第35話 決着

 鎖が軋む。何度も体ごと持っていかれそうになるのを、ギースは耐えていた。体を建物の隙間に捻じ込み、壁に押し付け、両手足を引っ掛けて。そのたびに鎖が体全身に食い込み、削れ、皮が裂け、肉が抉れた。それでも彼と、第一部隊の団員たちは鎖から手を離さなかった。彼らが力尽きるとき、それは、インフェルナムが再び自由を取り戻すときだ。そうなれば、知能の高いインフェルナムは二度と鎖で封じられないだろう。物理的に捕える事の出来ない上空へと逃げる。そして、人の手が届かない高みから、一方的に殺戮を行う。

「そうは、させん」

 人と同じ高さに降りてきたこのときしか、奴を討つ術はない。自分たちの団長を、多くの仲間を殺しておいて、生かして返すわけには行かないのだ。

 インフェルナムの瞳が、ギースを射抜いた。憎しみのこもった、赤く煌々と燃える瞳の真ん中に、血まみれの自分の姿が写っている。ギースの口の両端が吊り上がる。良く見ろ、私の顔を良く見るがいい。貴様にとっては虫けら同然の脆弱な生物に、動きを封じられているのだ。

「人間を、舐めるなよ」


 暴風が吹き荒れる。体が持っていかれそうになるのを、必死に耐える。少しでも体勢を崩せば、待っているのは死だ。出鱈目に、滅茶苦茶に、インフェルナムは脚をばたつかせる。向こうにとっては鬱陶しい鎖を解こうとしているだけだろうが、そのばたつかせている脚に当たれば一発で死ぬ。鋭い鱗が何枚もついた足は巨大なモーニングスターそのものだ。掠っただけでも体は切り裂かれるだろう。他の脚を跳ね上げているとき、一本から二本は脚を地面についている。僅かに生まれる攻撃のチャンスを突いて、ラスは斧を振るう。彼の斧、アクトゥスの刃先に魔力が巡り、回路は命じられた効果を生み出す。

「おっらァ!」

 瞬間的に高温を放ち、鉄も滑らかに切り裂くアクトゥスの刃だが、固い手応えと共に弾かれる。

「かってぇなあおい!」

 何度も何度も、同じ脚に向かって斧を振るう。根競べだ。アクトゥスが折れるか、インフェルナムの鱗を砕くか。もしくは

「っとぉ!」

 脚が目の前を通り過ぎて行く。自分が死ぬのが先か。出来れば遠慮したい。メリダを抱かずに死ぬわけにはいかない。彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ。もしここでインフェルナムを討伐したらどうだろう。自分は伝説の龍殺しだ。そうなれば、メリダの方から擦り寄ってくるに違いない。ラスさん凄いわと称えてくれるに違いない。想像しただけで股間が熱く滾る。

「天国が待っているのに、死んでたまるか!」


 全てを出し尽くす。プラエは自分の作った魔道具を、採算度外視にこれでもかと投入させる。いや、採算は取れている。自分達の命よりも高い買い物はない。生き残った団員達にあるだけ全てを手渡し、アカリに貴重な回復薬を飲ませ、自分もまた魔道具を担ぎ、飛び道具を持たせた団員達を率いて、インフェルナムを取り囲む。

「良い? 同時にぶち込むわよ。後、下にいるラスたちには当てないように。狙いは上。頭や翼を狙う」

 死なない生物はいない。傷つかない生物などいない。それは、生態系の頂点であるドラゴン種でも同じ事。今足元でラスたちがやっている事と同じ事を、自分達も行うのだ。何度も何度も砲撃を喰らわせて、傷を作る。一部でも綻びれば、そこへ更に攻撃を加える。アカリという切り札はある。けれど、それだけに頼ってはならない。あらゆる手を打ち、最善を尽くす。無駄になっても構わない。生き残れるなら、生き残れたなら、何一つ無駄にならない。いずれそれは笑い話になる。笑い話をするためにも、今を惜しんではならない。

「行くわよ・・・撃て!」

 古の英雄が考案・発明し、自分なりのアレンジを加えた『銃』『大砲』が火を吹く。炎や風の魔法効果を直接相手にぶつけるのではなく、効果を推進力として用い、鋼を打ち出す。インフェルナムの鱗は自身が高熱を発するだけあって熱に強い。おそらく魔法効果のような、風や冷気などの自然現象にも強いと予測される。物理的な打撃の方がまだ可能性はあると踏んだ。

 打ち出された砲弾が弧を描き、インフェルナムの頭部で派手な火花と鈍い音を撒き散らした。傍目には全て鱗に弾かれたように見える。撃った当人達の顔が一瞬だが陰った。

「次弾準備急いで! 連続で当て続けるわよ! 効果は目に見える範囲だけじゃないわ!」

 そんな彼らを鼓舞する。

「人間だって頭を打ったら、傷は見えなくても脳震盪を起こすでしょう。知恵ある生物には脳がある。脳は体全ての機能を司っている! 衝撃を与え続ければ、必ず怯む。私たちのやっている事全ては無駄にならない!」

