第36話 これより、地獄の始まり

 歓声はなかった。誰もが疲労困憊していて、声を上げる気力もなかった。これ以上自分の体重以外に脚に負荷をかけたくないとばかりに、ある者はその場で崩れ落ち、ある者は武器を放り投げた。

 終わったのだ。ガリオン兵団全員の胸に先に去来したのは歓喜ではなく、安堵だった。これ以上戦わなくて済む、これ以上命を危険に晒さなくて済む、これ以上仲間が死ななくて済む、安堵だった。


 私は狙撃態勢から身を起こした。

「っうっぐぅ・・・」

 不用意に手をついて、重症の右腕が悲鳴を上げた。それを皮切りに全身が痛み始める。痛くない所を探す方が難しい。使命感かアドレナリンのどちらかのおかげで撃つまでは痛みを忘れていられた。そのつけが来たようだ。取り立てでももう少し優しいと思う。

「でも、生きてる。まだ生きてるから」

 涙が溢れ、痛みで歯を食いしばりながらも、声に出した。痛むのは生きているからこそ。

「あ、っは、はは、ぐ、ぅ」

 泣きながら、痛みを堪えながら、笑う。笑って立つ。行こう、皆の元に。這うようにして屋根を昇り、階段を壁に寄りかかりながら降りる。外に出ると、丁度他の団員達も集まってきているところだった。誰が指し示したわけでもないのに、インフェルナムの屍骸の前に。狩人が仕留めた獲物を確認しにくるようなものだろうか。

「アカリ」

 プラエが私に気づいて、こちらに手を振ろうとして、痛みに顔をしかめて体をくの字に曲げた。

「大丈夫、ですか」

「あんたに言われたくないわ」

 互いに顔を見合わせて苦笑する。

「良くやったな」

 声に振り向くとギースがいた。第一部隊の団員と肩を組み、互いに無事な方の脚で支えあっている。顔の半分が血に染まり、鎧はところどころが砕けて失われ、残っている部分もひびが入り、削れ、抉れて鎧の役割を果たせなさそうな状況だ。ロストルムの牙どころか、木剣でも貫けるだろう。

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ」

 いつものようにクールな声で言った。私よりもプラエよりも、大丈夫にはとても見えないのだが。

「まだ、生きているからな。私は」

 小さく笑うギースの、言葉が重い。何人の仲間が今日死んだのだろうか。団長も死んだ。バーリも死んだ。他にも何人も、炎に呑まれていった。私以上に、彼らと親しく、それこそ何度も死線を共に掻い潜った仲間達を失って、それでもギースは生きていると笑った。生きているからこそ、失った者達を悼む事が出来ると。

「おうおう、どいつもこいつも、ボロボロじゃねえか」

 ラスたちが近づいてきた。使いものにならないくらいボロボロになった服の袖を破って紐の代わりにし、左腕を首から吊り下げている。そういえば、遠くから彼らの戦いの様子を見ていたが、ラスは左腕を使わなかった。あの城壁の上から逃げるときに折っていたのだろうか。激痛が走るのは想像に難くないその体で、あんな神経を削られるような戦場にいたのか。改めて彼の凄さを実感する。

「お、何だアカリ。俺の事をじっと見つめて。・・・さては、俺の雄姿に惚れたか?」

「あ、いえ、そういうわけではなくて」

「真顔で返すな」

 ラスの無事だった右手がチョップとなって頭上に落ちた。頭から衝撃が波となって体を走り、傷のある箇所にうちつけ、また波となって全身に広がる。情けない悲鳴をあげて体を戦慄かせる。反射的に押さえようと手が上がりかけて、また右腕が痛む。負の連鎖が止まらない。

「何するんですか・・・」

 涙目で訴える。

「喧しい。ふん。貴様なんぞに好かれんでも、俺にはメリダちゃんがいる。なんせ俺たちは、どこの傭兵部隊でも成し得なかったインフェルナム討伐を成功させたんだからな。本物の龍殺しだ。メリダちゃんだって俺に惚れるだろうし、これで、どこに行っても引く手数多、仕事に事欠かないぜ。どんどん稼いで、死んだ奴らの家族に金を送ってやれる」

 ぶっきらぼうにラスが言った。優しい事を言うのが照れくさいのか、私たちからそっぽを向いている。

「そうだな」

 ギースが同調する。

「団長の御家族にも、送らないとな」

「ああ。ついでにでっかい像とか立ててやろうぜ。伝説のガリオン兵団団長ってな」

「検討しよう。成すべきを成してからな」

 そう言って、ギースは傷だらけの体を押して、団員達の編成を行い始めた。動ける者を集め、傷ついた者の救助に走らせる。その中にはラスがいた。何でまだ動けるんだ。本当に、あの性格さえなければ、いや性格であっても尊敬出来る人だ。申し訳ないが、もう体は一歩も動きたく無いと言っている。プラエも休んでいるし、私も休ませてもらおう。

「篠山さん」

 地面にへたり込んだ私の傍に、上原が座った。

「お疲れ様」

「上原君も、お疲れ様。無事で良かった」

「何とかね。でも、沢山の人が死んだ。目の前で死んだ。戦いの時はそっちに集中して、ある意味逃避して考えないようにしてたけど、昨日まで一緒にご飯を食べてた人が、もういないんだなって」

