怒りを糧に、止まることなく

第38話 ドラゴンスレイヤー

 傭兵たちの間で、ある噂が流れていた。

 ドラゴン討伐を引き受ける傭兵団がある、と。

 ドラゴンはこの世界『リムス』では生態系の最上位種であり、冒さざるべき禁忌であり、近寄るべきではない生きる災害だった。

 もちろん、何の因果か出くわすことは稀にある。雲海を見下ろす霊峰、日の光すら届かない地下、木々が鬱蒼と生い茂る密林、あらゆる場所に依頼一つで赴くのが傭兵だ。昨今では権力者達が名品、珍品を求める傾向があり、依頼品はそういった人跡未踏の地に存在することが多い。そしてドラゴンはそういった、人が踏み入れない奥地に巣を持つ。出くわす可能性は、昔より増加したと言える。

 それでも、ドラゴンと正面切って対峙しようと考える傭兵はいない。どれほど大きな傭兵団でも、ドラゴンと事を構えるのは可能な限り避ける。ドラゴンと戦って、勝利して得られるメリットと、自分達がこうむる被害が釣りあわないからだ。やっとの思いで倒したとしても、それで団が壊滅したら意味がない。生き残ることは傭兵にとって最低限守るべき報酬だからだ。

 そのドラゴンの、しかも討伐依頼を引き受ける団の存在など、到底信じられるものではない。実際、人々の依頼が集まる案内所に出入りする彼らからは、別の傭兵団の人間との情報交換の際、一言も噂の団について語られることはない。結局のところ、彼らは自分の目で見たものしか信じない、リアリストだからだ。だから、噂が出回るのは、そんな与太話を口にしても笑い話で済む酒場に限られる。

 ―ドラゴンを倒して回る団があるんだってよ。

 ―おうおう、それなら俺もこの前倒したぞ、でっけえドラゴンの頭を切り飛ばしたところだ。

 ―奇遇だな、俺も龍殺しにこの前なったんだ。

 そういう具合に。

 ほろ酔い加減の男達が馬鹿騒ぎし、女性店員の気を引こうと手柄を誇張して語る、そんな酒場のドアが開いた。ドアの上に取りつけられたベルが鳴り、酒場の喧騒が若干静まり、中にいる傭兵たちの視線がドアに集まる。

 若い女が二人、連れ立って入ってきた。一人は背がすらりと高く、くすんだ灰色の髪を適当に後ろで束ねていた。酒場の女性店員のような化粧気はさっぱりないが、それでも整った面立ちは魅力があった。長く全身を覆うコートからでも分かるメリハリのある体つきは、酒場の男たちの口笛を誘発するのには充分だった。

 もう一人は、先の女とは別の意味で、男たちの視線を集めた。黒い髪は肩の辺りで切り揃え、まだ幼さの残る顔は酒場には不釣合いだった。先の女以上に色気はないが、華奢な体つきや憂いを帯びた横顔はそそるものがあった。しかし、一番に目を引くのは、華奢な体には似つかわしくない、重厚な篭手を右腕にしていたからだ。あれではバランスが悪く歩くのが辛そうに思うが、女は特に気にした様子もなく店内を歩き、厨房近くのカウンターに腰掛けた。隣に、もう一人の女が座る。

 服装からして、どこかの傭兵団の者だろうことは、察しがついた。しかし、女の傭兵は珍しい。自分達が知っているいくつかの傭兵団には、女はいなかった。であるなら、今日街についた新参者ということになる。店にいた男たちの興味が彼女らに向けられた。

「よう、調子はどうだい?」

 一人の中年男が、コップを片手に彼女らの隣に気安く座った。程良く酒は回っているが、理性と意識はきちんと保っている。この酒場の中では比較的親切な類の男だ。おそらくは新参者である彼女らに多少の親切心と多大な興味で近付いた。その中にわずかばかりでも下心が無いと言えば、嘘にはなる。

「俺はエクゥウスのジュールだ。お宅らはどこの団だい?」

 ジュールの挨拶に、篭手の女は一瞥しただけで興味を無くしたかのように顔を背けた。代わりにもう一人が応える。

「私らは傭兵団アスカロンに所属してるプラエと、こっちがアカリよ。さっきこの街に着いたばっかりで、しばらく逗留するつもりだからどうぞよろしく。後、上質の魔術媒体を安く取り扱ってる店があったら教えて頂戴」

