第52話 胸騒ぎ

「私が知っているのは、これだけです」

 ファリーナ商会アルボス支店店長、ボブは、自分の城たる店内で私たちに囲まれながら話を終えた。助けに向かった彼の妻子は、今は別室で眠っている。

 ボブの家に一緒に向かったモンドによれば、妻と娘は手足を縛られ、床に転がされていたらしい。監禁されていた数日間は飲食を与えられておらず、彼らが訪れたときには餓死か脱水症状で死ぬ寸前だった。話を聞く前に彼女らの手当てが先ということで、医者を呼び、消化吸収のよいおかゆをゆっくりと食べさせた。やはり彼らは、自分達と関わった者を生かしておく気はサラサラなく、ボブも用が済めば殺害していたのだろう。

 自分の命が風前の灯火だった事に背筋も心胆も凍らせ、しかし家族全員が無事でほっと安心したボブは、こちらに対して若干の怯えを見せるものの、素直に全て話していると思う。心境の変化に大きなギャップを生み出させれば、簡単に人は操れる。コンビニの棚にあった、洗脳マニュアル的な漫画を思い出す。

 彼が知っていた内容は、ざっと二つ。

 危険物やあの男連中が関わっている今回の配送は、本部から機密の配送があると連絡が事前にあった事。ただ、その通達は今にして思えば偽造されていたのではないかと彼は言った。

 約束の期日とやらが、明日である事。

「ちなみに、いつからこの店は占拠されていたんですか?」

「三日前です」

「この店に商品が入らなくなってたのはどうして?」

「店内の商品を大幅に入れ替える、という指示があったので、わざと輸入する数を減らしているのだとばかり思っていました」

 彼の話に、私たちは顔を見合わせた。

「ちょっと待ってください。ファリーナ商会の商隊が来ないのは、輸入を制限しているからなのですか?」

「ええ、そう思っていました。本当は、あの車とかいう魔道具と毒を持ち込んで、隠すための空間を作る為だったとは」

 今確認したいのは、そこではない。

「それまでは、通常通り商隊から商品は届いていたんですか? 何事もなく?」

 質問の意図がわかりかねたか、ボブは首を傾げながらも答えた。

「今回のこと以外では、特に何事もなく商品は搬入されていました。向こうに台帳があるので、確認出来ます。到着する商隊と品数は、事前に本店より魔道具にて商品情報と商隊情報が届きます。搬入する際にそれで確認する手はずになっています」

「では、ここ最近、連絡があったのに訪れていない、例えば事故等でこれなくなった商隊はいますか?」

「いないと思います。あれば、そのことをこちらから連絡しなければなりませんし、本店からもそういった事故の連絡はありません」

 ボブから視線を外し、団員の皆を見渡す。

「どういう事? ファリーナ商会の商隊は、もともと存在しなかったの? 噂では、行方不明になってたんでしょう? 盗賊だかドラゴンだかに襲われて」

 その噂すらも、いまは怪しい物ではあるが。

「この店の商品が少ないから、誰かが適当に吹いたホラが、そのまま噂として広がった、ってこと?」

「それにしては、店名を出すなど、内容の所々に具体的な文言があったぞ? 下手に騒いだら、店側から訴えられる危険性がある。適当に吹くホラにしてはリスクが高すぎる」

 プラエの仮説に、ギースが待ったをかける。有名な商会の影響力は大きい。だからこそ、下手に名前を騙ったり、店の信用を貶めるような行為をすると、発覚した後が怖い。店からも、騙した相手からも叩かれる。しかも、有名な商会になればなるほど、自分達の営業妨害をしていないか、偽物がいないかなど厳しく監視している。信用とブランドを守るためなら、それこそどんな手でも使うだろう。だからこそ私たちは、ファリーナ商会が関わっていると信じ込んでいた。

 噂、噂、噂。ここ二、三日、噂に振り回されてばっかりだ。出所の分からない話はやはり厄介だ。確かめようがない。

「ああ、もう、ややこしい!」

 ムトが頭をかきむしった。

「もっとこう、単純明快になりませんかねぇ! 僕達傭兵でしょ?! 依頼受ける、戦う、報酬貰う、この三点で充分でしょう! なのになんで、こんな頭悩ませてんですか!」

「・・・それだ」

 ムトに人差し指をビシリと突き付けた。

「え、え? 団長? 突然なんですか?」

「ムト君良い事言ったわ。単純に、シンプルに考えましょう。私たちの悪い癖ね。明らかに話が矛盾している部分を掘り起こそうとしてしまう。時間があればそれも良いけど、今は時間がないのでした。期日は明日、ですが、日付は後数時間で変わってしまう。その瞬間から明日なのです。私たちは、後数時間後に来るかもしれない何かに備えなければならない」

