第49話 ファリーナ商会アルボス支店の現状
ファリーナ商会アルボス支店の規模が縮小している事を、この街の人間は皆気づいていた。しかし、対して気にはしていなかった。物流が滞るのは良くある話だ。たとえファリーナ商店のような大手であろうとも、起こる時は起こる。だから、既に店を閉めていたとしてもなんらおかしくはない。閉まっているのなら、別の店に行けば良い。そうして、町の人間の意識は、ファリーナ商会から遠ざかっていく。
閉じられたドアの向こう側、ファリーナ商会の店内では店長が詰めていた。椅子に腰掛け、小さくとも初めて任された自分の城を眺める。他の従業員はいない。商品がないのに店を開く理由もないし、これまで働き詰めだったこともあり、全員には長めの休暇を取らせている。
「店長は休まないんですか?」
従業員の一人が尋ねる。
「いつ本店と連絡がつくかわからないから、皆とずらして休むよ」
従業員はそれ以上店長を追求することなく、休暇に入った。今頃家族と仲良く過ごしていることだろう。出来れば、アルボスから出ていてくれると嬉しい。働き者で、これまで店に尽くしてくれた従業員達のことを思うと、店長は胸が張り裂けそうだった。
従業員に話した理由はもちろん嘘だ。本当は本国経由とやらで運び込まれた妙な物資と、そして
「おい」
野太い声が店長へ向けられる。店長が振り返ると、従業員の服を来た男が立っていた。サイズが合っていないのか、所々張り裂けそうになっている。
「は、はい。なんでしょうか?」
「食い物を調達して来い。肉と、酒だ」
言い捨てて、男は店の奥へと消えて行く。彼の背中に怒りをぶつける事も出来ず、ただため息だけを吹きかける。
本当は物資と共に現れた謎の連中に、店が乗っ取られていた。
事前に連絡は受けていた。特殊な物資が届く事、他の従業員に知られないようにする事など。おかしいとは思っていた。従業員に知られたらまずい物資とはなんなのか。だが、上からの命令にこれまで従い続けてきた習慣が店長から思考力を奪っていた。本店から来る物なのだから、別におかしな物ではないだろう、と。
そして現れたのが彼らとあの物資だった。彼らは本店からの指示書をこちらに突き付け、自分達の住居として店を押収した。流石に横暴が過ぎると店長は彼らと本店に苦情を申し入れたが、本店からは何の音沙汰もなく、男達からは拳や蹴りが返って来た。事ここに至り異変に気づいた店長は、彼らの目を盗んで物資を盗み見て、絶句した。あんなものを取り扱うなんて聞いてない。まさか、まさか本店はこの支店を・・・
「見たな」
気づいたときには、店長は組み伏せられ、首筋に刃をつきつけられていた。
「その顔を見るに、物の正体を知っているようだな。流石は、一つの店を仕切るだけの事はある。商品知識が豊富で何よりだ」
「あ、あんたら、一体何なんだ! あんなもん持ち込んで、どうしようってんだ! あ、あれ、あれは、毒の原料だぞ!」
彼らが持ち込んだ物は、馬に繋ぐためのくびきや、人が押すための取っ手のない妙な台車に乗っていた。一つ一つは何の変哲もない、魔術媒体の一つだ。しかし、ある特殊な組み合わせで混ぜることで、強力な毒が生成される。故に、これらの材料を取り扱うには、店舗に毒を取り扱うための専門の認可証が必要になる。また、取り扱い時には二名以上の毒物の取り扱いに長けた魔術師を配備し、その街を管理する領主等に在庫状況等を報告しなければならない。もし無許可なのに見つかれば、業務停止で済めば優しい処分だろう。それくらい、毒物の取り扱いは厳しいのだ。二名の魔術師を採用し、かつ専門の認可を受けなければならない、なのに必要とする人間は限られているため儲けが出ないこの商品を、アルボス支店では取り扱っていない。認可も、魔術師も存在しない。本店だってそんな事は分かりきっているはずだ。それなのにここに運ぶというのはどういう事なのか。本店の目的はわからないが、向こうはこのアルボス支店がどうなっても構わないと思っている事だけは確かだ。
「商店がやる事は一つだろ? 物を売り捌く。こいつも同じように捌くだけさ。しかも無償で」
「まさか、街にばら撒くのか?! そんな事したら・・・」
そこで、店長は悟った。彼らは、店長が恐れている事を起こそうとしているのだ。彼らはアルボスを壊滅させる気だ。一体どうしたら。
「下手な事は考えるなよ」
彼らのリーダーらしき男が脅す。
「今現在、このことを知っているのは俺達とあんただけ、という事実に注目してくれ。つまり、あんたは生き残れるってことだ。俺達の邪魔をしなければな。だが、もし邪魔をするなら、あんただけじゃない。あんたの家族も一緒に死んでもらう」
