第37話 死んだつもりで、地獄を進め

 夢を見ていた。多分、幸福な夢だ。異世界に飛ばされたけど、何度も死にそうな目に遭ったけど、皆無事で、ガリオンに怒鳴られ、バーリに励まされ、上原と一緒に仕事を頑張って。やがて、私たちは元の世界に戻る方法を見つけた。ギースは相変わらずのクールさで、でも少し寂しさを滲ませて、ラスはお前らみたいな足手まといがいなくなってせいせいするなんて言いながら涙と鼻水を垂らしていて、プラエと抱き合って別れを惜しんで。扉を潜る。真っ白な光に包まれて、私と上原は一緒に、元の世界に。


 目を覚ました。幸福な夢に逃げる事は、許されなかった。

 がたがたと背面に振動が伝わる。どうやら横になっている場所自体が動いているようだ。

「・・・アカリ?」

 気遣うような、プラエの声がして、そっちを向いた。

「プラ、エさん・・・」

 自分の声とは思えないほどガラガラでかすれた声だった。長い間声を出すのを忘れていたかのようだ。壁際で膝を抱えて座っていたプラエが、四つんばいで近づいてきた。

「アカリ!? 目を覚ましたのね!」

 彼女のひんやりした手のひらが私の額や顔を撫でる。

「良かった・・・本当に良かった」

「ここは」

 いろんな疑問が頭に浮かんだ。しかし、声で表現されたのはたった三文字だ。たった三文字話すだけで、息苦しくなってせき込んでしまう。

「無理しないで。あなた、七日間も眠っていたのよ」

 プラエは私の体を支えて抱き起こし、ゆっくり呑みなさい、と口元に竹筒を近付けた。

「安心なさい。ただの水よ」

 プラエ特製の回復薬でない事に安堵しつつ、口をすぼめて竹筒の先を啄ばむ。プラエが私の口と喉の動きに合わせて竹筒を傾けてくれた。水が喉を通るにつれ、自分の喉が干上がっていた事を理解する。がさがさだった喉に潤いが戻り、少しはマシになった言葉が出てきた。

「七日も寝てたんですか?」

「そうよ。あなた、どこまで覚えてる?」

 言われて記憶を探る。勝利を確信していたあの時。

『篠山さん!』

 彼の声が聞こえた。視線を巡らせると、上原がこちらに走ってきているところだった。何事かと思ったのを覚えている。そして、その何事かはすぐ傍に迫っていた。真っ黒な闇。インフェルナムのアギト。奴はまだ生きていた。生きていて、死んだ振りをしていた。もしくは気を失っていただけか。ともかく、鎖から自由になった奴は私を喰おうとした。そこに、上原が割って入った私と、傍にいたプラエを突き飛ばしたのだ。私たちと入れ替わるようにして、上原がアギトの中に吸い込まれようとしていた。私は彼に向けて右腕を伸ばし、そして、アギトが閉じられた。

 ぼとりと、上原の右腕と剣が落ちていくのを見た。スローモーションのようにゆっくりと、上から、下へ。がらんと音を立てたときには、目の前にはもうインフェルナムはおらず、上空へと逃げていた。

「あ、あああ」

 頭が軋む。痛みがパンクする。過去と今の、心と体の痛みが全身を支配する。なにより右腕がおかしい。痛みだけじゃない。違和感がある。まるで自分の腕じゃないみたいだ。視線が自然と右腕の方を向く。

「な、なに、これ・・・」

 意識を失うまであった自分の腕じゃない。左腕と比べると一目瞭然だ。太い。長さも違うし、指もごつごつしている。しかし、見覚えもある。この腕は、そうだ。インフェルナムの牙の隙間から落ちた・・・

 痛みを堪えて、袖を捲る。少しは筋肉がついたといっても、まだまだ細い自分の腕の、肘の途中からが上原の腕になっている。何だこれ、どういう事だ。更なる混乱が脳内で巻き起こる。