 無駄になどしてやるものか。絶対に! プラエは再び砲に魔力を注ぎ、砲弾をつめる。


 生きている。死に近い場所で、上原は全く逆の感情を覚えていた。

 学校に通って、毎日を過ごしていた日々は、全てがぼやけて見えていた。必ず来る未来は、特に希望も絶望もなく、情熱もなく、淡々と日々が過ぎていく先にあると思っていた。将来設計など特になく、社会の歯車として、適当に生きてそのうち死ぬ。自分は存在しなくてもいいんじゃないのかと考え、かといって死ぬ勇気もなく。何かを成すための目標も行動もなければ思いつきもなく、故にまわりがどうなろうと焦りもない。自分には全く関係なく、まわりにとっても自分は全く影響を与える存在ではない。生きているのか死んでいるのか良く分からない生活を送っていた。だから、同じような雰囲気を纏う、篠山朱里が少し気になったのかもしれない。いつからか、彼女を視線で追っていた。おそらく元の世界で唯一、自分から起こしたアクションだ。

「それが、どうだ」

 ぶうんとインフェルナムの脚が、胴が頭上を通過して行く。完全には躱しきれず、ヘルメットを鱗が掠める。ぎゃりっと甲高い音を立てて地面に落ちたヘルメットには、鉤裂き傷が一文字に入っている。鉄製のヘルメットでコレだ。人間の体なんかひとたまりもない。しかし、それを見て、上原の顔に浮かぶのは笑みだ。

 今、一瞬でも気を抜けば、一つでも選択肢を間違えば、簡単に命が刈り取られる世界で。理不尽が横行し全く安全ではない戦場で、自分は生きるために抗っている。このシチュエーションに上原は酔っていた。それを自覚していた。だから無茶も出来る。最前線のこんな場所にいる。現実味がないわけではない。むしろその反対だ。現実に迫る死を強く意識する事で、その反対を強く願える。自己の存在を強く感じ取れる。だから、自分が愛おしい。こんな苦行の真っ只中に自分をさらけ出さなければ自分を愛せないなんて、屈折している。それでも、それが自分なのだ。

「日本一周しなくても、自分は探せるらしい」

 通り過ぎて行った胴体が一瞬止まる。そこを見計らって剣を振り下ろす。相変わらずの手応えに腕が痺れる。しかし、上原の集中力は鈍磨する事なく、より鋭さを増していく。


 この場にいる誰もが、生きるために全力を尽くしていた。しかしそれでも、インフェルナムを討伐するには至らない。時間が経てば経つほど、ガリオン兵団の方が不利になっていく。体力は当然削られていく。また、幾ら攻撃しても活路を見出せない為に精神力も磨耗していく。目に見える効果や変化がなければ、どうしても団員達の心に不安が募っていく。やはり人がドラゴンに勝つのは不可能だったのかと。その不安を象徴するように、インフェルナムを拘束していた鎖が、とうとう劣化を始める。プラエが丹念に作り上げた、百人ぶら下がっても切れないほどの強度を有した鎖ですら、インフェルナムの力を繋ぎとめ続ける事は出来なかった。いや、これはむしろ、インフェルナムを一時でも封じた鎖と、それを作ったプラエを褒めるべきだろうか。とはいえ、鎖が切れた瞬間、ガリオン兵団の敗北が決定する。敗北、つまり、死だ。嫌な軋み音がするたびに、全員の背中に、熱さとは別の理由で汗が流れる。

 インフェルナムが一際大きく首を振った。暴れ馬のように頭を上下左右にシェイクし、前脚を高く掲げ後ろ脚で立ち上がり、次いで前脚を思い切り地面に叩きつけて後ろ脚を跳ね上げる。

 パリン

 鎖が出したとは思えない、繊細な音が騒音の中を貫いた。最も外れてはならない場所、口を縛っていた鎖の千切れた音だ。ギースが、プラエが目を見開いた。

 インフェルナムは自由になった首を、まずは自分の足元にいる虫けらたちの方へと向けた。最後に炎を吐いてから大分経つ。インフェルナムの体内では炎を撒き散らす準備が整っていた。真っ赤な口腔が足元を照らす。ラスが、上原が、太陽の如く照りつけるそれを見上げ、死を覚悟した。誰もがこれから炎が吐き出されるであろう空間を意識した。それはインフェルナムとて同様だった。

 故に、意識の外からの一撃に反応は出来なかった。

 白々と輝く風の刃が、一直線にインフェルナムの左目に吸い込まれた。絶叫が迸り、何度も首を振り、血液を撒き散らした後。インフェルナムはどうとその巨躯をラテルの地に横たえた。

 全員が、刃が伸びてきた方向を振り返る。ラテル王城の屋根に、不遜にもうつ伏せになっている女がいた。

「あた・・・った?」

 構えた剣から顔を離し、彼女はそう呟いた。

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