第54話 追跡

 表が俄かに騒がしくなった。傭兵団ボースの部隊長オームは、傾けかけたコップを机に戻し、腰を捻って入り口の方を振り返る。どこかの酔っ払いが騒いでいるのかと思ったが、違う。そういう良くある馬鹿騒ぎとは騒ぎの質が違う。もっとこう、切羽詰ったような、そういう喧騒だ。

 自然と、自分が飲んだ酒の量を頭の中で思い出す。このコップで一杯、酔いが回るには程遠い量だ。思考も動きも鈍らない。

 あのアカリとかいう、弱小傭兵団の女に不覚を取ったのは、油断もあったが、酒が回っていたからだ。本来の自分の実力であれば、負けるはずがない。以降、彼は酔いが回り切らない状態を維持していた。

「隊長、どうしたんです?」

 部下の声に応えず、オームは席を立ち、入り口のドアを少し開け、外の様子を伺った。慎重な行動の裏には、もしかしたら、夜盗か何かが攻めて来たのではと僅かばかり疑ったためだ。自分達が逗留していることを知っていれば、そんな愚かな行為をする連中はいないだろうが、どこにでも度を越した馬鹿はいる。

 隙間から見えた光景は、人が同じ方向に走っていた。各々、同じ方向を指差して、口々に何か喚いている。夜も更けているというのに、彼らが走る方向は少し明るい。

「何だ?」

 危険はないと判断し、ドアを開ききる。視線を巡らせると、その方向の何軒か先が妙に明るい。いや、明るいどころではない。巨大な松明が燃えているかのようだ。

「何だ? 火事か?」

 焦げた匂いが漂い鼻にまとわりつく。赤い炎がゆらゆらと揺れているのが見えた。外に出ると、喚いている野次馬の声が耳に入ってきた。内容から、どうもファリーナ商会の店舗が燃えているようだ。確かあそこは、物資を運搬する商隊が謎の行方不明に陥って品数が減り、休業中だったんじゃないのか。人も物もない場所で、店が燃える理由が思いつかず、オームもまた炎に引き寄せられていく。人混みをかき分け、人の環の一番前に出る。派手に燃えてはいるが、既に消化活動が行われ、炎の勢いは収まりつつあった。元々はレンガ造りの店だ。外壁は煤まみれだが熱で崩れるほどではない。屋根は燃え落ちたが他の家屋への延焼もなく、被害は店のみで押さえられている。悠長に野次馬がくっちゃべっているはずだ。もっと被害が大きければ、いまこの場にいる連中も消火活動に加わっている。祭りが終わった後と同じで、集まった人間もこのまま解散していくだろう。オームの想定どおり、人々は収まりつつある火事から徐々に興味を無くし、その場から立ち去っていく。オームもその流れに乗って、踵を返した。何気なく百八十度回転したその視界に、気に鳴るものが映りこむ。

 解散する住人たちに混ざって足早に去っていくのは、あれは、エクゥウスの団員だ。間違いない。気にいった相手以上に、嫌いな相手の顔は覚えている。いつか殺すために。火事の見物、に来たわけではなさそうだ。火事に興味を無くしたから去っていく人間の様子とは異なり、どこか焦りが見える。それこそ、自分の荷物か何かが燃えてしまったかのようだ。

 ここ最近、エクゥウスの連中を見かけなくなっていた。また新しい依頼を横取りしてどこか行っちまったんだろう。そう思っていた。

 奴ら、実力は大した事ないくせに人に取り入るのが上手い。アルボスに来たのはボースが先だった。しかし、奴らは領主や住民に媚を売り、瞬く間にボースと並び賞されるようになった。いまでは、古参の自分達よりもでかい顔をしてアルボスを闊歩する始末。奴らが来る前からこの街を拠点にしてきたボースにとっては面白くない話だ。我が物顔で人の縄張りを荒らしている。新入りは、謙虚にしているべきだと常々オームは思っていた。声には出さないが、同じ団員の仲間達も同じように思っているに違いない。ちょっとした乱闘騒ぎを何度も起こしている自分が、ボース団長から注意を受けないのがその証拠だ。