「あなたを助けるには、これしかなかった」

 プラエが項垂れた。

「腕の出血を止めるために、寄生虫の軟膏でマサの腕を繋いだの。準備も材料もなくて、そうするしかあなたを助ける事が出来なかった」

 そうだ。上原は死んだのだ。私を庇い、インフェルナムに喰われて、私の目の前で。右腕を抱える。

「ぐ、うう、ううう」

 唇が食いしばった歯のせいで破れた。血が粗末な毛布を濡らす。

「アカリ! しっかりして! ゴメン! まだ早かった! 私が悪かった! ゴメン! もう思い出さないで!」

 プラエが私の体を抱きかかえる。彼女の謝罪など全く聞こえない。

「うぁああああああああああああ!」

 再び喉が干上がるほど、私は泣き続けた。その間、プラエはずっと私を抱きしめていた。


 落ち着く、というのが放心状態であることを指すなら、確かに私は落ち着いた。泣き続けて何時間経ったかわからないほど泣いた後だ。

「私たちの現状を、説明するわ」

 私の反応を確かめるようにして、慎重に言葉を選びながらプラエは私が寝ていた間の事を話してくれた。

 インフェルナムはあの後上空から何発もの炎をラテルに向けて放ち、ラテルは完全に炎に呑み込まれた。街が破壊し尽くされた後、その場から飛び去り、後の行方は分からない。

 その炎により、生き残っていたガリオン兵団の団員が更に命を落とした。団員の救助に走り回っていたラスと第一部隊隊長のハンは、団員を炎から助け出そうとして、そのまま炎に呑まれた。最後まで撤退の指示を出し続けたギースは背中に大火傷を負い、今も生死の境を彷徨っている。いつ死んでもおかしくない状況に陥っていた。他の隊長達もほぼ全滅し、生き残っている隊長はプラエだけだった。

 満身創痍だったガリオン兵団の前に、あのフィリウス王子がやってきた。

「良くやった、と褒めるべきか、私の国を良くも、と怒るべきか」

 薄笑いを浮かべて生き残った僅かな団員達に向けて言い放ったらしい。

「しかし、約束は約束。私は約束を守る性質だ。報酬を支払おう。ガリオン団長はいるか?」

 目の前にいるのが僅かな生存者だと知っていて、彼はわざとらしく手でひさしを作り、あたりを見渡していた。

「残念、くたばったか。存外、彼も大した事はなかったようだ。ふむ、この程度の実力ならば、我が軍に組み込まなくて正解だったかな」

 激昂した団員達だが、ラテルの正規兵にことごとく取り押さえられ、リンチを受けた。

「王子に刃向かい、この程度で済んで光栄に思え。ほら、受け取れ。卑しい傭兵ども」

 そういって金貨を呻き声を上げて蹲る団員達の元に投げ捨てた。

「さて、一応聞いてやるが、こちらとしては貴様らのような弱者を抱えたくはないのだが、これも約束。私に忠誠を誓う者は、これから新生するラテルの一員として向かえてやる。特に、お前。お前はどうだ」

 フィリウスはプラエを指差した。

「薄汚い格好をしているが、磨けばそれなりに光るかもしれん。俺の愛妾になるか? 王の妾として、何不自由ない生活が約束、されるかもしれん。飽きたら捨てるが」

 プラエは殺意を何とか堪え、丁重にお断りしたらしい。私のウェントスを自分も自由に扱えれば、滅多刺しにしてやったものをと吐き出して。

 代わりにプラエは、インフェルナムの鱗と牙を要求した。龍の牙や鱗は優れた武具にも、魔術媒体にもなるからだ。

「私たちが奴から削り取ったものよ。卑しい傭兵はそうやってせせこましく生活費を稼がなけりゃならないもんでね」

「良いだろう。ついでに掃除をしていっても構わんぞ。更地にすれば、建て直しもし易かろうよ」

 街に戻ったプラエたちは、比較的マシな材木を選別し、荷馬車を三台作った。一台に鱗と牙、二台に私たち怪我人を分けて乗せ、ラテルを離れた。馬は適当にラテル軍のものを奪ったらしい。追撃はないと踏んでいた。彼らは一時的とは言え寝床を失っている。労力をかける事を厭うはずだ。その読みは当たった。フィリウスの方も、数頭の馬よりもこれからの街の建て直しの方が重要で、尻尾を巻いて逃げた傭兵のことなどすぐに忘れるだろう。

