら戦い、戦力も精神も削られていく。

「仕方ない」

 シフは腰に下げた袋に手をやる。

「団長、指示を・・・団長?」

 部下の誰何の声を無視し、シフが取り出したのは三十センチほど、三角錐型の物体だ。最も広い面の部分は六角形の穴が三つ空いており、その面とは反対側の頂点は笛の吹き込み口のような形になっている。実際これは笛だと彼は教わった。自分達に依頼を持ち込んだ、ある国の使いを名乗る連中は、これをシフに渡し『緊急時や援軍が欲しいときに鳴らせ』と指示していた。そんなことよりも最初から手を貸せと思わなくもなかったが、連中は可能な限り自分達の正体を知られたくないらしく、自分達が出ることになった場合は報酬を減額すると言った。

『それとも、自信がないのか? これだけのお膳立てをして、それでもボース傭兵団に勝てないと?』

 その挑発に自分は乗り、自分達だけでアルボスを落とすと決めた。しかし、自分の意地も、団あってこそ。その団が窮地に立たされているのに、意地もクソもない。

 笛を天に向け、大きく息を吸い、吹き込み口にありったけの空気を流し込む。低く、腹の底を揺らすような重い音が拡散していく。予想していた音と違い、シフは軽い驚きを覚えた。もっと甲高い、注意を引くような音だと勝手に思っていたのだ。念のためにもう一度、二度と吹く。音色は変わらない。敵に援軍を悟られない為に、自分達だけが受け取れるような、特殊な音なのだろうと納得し、シフは援軍を待つことにした。こうなれば、後は援軍が到達するまでの間耐え忍ぶと覚悟を決めて指示を出す。


 シフの推測は半分当たっている。確かに彼の笛は、特定のものにしか理解出来ない音だった。

 アルボスの周囲にある森がざわめく。その音の正体を知っていた、眠っていた獣は飛び起き、鳥は慌てたように飛び立つ。やがて、森を【何か】が通過する。木々を薙ぎ倒し、大地を引き裂きながら闊歩する【何か】は、音に導かれるようにして土、石に囲まれた奇妙な場所へと歩を進める。


 領主や領民たちと共に、領主の館の庭園に待機していたプラエは、空を見上げた。何かあるわけではない。しかし何かが聞こえたので、その方角を見ただけだ。

「?」

 館の外のすぐ傍で繰り広げられる戦闘。剣戟と怒号と断末魔の間を縫うようにして、それ以外の何かが聞こえた気がした。気のせいか、そう思い顔を戻そうとして、やはり聞こえた。怒号よりも低く、断末魔よりも長く、剣戟よりも生物的な、なによりどこかで聞いたことのあるような音だ。

「どっ・・・かで、聞いた事あるような、ないような」

 何だっけ? 首を捻る。外の趨勢は、こちら側に大きく傾いている。戦いは終わるまで油断してはならない物だが、直接戦闘に絡んでいるわけではない彼女は、思考の一部をそれに回すことが出来た。

「何の音だっけか。頭に引っかかるって事は、どっかで聞いたはずの音だけど」

 聞いた事がなければ、この状況で聞こえるはずがない。聞こえていても注意を向けるはずがない。生物は、自身に関連する言葉や声などを他の音が混じっていても聞き分けられるものだ。騒がしい飲食店でも、店員は客からの注文を取れるし、厨房は店員からのオーダーを聞き取れるように。

「音、音、音、音・・・? 違うな。単純な音じゃない。これは音というか・・・【鳴き声】?」

 突如、彼女の中で情報が爆発した。これまで彼女に蓄積していた一つ一つの情報の点が、線となって結びつき、仮説を生んだ。

「いや、まさか、そんな馬鹿な、ねえ?」

 はははと、彼女は自分の傍にいた領主の私兵の肩を叩いた。領主と彼女達傭兵の連絡の為に、彼女の傍に待機していた兵は、気味悪そうに一人笑う彼女を見た。しかしそんな奇異の視線を気にしている場合ではなかった。

 この街に飛び交う噂。低い唸り声、行方不明の商隊、聞いたことのある鳴き声。繋がるのか。繋がってしまうのか。いや、その低い唸り声の正体は、車とかいう魔道具のエンジンだったのではないのか? しかし、それを確認したわけじゃない。自分達はその低い唸り声を聞いたわけじゃないから比較できない。そう、聞いた事がないのだ。街のあちこちを爆破した車のエンジンの音は、ここまで届いていない。つまり自分はエンジンの音を聞いた事がない。なのに、今届いた音は聞き覚えがある。逆説的に今のはエンジンの音ではない、ということになるんじゃないか。

 自分に聞き覚えのある鳴き声。そんなもの、そんな声の持ち主、一種類しか考えられないじゃないか。仮説は立てた、しかし確証は何も無い。けれど、彼女の勘は最大限の警戒を呼びかけていた。慌てて通信機器を持ち、口元に当てた。

「アカリ! ギース! 気をつけて!」


 そして、再び城壁は崩された。

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