 だから、鬱陶しい連中が視界を汚さないのでここ最近は清々しい気分でいられた。残りはあのクソ生意気な小娘だが、自分を避けているのか一向に現れない。エクゥウスの連中がいなくなったから、ここらの店屋は空きが増えた。情報収集がてら色んな店に足を運んでいるのだろう。貧乏弱小傭兵団の涙ぐましい努力だ。

 小娘の事は一旦頭の隅にどかせ、今はいなくなったと思っていたエクゥウスの団員に意識を向ける。オームの足どりは団員を尾行するように慎重に動いていた。声をかけることも考えたが、相手の様子がおかしいのには訳がある、声をかけても逃げられるだけだろうと踏んだ。同じ方向に歩く人影に身と視線をかぶせながら、斜め後方から相手を追う。

 エクゥウスの団員は通りから外れ、細い道に入り、中心部から外側、街を囲む城壁の方へと足を進めていた。人の代わりに物影に身を隠しながら、オームはその後を追う。団員は時折周囲を警戒するようなそぶりを見せ、入り組んだ道を何度も曲がりながら進んでいる。何か隠しているのは間違いない。もしや、奴がファリーナ商会に火をつけたのか? しかし、あの火事現場で見た奴の様子は困惑だった。自分にとって予想外の事が起きたのだ。では、燃えなかったらなんだったのだ、という疑問。この街から消えたはずの人間が、ファリーナ商会が燃えたぐらいで取り乱す理由はなんだ。

 ついに団員は城壁に辿り着いた。物影に身を潜めながら、オームは顔を半分だけ出して様子を伺う。団員ともう一人いる。あれは、ジュール。エクゥウスの偵察部隊隊長ではないか。奴の部下だったのか。ならば、情報収集が仕事か。耳を澄ますと、彼らの声がかすかに聞こえる。

「・・・り、燃えて・・・」

「おそ・・・店に運び込まれ・・・の」

 言葉の断片しか聞こえない。もう少しオームは身を乗り出した。

「依頼人の計画の胆が簡単に消滅したわけだ。・・・店主が裏切ったのか?」

「不明です。いま、他の人間も捜索しているのですが・・・。しかし、あの店主に依頼人の兵をどうこう出来るとは思えません」

「確かに。出来るなら、数日前に店を乗っ取られそうになった時点でやっているだろう」

 自らの推測を苦笑と共にジュールは否定した。

「では、その彼らとの連絡は?」

「そちらもつかない状態です。火事に乗じて身を隠したんでしょうか?」

「彼らがいれば、そもそも火事など起こさせないと思うがね」

「では、彼らにとっても予想外のことが起きた・・・」

「そう考えて良いだろう。おそらく、彼らとの連絡は二度とつかない」

「まさか・・・」

「ああ。もう死んでる。しかも殺されたんだろう」

「一体誰が彼らを? 計画が漏れていたという事ですか? それで、計画を阻止する為に動いてる連中にやられたと?」

「かも知れんな。どう思う? 傭兵団ボース突撃部隊長、オーム殿?」

 ジュールの穏やかな目がオームを射抜いた。驚いたようにこっちを振り返る部下とは違い、はじめから自分の存在に気づいていた。気づいて、話を聞かせていたのだ。奴らの計画を阻止しているのが自分達ボースではないかと疑って、話を聞かせる事でこの場から離れさせないようにしていた。

 とっさにオームは頭を庇いながら体を横に投げ出した。何かが肩に痛みを伴ってめり込む。棒状の鈍器で殴られたのだ。転がりながら体勢を整え、自分の居た場所を見ると、同じくエクゥウスの団員が棍棒を振り下ろした状態で立っている。