 それから一日、二日経ち、隣の国まで間もなくといった頃。大軍とすれ違った。近隣諸国の中でも一、二を争う大国から派遣されたものだった。彼らが、ラテルを復興するのだろうかとガリオン兵団は苦々しい気持ちで、かといってどうする事も出来ず、彼らの背を見送った。フィリウスが街を焼かれても平然としているはずだ。その大国は、ラテルの何倍も領土が広く、豊かだったからだ。

 だが、プラエたちの読みは外れた。二日後、早馬が団の馬車を追い抜いていった。戦勝を報告する為の馬だった。少し遅れて隣国に辿り着くと、すでに噂が広まっていた。ラテルが滅亡したと。噂の内容は、ラテルのフィリウス王子が、自らが王になるために父である国王と后を殺害し、自らを新ラテル国王と名乗った。ラテル国王と親交の深かった大国の王は友の死を嘆き、悪逆非道なるフィリウスを打倒せんと挙兵した。悪魔のごときフィリウスも、正義の剣の元に断罪され、首を瓦礫の山の上に晒している、とのこと。

 どう考えてもでっち上げの理由だった。おそらくインフェルナムの卵を欲した本当の依頼主こそ大国の王だったのだ。そして、フィリウス以上に強かだった。噂を広げられる前に、その口を国ごと塞いだのだ。だが、そんな事はどうでも良い。私が衝撃を受けたのは、結局私たちがやった事は、全て無駄だったという事だ。上原、ラス、ガリオン、その他何人もの団員達が理不尽な命令に従い命を落とした。なのにその全てが無駄だったのだ。

 がらんどうだった心に、感情が満ちていく。手に力がこもる。上原の右腕が熱く燃えている。

「許さない」

 ぽつりと出た。言葉にすれば、ああ、納得だ。私の胸に溢れているのは、がらんどうの心を満たしたのは、怒りだ。

「絶対に贖わせてやる。上原を、団長を、ラスを、バーリを、皆を奪った連中全員に復讐してやる。インフェルナムは探し出して必ず殺す。大国のクソ共は一人残らず滅ぼす。裏切ったトリブトムの連中もだ。そして」

 私たちをここに送り込んだ元凶の顔を思い浮かべる。

「絶対に、絶対に許さない。何年かかろうと絶対舞い戻って、お前の首を喰い千切ってやる!」


 ここが、始まり。大切な人たちを失った私の、地獄を歩むが如き復讐の道。恐れはない。なぜならもう、篠山朱里は死んだのだから。弱い自分は右腕と共に喰われたのだ。




 五年後

 困窮する村があった。数日前より龍が山に住みつき、家畜や、時に人を襲う被害が出ていた。村は近隣の大きな街に龍退治の依頼を出した。しかし、多くの傭兵団がそれを無視した。龍とは不可侵の生物。生態系の最上位種。自然災害と同じで通り過ぎるのを待つしかない。勝てる見込みのない戦いに挑む傭兵団など存在しなかった。その間も村は被害を受け続け、滅びを迎えようとしていた。

 そんな時だ。村に、一つの傭兵団が訪れる。歓喜し、傭兵団をむかえた村の人々は、すぐに失望する事になる。団を率いていたのは、若い女だったからだ。団の名を上げようと、無謀な依頼を受ける団は多い。彼女らもその類だと決めつけた。すぐに逃げ帰るだろうと。彼女らでは話にならない。村長はすぐに彼女らを帰らせようとした。代わりの団を要請しなければ。しかし

「いいから、案内しなさい」

 村長の腕を折れんばかりに握り締める、巨大な篭手。村長は痛みにもだえながら、自分を逃がそうとしない女団長の顔を、まともに見た。瞬間、痛みを忘れるほどの恐怖が体を襲う。暗い炎を瞳に宿し、凄惨に笑う女の顔がそこにあった。

「龍は殺すわ。必ずね」

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