 団員達に指示を出す。

「ここを拠点とし、至急、アルボスで情報を収集してください。何かが昨日と変わっている可能性が高い。どんな些細な情報でも良いので」

「了解」「おう」「すぐ出る」

 団員達が街の中へ散っていく。

「プラエさんはこの毒物の処理をお願いします」

「処理しちゃうの? 何だかんだで、これ結構貴重よ?」

「入手経路の説明できない、所持しているだけで罰則を食らうような物のせいで、後々痛くもない腹を探られたくありません。リスクは最低限に抑えます」

「うう、まあその方が安全かぁ。了解。適切に処分する」

「ありがとうございます。もし必要とあらば、正規のルートで入手しますから」

 少しだけ肩を落とすプラエにそう声をかける。

「ムト君、この街の見取り図は在りますか?」

「来た日からざっとですが作ってました。一応、大まかな位置はわかるはずです」

 机の上にムトが皮紙を広げる。街の俯瞰図がそこにはあった。

「え、何これ、凄い・・・」

 私たちの行動を横で見ていたボブが、思わず声を漏らした。私たちの視線を受けて、慌てて口を手で押さえる。

 ロールプレイングゲームで、空白の地図を、その空白の場所に移動することで地形を把握し埋めていく『マッピング』を楽しむ人がいる。私も人並みにゲームはしていたが、メインの物語だけを楽しめば満足するので、サブストーリーはそこそこ、マッピングに関してはただの移動の何が楽しいのかさっぱり理解出来なかった。

 けれど、この世界では、マッピングは生死を分ける。リムスに正規の地図はない。どこかの商会や国が作らせたという話もない。坑道の地図はかなり例外で、おそらく坑道に勤めていた管理者的立場の人間が、雇われた人間に働く位置を覚えさせる為に作った物だ。

 何故ないのか理由は幾つかあるだろうが、これも車と同じ理由で『必要ないから』だろう。ほとんどの人は自分の生まれた街から出ないから需要がない。自分の街の中なら、生まれてからずっと住んでいるのだから地図は必要ない。

 需要があるのは私たちのような傭兵や商隊だが、自分達が通るルートを、敵になるかも知れない相手に教えることはない。逃走ルートもあるし、ショートカットできるルートは誰にも知られたくない。早く到着する、それだけで優位に立てるのだから。

 街から街の経路に加えて、初めて来た街の地図を作らせるのは、逃走ルートを頭に叩き込んでおきたいのと、先の坑道の地図を作ったであろう管理者と同じで、団員達に自分の位置を把握して欲しいからだ。言葉や文で説明するよりも、視覚の方がわかりやすい。作らされるムトは初めこそ面倒だとか、意味があるのかとぼやいていたが、二つ、三つと街を渡り、マップの重要性が団員達に認知されるのをみて、認識を改めていた。

「アルボスは、高さが大体二メートルから三メートルの高さの城壁に囲まれた楕円型の街で、中央北側に更に高い塀に囲まれた領主の館、館の正面から南の城門まで南北に突っ切る大通りがあります。街の入り口はこの南の城門のみです。大通りに交差するように小さな通り、館と街を分けるように川が西から東に流れています。この川は街に引き込まれ、生活用水として用いられています。今僕達がいるこのファリーナ商会アルボス支店は、大通りの南側の、ここです」

 ムトが現在地を指差す。城門を通ってすぐの通りには宿屋や酒屋、飯屋などの飲食店が並び、もう少し先に行くと商店が並ぶ。この店は飲食店と商店の境目に位置している。通りはごちゃごちゃしているし、馬車の行き来も多い。

「もしこの街に毒を撒くとしたら、この川だな」

 地図を見ながら呟くギースに、ムトも同意する。

「川に投げ込めば全員が毒を口に含むことになりますね」

 あの毒物がどれほどの毒性を秘めているかにもよるが、生活用水が毒に犯されれば簡単に全滅する。

「団長」

 街に情報を集めにいっていた団員の一人が戻ってきた。

「お疲れ様でした。何かあったんですか?」

「急ぎ報告したいことがあったんで、まず俺だけ戻ってきやした。テーバ隊長達はもう少し集めてから戻るとの事です」

「急ぎの報告?」

 警戒度が上がっていく。ぞわぞわと、うなじの辺りの毛が騒ぐ。

「この街に常駐していた傭兵団の団員を、今日は一人も見かけません。昨日までは、この時間なら酒屋で騒いでいたのに」

「・・・どこの団ですか?」

「確か、エクゥウスです」

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