 油断はしないと決めていたはずなのに、いつの間にか背後を取られていた。話に集中しすぎたせいだ。

 部下に何も言わず置いて来たのを後悔しても、もう遅い。城壁を背にしてまわりを見渡すと、既に囲まれていた。

「流石はオーム隊長。背後からの奇襲を躱すのか」

 楽しげにジュールが言った。

「手加減してくれてありがとうよ。それが斧だったら、俺の腕はもう使いものにならなかった」

「斧なんて、使うわけないだろう。生け捕りにしなきゃ、あんたから情報が引き出せない」

「情報だ? 俺から何を聞きたいってんだ。良い女のいる店か? それとも、お前らの計画とやらを邪魔してる連中のことか?」

 言った途端、連中の雰囲気が変わった。

「良い女がいる店も是非とも教えて欲しいが、それ以上に教えてほしいのはそっちだな。・・・一度だけ、穏やかに聞く。正直に答えれば、苦しまないで死ぬことが出来る」

「涙が出るほど嬉しい提案だ。良いぜ。何でも聞いてくれ。答えるかどうかは俺の気分次第だが」

「我々の邪魔をしているのは誰だ? ボースもこの件に介入しているのか?」

「残念だが知らねえな。知っていても教えねえし、お前らも、俺が正直に話すとは欠片も思っていないんだろ?」

「そんなことはないさ。ただ、もしかしたら忘れていることを思い出して貰う必要はあると考えているが。知ってるか? 人間、痛みによって脳の働きが活性化するらしいぞ」

「拷問にかけるって素直に言えよ。これだからエクゥウスの連中は嫌いなんだ」

 オームは逃げられない運命を悟った。自分を囲むのは五人。一対一なら、けして負けるような相手じゃない。しかし、多勢に無勢だ。しかも、左腕が上手く動かない。折れたか外れたか、いずれにせよ残った右腕しか使えない。唯一の救いは、相手に自分を殺す気は、今のところないという事だ。致命傷を避けるために胴体ではなく手や足を狙うだろう。狼の狩りのように、獲物の手足を少しずつ削ぎ落とし、動きを止め、心を折りに来る。狼はそこで止めを刺し、奴らはそこで自分を捕らえる。

 腰の剣を抜く。剣先を相手に向ける。最後まで足掻く。生き残り、団にこの状況を伝えなければならない。生かして返す気がないのは、裏返せば生きていて貰ったら困るわけで、ひいてはボースにも何かしらの影響を及ぼす可能性があるのだ。オームにも団に対してそれなりの忠義はあるし愛着もある。何だかんだと部下は可愛い。彼らが、よりによって嫌いな連中のせいで死ぬなんて、許せるはずがない。

 肩の痛みのせいで呼吸が浅く短くなる。脂汗が滲み、額を伝って顎から落ちる。突破口はないかと目を左右にせわしなく動かし探る。

「ボースの部隊長でありながら、彼我の戦力差も分からないとは。団の質も知れているな」

 正面の男が皮肉げにオームを蔑む。

「てめえこそ、ぐだぐだ喋ってる暇があるならかかってきな」

 男をねめつけ、オームは嗤う。

「自分の優位に酔って無駄口を叩いてるようじゃ、それこそエクゥウスの質が問われるぜ。半人前の、小便臭いガキが」

「貴様ぁ・・・」

「一丁前に怒ったか? この程度で怒るようなら、おしめを履いて出直してきな。可愛いベイビィちゃん」

 顔を真っ赤にして、男が斬りかかってきた。それでいて、狙いは自分の右肩。一応、頭の隅っこには生け捕りの言葉が残っていたらしい。

「可愛いじゃねえか」

 思惑通り、自分の挑発に乗った。隊長の前で良い所を見せようと包囲の真ん中で陣取り、しかも敵に対して話しかけるような自己顕示欲丸出しの男なら、ちょっかいをかければ噛み付いてくるだろう。予想は的中した。怒りで思考力の幅が狭まり、かつ振り上げてからの斬り降ろし、狙える場所は頭か肩だ。来る場所がわかっていれば躱すのはわけない。