 背の高い方がプラエ、篭手の小さい方がアカリ。ジュールは彼女らの顔と名前を紐付けた。残念ながらアスカロンという傭兵団は聞いた事がなかった。彼女らのような若い女が所属するのだから、比較的最近出来た、新参の傭兵団なのだろうとあたりをつける。

「こちらこそよろしくな。ってことは、二人は魔術師かい?」

 ならば、女での傭兵も納得が行く。男の魔術師がいないわけではないが、魔術師は女の方が多い。数にすれば七対三程の割合だろうか。薬品などの調合、魔道具の製作など、繊細な作業は女性の方が得意としている。

「魔術師なのは私。この子は戦うのがメイン」

「えっ」

 ジュールは驚き、まじまじとアカリと呼ばれた女を見てしまう。確かに腰に美しい細剣を佩びている。しかし、まだ少女といっても差し支えない彼女が戦いに身を投じるなど、到底信じられなかった。

「おいおい、冗談だろ?」

 言外にこんな少女が? というニュアンスが多分に含まれる。彼らのやり取りを伺っていた傭兵たちも、彼女らを侮る視線へと代わる。こんなガキがいる傭兵団、いかほどの物か。そんな視線を意にも介さず、プラエは誇るようにアカリの肩を叩いた。

「いいえ? うちの主力よ。それどころか」

「ちょっと、プラエさん」

 自分を褒めるプラエを、アカリと呼ばれた少女が諌める。

「止めてください。そんな、ひけらかすような真似」

「ひけらかすって、人聞きの悪い。宣伝よ、宣伝。傭兵団の知名度が依頼数に比例するの。前にも教えたでしょう?」

「それは、そうですが」

「今は案内所が地域の依頼を一括管理してるけど、ちょっと昔なら、街の人間も旅人も傭兵も利用する、こういう酒場に依頼情報は集まってたの。依頼だけじゃなくて、色んな国の情報を集めるのなら、こっちの方が量は多いわ。顔売っとくのも手だと思うけど」

「しかし・・・」

「ま、あんたの懸念も分かるけどね」

 渋るアカリの頭を、苦笑しながらプラエが優しく撫でた。

「はいはい。じゃ、この話はここでお終いね。アカリ、何食べる?」

 ていうかここ何あるの? 何がお勧め? とプラエがジュールや店員に尋ねる。適当に二、三品注文し、出来上がりを待つ。

「お終いと言わず、聞かせてもらいてぇなぁ。あんたらの武勇伝をよ」

 ジュールの後ろから、他の傭兵が声をかけた。ジュールが振り向いて相手の顔を確認すると、途端に顔をしかめた。面倒な相手が来たと心中で毒づく。

「・・・どちら様?」

 ジュールの雰囲気を読み取ったか、少し声を落としたプラエが尋ねる。

「ボースの突撃部隊を率いるオームだ。よろしくな、お嬢ちゃんたち」

 オームは自分の取り巻きたちと一緒に、彼女たちを囲むようにして陣取った。むさ苦しい男達に囲まれて、アカリはもとより、プラエも流石に顔をしかめた。

 ジュールの所属するエクゥウスとオームの所属するボースは、この街に滞在する傭兵団の中でも大きく、また依頼を取りあうライバルでもあった。けれど、面だってやりあうような者はほとんどいない。それは別に、彼らが紳士であるという意味ではない。一度衝突してしまうと、後は泥沼の戦争が待っているからだ。実力も構成団員数もほぼ拮抗している傭兵団がぶつかって、喜ぶのは他の傭兵団だけ。故に、彼らは争うことはない。いつか、戦争中の二つの国に別れて所属した時、相手を滅ぼしてやりたいとは思っているだろうが。