店長の脳裏に、妻と娘の顔が浮かんだ。仕事で疲れた自分を癒してくれる彼女達の笑顔こそ、店長の生き甲斐だ。
「な、なんでもする! だから、家族には手を出さないでくれ」
彼らの傀儡となる事を選んだ。彼らの言葉は信じられない。しかし、今逆らっても無残に殺される。自分はまだ良い。せめて、妻と娘の命を守らなければ。生きていれば何とかなる。彼らが言う約束の期日まで耐えれば解放される。そう信じるしかなかった。具体的にどうすればいいのかなんて、全く思いつかないが。
店長は外へと出ようとした。ドアを押し開けようとしてギョッとする。ドアのすぐ前に、一人の女性が立っていたからだ。体のラインを強調するようなぴったりとした、真っ赤なドレスに身を包み、動物の毛と思われるマフラーを肩にゆったりとかけた、派手な化粧の女だった。派手ではあるが、嫌味にならない。女の整った相貌をさらに際立たせ、魅力を高めている。
娼婦、ではない。娼婦がこんなところに来るはずがない。そもそも、纏う空気が違う。娼婦達が持つ男を惹きつける甘い蠱惑的な物ではない。もっとこう、相手を出し抜くのに特化したような。そこで思い至る。そう、彼女は商人のような雰囲気を纏っているのだ。相手を出し抜く為に、目や耳をこらして相手の隙を常に探しているような、そんな雰囲気だ。
こんこんと、ドアが叩かれる。ガラスドアなのだから、向こうからも店長の姿が見えている。客に気づいているのに開けないのはどういう事だ、といった所か。慌てて店長はドアを開け、自分の体を隙間から押し出す。店内に入られたら終わりだ。
「す、すみませんお客様。本日は休業させて頂いておりまして・・・」
「休業?」
「ええ。実は、本店からの物資が滞っておりまして、開店出来る状況ではないんです。ほら、お客様も聞いた事はありませんか? アルボス~フォンス間で野党だか盗賊が出て、うちの商品を盗んでいったって噂」
「ああ、あるわね。確かに」
「実は、あの噂、身内の恥を晒すようで心苦しいんですが、本当なんです。そのせいで、うちは今対策を練っているんですよ」
もちろん店長は真実を知っている。あの物資や妙な荷車がどのように運ばれてきたかも知らされている。毒を小分けにして運ぶために、あの廃坑が利用されていたことも知っている。全て知って、言えないでいる。その心苦しさ、罪の意識、良心の呵責を一切表に出さず、ファリーナ商会の者として、営業用の鉄仮面で相手をする。
「そうなの。それは大変ね?」
「ええ、ですので、再開した暁には、ぜひファリーナ商会を御愛顧頂ければと」
「再開、する気あるの?」
女の顔がぐいと近付く。妻には悪いが、これほどの美女、そうそうお目にかかった事がない。しかし、今店長の心臓が高鳴っているのは、興奮のためではけしてない。鉄仮面にぴしりと亀裂が生じる。
「どういう意味でしょうか?」
「とぼける必要はないわ。もう、中にいるんでしょう?」
女が牙剥く様に笑う。
「中には、誰もいません。私だけです。本部とのやり取りがあるので、私だけが残って」
「まだるっこしいわね。じゃあ良いわ。これ」
女は店長の手に鉄の塊を置いた。ギザギザした妙な形の
「それ持って、中にいる馬鹿に伝えなさい。『車の部品が外れている。私はそれを直しに来た。車の所まで案内しろ』とね」
「ですから、中には」
「はいはい。でもね。これを伝えないと、私も、あんたも、中にいる連中も大目玉食らうわよ」
女に押し返されるようにして店内に戻る。振り返ると女がガラスの向こうからこっちを監視していた。中でも外でも監視されているのか。陰鬱な気持ちで店の裏に消える。
「何をしている」
裏に回った瞬間店長は羽交い絞めにされ、喉元に刃を突き付けられる。向こうもこちらを監視していたようだ。
「何だあの女は。貴様、まさか裏切ったのか?」
「ち、違います違います! 向こうが、あなた方に用があると、これを」
手の中の鉄の塊を彼らに見せる。
「これは・・・」
「その、向こうの女性が言うには、『車の部品が外れている』とか、なんとか」
男達の間に動揺が広がった。声には出さないものの、彼らの視線が飛び、交錯する。
「・・・あの女、他には何と言っていた?」
「え? ええと、それを直しに来たので、車の場所まで案内しろ、って」
店中の言葉に、男達は沈黙した。そして、全員の視線がリーダーの男に集中する。
「車のことを知っているのは、関係者だけだ。あれは、独自に開発され、今はまだ世界中のどこも生み出していない製品だからな」
「では」
「女を中に入れろ。まずは話だ。不審な点が見つかれば即殺せ」
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