 振り下ろされた剣を片手で受ける、と見せかけて、斜め前に踏み込む。相手とすれ違うようにして、剣を横薙ぎに払う。

「・・・え?」

 男は腹から盛大に血を吹き出した。

「そっちこそ、部隊長を舐めちゃいけねえな」

 オームは次第に崩れていく男の横腹を押し出すように蹴った。目論見どおり、踏ん張る力を失った男は、オームから見て右側にいる仲間の方へと吹き飛ぶ右方向の敵の気が、倒れた仲間に向く。

「どらぁ!」

 僅かに開いた突破口に、自分の体を捻じ込む。使いものにならない左肩で、痛みを堪えて慌ててこっちに意識を向けた相手を押しのける。食いしばり、加勢に来ようとしたもう一人に向かって剣を大きく振るう。怯んだ。包囲網に穴が、突破口が開く。

「情けない」

 オームの右足に激痛が走る。途端に力が抜け、左足で何度か飛んで、そのまま倒れた。右足を見ると、太腿から杭のような切っ先が覗いている。切っ先が引っ張られ、足から引き抜かれる。

 痛みで気が遠くなりそうなのを堪えて、引き抜かれた切っ先を目で追う。切っ先はロープに繋がっていた。ロープの先には、柄を持つジュールがいる。ロープはシュルシュルと短くなり、通常の剣と同程度の長さになった。倒れ伏すオームに、ジュールが近付く。

「そいつが、御自慢の魔道具かよ」

 話には聞いていたが、実際に使われるのを見たのは初めてだ。

「ああ。長年の相棒『ウガッカ』だ。今みたいに鞭の様に伸ばし獲物を打つことも出来るし」

 ジュールがウガッカを振り下ろした。オームの肩に、切っ先が突き刺さる。野太い悲鳴が路地裏で木霊する。

「こうして、槍のように突くことも出来る」

 オームを地面に縫い止めて、ジュールは不甲斐ない部下達を見渡した。

「たった一人の、それも手負いの人間に容易く包囲を破られるな。それでも貴様らは、栄えあるエクゥウスの団員か」

 ジュールの叱咤に部下達が縮み上がる。直立不動の部下達を尻目に、ジュールはオームに向き直った。

「さて、もう一度尋ねるぞ。傭兵団ボース突撃部隊隊長オーム。お前はどこまで知っている?」

 荒く息をついたままのオームは何も語らない。ジュールはウガッカを捻った。悲鳴が再び上がる。

「お前は何を知っている?」

「が、はは、てめえらが、ろくでもない連中だって事だよ」

 ウガッカが引き抜かれ、再び振り下ろされる。反対の肩に穴が空く。

「何を知っている?」

「く、くたばりやがれ、クソ野郎」

「・・・そうか」

 これ以上痛めつけても、オームは何も吐かないだろう。もしかしたら、本当に何も知らないのかもしれない。ジュールはそう判断した。決めてしまえば、後は速い。計画は既に動き出している。ファリーナ商店に隠してあった毒が無くなったとなれば、計画変更を持ちかけなければならない。今ならまだ中止することも出来る。傷口もごく僅かだ。ジュールとしても、団長が決めたこととは言え今回の依頼には否定的だった。払いは良いがリスクも大きい。失敗すれば全てを失う可能性だってありえるのだから。

「悪いな。オーム」

 三度、ウガッカを引き抜き、振り下ろす。

 

 しかし


 三度同じ結果が訪れるとは限らない。


 痺れの残る腕を押さえ、ジュールは飛び退る。横合いから伸びてきた何かに切っ先を弾かれた。ウガッカを取り落とさなかったのは幸運だった。新たな敵を前にして、武器がないのは話にならない。視線で部下に合図を送り、陣形を整えさせる。

「邪魔をして申し訳ありません。私もその男は嫌いです、が」

 物影から第三者が現れる。

「君は」

 現れた人物を見て、ジュールは目を見開いた。幼さの残る風貌、華奢な体躯、それに似つかわしくない巨大な篭手。

「彼が生きていた方が、何かと都合が良いので。引き渡して頂けると、助かります」

 アカリと呼ばれた女傭兵が、ジュールの前に立ち塞がった。

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