 ただ、数少ない例外がこのオームだった。

「お前らみてえな女が、どんな大仕事をこれまでこなしてきたか、是非とも拝聴したいね。なあ、そうだろ?」

 オームは後ろの取り巻き数人に声をかけた。取り巻きたちはすかさず肯定する。その目に下卑た光を宿しながら。

「・・・どちら様?」

 さらに一段階声を低くして、プラエがジュールに尋ねた。

「見ての通りだ」

 その一言で、プラエは悟った。性格も根性もねじくれた、嫌な男だと。

「ただ、突撃部隊を率いるだけあって、実力は高い。それが更に奴を厄介な人間に仕立て上げている」

「要するに、手のつけようのない馬鹿、というわけね?」

「あ? なんか言ったか?」

 どすの聞いた声でオームが詰め寄る。

「いやなに。こちらにいるのは、ボースの中でも指折りの実力者だって説明しただけさ」

「ふん、エクゥウスの臆病者に褒められても嬉しくないね」

 更に絡んでくるかとジュールは身構えたが、オームは視線をアカリに向けた。

「で? お嬢ちゃん。俺に教えてくれねえかな。お前のこれまでの武勇伝を。ねずみの駆除か? 雑草取りか? 料理に掃除と、女の戦場を渡ってきたのか?」

 オームの癇に障るような話し方に、取り巻きが追従する。しかし、アカリは完全に無視を決め込み、料理を待つ。

「おい、俺がお前らみてえな半人前にわざわざ話しかけてやってんだ。無視してんじゃねえよ」

 オームがアカリの右腕、篭手を掴む。初めてアカリの表情が変わり、オームを見た。

「離してください」

「あ? お前、誰に向かってそんな偉そうな」

「離して、ください」

 強い口調で、さらにアカリは告げた。彼女の迫力に一瞬鼻白んだオームだが、すぐさま威嚇する。傭兵は舐められたら終わりというのがオームの持論だ。実力が上の相手ならまだしも、目の前にいるのは戦いすら知らなそうな子どもだ。そんな相手に舐められっぱなしでいるわけにはいかない。

「離さなけりゃ、どうするってんだお嬢ちゃん。何してくれるってんだ、あぁ!」

 戦いは剣だけじゃない。その前から始まっている。恫喝で相手の心を怯ませ、揺さぶるのもまた一つの手だ。

「プラエさん」

 しかしアカリは恫喝に揺さぶられず。

「教えて上げても良いですか?」

「正直良いとは言えないんだけどなぁ。街に着いたばっかで揉め事とか勘弁して欲しいんだけどなぁ」

「なにごちゃごちゃ抜かしてやがる。何を教えてくれるってんだ。さっさと」

 言い終える前に、オームは不思議な体験をした。突然、顎に衝撃を受けたのだ。カクンと頭が揺れる。

「さっさ、と・・・と・・・」

 ふらふらっとオームは後ずさりし、そのままパタンと倒れた。

「オームさん!?」

 取り巻きたちが彼を囲み、介抱する。彼らには何が起きたかサッパリわからなかった。突然自分の上司が意識を失ったのだ。

 ジュールは見た。アカリの篭手からにゅっと勢いよく棒が飛び出し、オームの顎を打ち抜いたのだ。完全な死角、真下からの一撃が、オームの意識を刈り取った。彼女の篭手は、何らかの効果を持つ魔道具だったのだ。その魔道具を作ったであろうプラエは「あちゃあ」と顔を覆っていた。

「てめえ、オームさんに何をした!」

 何をされたかは分からないが、アカリが何かしたのだと取り巻きたちは決めつけ、事実その通りなのだが、殺気立った様子で彼女を取り囲み、武器を構えた。

「酔っ払ったんでしょう。随分と顔が赤かったようなので。倒れるまで呑んでは、体に毒だと思うのですが」

 殺気立った傭兵数人に囲まれながら、しれっとアカリは答えた。

「てめえ、ふざけやがって」

 一触即発の空気が店内に流れる。取り巻きがアカリに切りかかろうとした、まさにその時。酒場のドアがまた開いた。

「ああー! こんなところにいた!」

 入ってきたのは生意気そうな顔の少年だった。

「団長! 参謀! 何してるんですか!」

 少年は酒場に蔓延している緊迫した空気を読まず、ずかずかとカウンターに近付いていく。

「ムト君。どうしたの?」

 アカリの言葉に、ムトと呼ばれた少年は大げさな仕草で呆れてみせた。

「どうしたの、じゃないですよ! 人に依頼完了の手続き全部丸投げして、事後処理も僕とギースさんに押し付けてどっか行っちゃって! 自分達は優雅に夕飯ですか! いい御身分ですね! こっちが空腹我慢してようやく手続き終わらせたと思ったら、案内所の人が報酬の受け渡しには団の責任者が立ち会って下さいときたもんだ。責任者は僕らに仕事押し付けてご飯食べてますので明日にしてくださいとは言えず、それで、皆で手分けして団長達を探し回ってたんですよ!」