 そういう彼の手が震えている。

「あ、あれ。何でだろう」

 じっと自らの手を見つめる上原の目から、涙が零れていた。今更ながら恐怖がこみ上げてきたのか、いや、それだけではあるまい。安堵や悲しみ、色んな感情が体中に詰まっていて、飽和したものが手の震えや涙となって溢れているのだ。私も体中痛いのに、さっき笑ってたし。

「篠山さんの顔見て、ホッとしたからかな。緊張が解けたから・・・何か、恥ずかしいな」

 何度も汚れた手で顔を拭うが、涙は止まらない。

「変だよな。戦ってる時は不謹慎なくらい高揚して戦いに集中してて、悲しいどころか楽しいくらいだったのに。現実にふと戻ったからかな。情けないよね」

 情緒不安定かもとか、ああだこうだと言い訳しながら頬を拭う彼。

「ごめん、あんま見ないで欲しい」

「気にしなくて良いと思う」

「え?」

「だって、ほら、私も」

 呼び水でもあるまいし、私の目からも涙が溢れてきた。

「あは、本当だ」

 くしゃりと彼の顔が歪んだ。ゆっくりとこちらに近付いてくる。私片手を広げて受け入れた。父親以外の男性を抱き止めるのは初めてだった。けれど、緊張も照れもなく、自然に受け入れられた。私の左肩に、彼の額が当たっている。

「良かった、篠山さんが生きていてくれて」

 鼻水をすする音が聞こえる。

「私も、上原君が生きていてくれて嬉しいよ」

 しばらく、すすり泣く声が私たちを包んでいた。


「見てるこっちが恥ずかしくなるわね」

 プラエの声に、弾かれたように上原と距離を取った。涙はもう尽きていた。残るのは肩と顔に残る熱だ。

「ラスじゃないけれど、ちょっと茶々入れたくなるわ。若いって良いわねェ」

 ニヤニヤと彼女は私と上原の顔を交互に覗き込む。

「ねぇねぇ、どうしたの二人とも。どうしてこっちを見ないの? 今更照れる事なんてないじゃない。あって当然の事よ? 男女が惹かれあうのにタイミングなんかないない」

「そ、そういうんじゃないですから」

「そういうんじゃなければどういうのよ。もっと素直になったら? 気持ちとか、そういう大切な事は言える時に言っときなさいよ?」

 彼女のいっている事は理解出来る。けれど理解出来ると言う事と、感情が一致するなら何も苦労はしない。ちらと上原の方を見る。見てしまう。上原も同じようなタイミングでこっちをちら見していた。目が合って、磁石の同極かと言いたくなるくらいに同時に逸らす。それを見て、さらにプラエが笑みを深め、不穏な空気を感じ取ったラスが怒鳴りながら近づいてきて、ギースがため息をついた。

 この時のプラエの言葉を、大切な事を言える時に言っておけという言葉を、私は実行すべきだったと後悔する事になる。



 篠山朱里から逸らした上原の目が、違和感を視界に捉えた。何がおかしいのか、脳が明確な答えを寄越さない。けれど何かがおかしい。それだけは分かった。では視界にあるものから確認して行けばいい。とはいっても、あるのは瓦礫の山といまだ燃え上がる炎と黒煙と、倒れ伏すインフェルナムの屍骸だ。

 屍骸?

 上原の違和感に、疑問が付随した。

 誰もが屍骸だと思っているが、誰が確認したんだ? 倒れたから屍骸? そんなRPGみたいに分かりやすい物なのか? 倒れた、イコール、死? 本当か?

 篠山の狙撃は見事なものだった。確実にインフェルナムの目を貫いた。目の奥には脳がある。ある? 本当か? 誰かそれを知っているのか? 確かに生物の構造で、目の奥に脳があるのはポピュラーではある。人間もそうだし、ロストルムもそうだった。ただ、形状に違いはあった。頭の形が違うのだから当然だ。そう、当然なのだ。違いがあって当然。なら、インフェルナムにだって同じ事がいえるのではないのか。ほとんど生態の知られていない化け物だぞ? 本当に、既存の知識と照らし合わせただけで大丈夫なのか?

 弛緩状態から、一気に緊張状態へと上原の思考が変化していく。どんな人間でも、一度気を抜けば中々臨戦態勢に戻す事は難しい中、彼のモチベーションの持って行き方は見事、賞賛に値する。しかし、それでも。

 ガリオン兵団の最大の失敗は、油断。生き残ったという安堵が彼らの判断力を鈍らせた。もし彼らを率いていたガリオンが存命であれば、まだ緊張の糸を保てていたかもしれない。安全を確保するまで、絶対に油断しなかったかもしれない。しかし、彼はいない。

 ギースの行動も間違いではない。負傷した仲間を助け、団を編成するのは当然の行動だ。だが、何よりも彼がするべきは、本当に戦いは終わったのかという確認だった。

 つまり、インフェルナムは本当に死んだのか、ということを最初に確認すべきだったのだ。


 風が巻き起こる。埃から思わず顔を覆う。何がその風を巻き起こしたのかと理解するころには、それが目の前に迫っていた。

 インフェルナムの巨大なアギトだ。真っ暗な闇が目の前にあった。

 誰かが私の名前を呼んだ。その声も闇に吸い込まれていく。そして


 闇が閉じる。


 腕と剣がぼとりと、乱杭歯から零れて落ちた。

 女の慟哭が、燃える炎と、災厄をもたらした翼と一緒に廃墟の空へと舞い上がった。

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