 怒り心頭といった具合のムトが、アカリとプラエの手を引いた。

「早く行きますよ。皆待ってるんですから!」

「ムトちゃん、あの、私まだ料理頼んだばっかり」

「行・き・ま・す・よ!」

「はい・・・」

 プラエを黙らせ、ムトはずんずんと出口に向かって進む。呆気に取られた取り巻きたちは、ムトたちが酒場の扉を再び開いた音で我に返り、慌てて彼女らの後を追った。

「まちやがれ!」

 外に出た取り巻きたちだが、すぐに立ち止まった。怒りを忘れるほどの違和感を覚えたのだ。どうも、街が少し騒がしい。確かにこの時間のこの区域は、酒によった傭兵たちの喧騒に包まれるが、そういうものではないようだ。視線を巡らせると、野次馬が出来ていた。喧騒の原因は野次馬たちのヒソヒソ話の集合体だったようだ。自分達が追う連中も、その野次馬の方へと向かっている。丁度、案内所がある方向だ。

「はい、すいません、通してください!」

 ムトと呼ばれた少年の声が喧騒をかき分けていく。取り巻きたちも野次馬をかき分けて、彼らの後を追った。野次馬の密度が高まるにつれ、彼らの鼻が異臭を捉え始める。彼らの嗅ぎなれた匂い。生物の屍骸の匂いだ。

 取り巻きが野次馬の壁を抜けた時、目の前には信じられない物が転がっていた。

 全長十五メートルほどの、巨大な生物の屍骸だった。巨大な口、太い四肢、長い尻尾。彼らの知識の中に、この生物に当てはまる名前があった。

「ど、ドラゴン? これ、ドラゴンか?」

 首を断たれ、ところどころ腐敗が進んでいてもなお、生前と全く変わらない迫力を持つドラゴンを前に、取り巻きたちは慄く。ドラゴンの屍骸など、これまでみたことがないからだ。

「すみません、お待たせしました。責任者のうちの団長と、参謀を連れてきました!」

 あまりの衝撃に追いかけるのを忘れていた取り巻きたちの耳に、追いかけていたはずの人物の声が届いた。視線を巡らせると、あの女達が案内所の、それも責任者を始めとした全員が整列する前に立っていた。

「え、ええと、あなたが?」

 案内所の責任者が、アカリに尋ねる。

「はぁ、まあ、一応、そうです。団長のアカリです。この度、オーネス村からのドラゴン退治の依頼を受け、達成したことを報告します」

 責任者が、アカリとドラゴンの顔を何度も見比べる。

「あなたが?」

 もう一度、同じ質問をした。

「信用できませんか?」

 うんざりしたようにアカリが言った。

「い、いえ! そういう訳では!」

「じゃあ、さっさと手続きをお願いします」

「はいもちろん。こちらにサインをお願いします。・・・ほら、なにぼさっとしているんだ! 報酬を御用意しろ!」

 責任者が部下を走らせ、報酬を持ってこさせる。その間にアカリは羊皮紙にサラサラと自分の名前を記入した。羊皮紙と引き換えに、重たそうな布袋を受け取る。

「はい、こちらで手続きが完了となります。お手数をおかけして、申し訳ありませんでした」

「いえ。では。・・・ああ、後、この屍骸はうちで引き取って良いんですよね」

「はい。もちろんです。討伐の証拠確認は取れておりますので。街にある解体所を御利用ください。では、アカリ団長。この度はドラゴン種『コルヌ』の討伐、お疲れ様でした」

 お疲れ様でした。案内所の従業員達が一斉に頭を下げた。それを居心地悪そうにして、龍殺しの剣アスカロンの団長は眺めていた。

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