第34話 結果は小さな積み重ねの上に

 インフェルナムにガリオン傭兵団が蟻のように群がる。決死の覚悟だ。引いても死しかないのなら、傭兵は進むしかない。しかもインフェルナムが炎の吐きすぎでばてていると思われる、千載一遇とも言えるチャンスだ。実際弱っているか、弱っていないかの真偽はどうでもいい。そう思い込むこと、その流れに乗ること、勢いをつけることが肝要だ。

「アカリ、まだ動けるわね?」

「え、うん。でも」

 先ほどプラエに指摘された通り、魔力はほとんど尽きかけているし、怪我も酷い。正直、倒れても文句を言われないレベルのコンディションだ。生き死にがかかっているこの状況で、文句は言わない。首を振って言い直す。

「動けます」

 プラエだって、私が強がっているのをわかっている。わかっていて「良いわ」と頷いた。

「まず、これを飲みなさい」

 差し出されたのは、細いビンだ。中にドロドロの黒い液体が入っていて、ビンが揺れるたびに粘土の高い謎の液体はガラスを這ってゆっくりと下に伝う。黒いのに妙なテカリがある。顔を近づけると、悪臭が鼻をついて思わずむせた。

「何、コレ・・・」

「私特製の回復薬。効果は抜群よ。失われた魔力を補えるわ」

「・・・何、コレ」

「だから、回復薬だってば。効果は保証するから」

「・・・味は?」

 文句を言っている場合ではないのはわかっている。けれど、生理的に無理なものって、どんな状況であろうが無理なのだ。顔の前にずずいと差し出されても、無理なんだってば・・・

「良いから、飲みなさい」

 顎を掴まれ、強制的に開けられた口にビンが突っ込まれる。そのままぐいっと顎を上に向けられた。

「おっ、ごっ」

「はい、飲み込んで」

 無理、こんなの無理! 少し嗅いだだけでもむせるほどの形容し難い悪臭、強いて言うなら真夏の暑さの中に放置された生ゴミが発する匂いが、口内を埋め尽くす。最後の一線を守るかのように、一向に喉を鳴らさない私に業を煮やしたか、プラエは顎とビンを押さえていた両手を私の首に沿わせた。左右の手の親指が、私の左右の顎関節の下あたりに当てられる。プラエは親指を、ツボを押すように首に押し込んで、そのままぐりぐりと捻った。痛みと刺激で思わず飲んでしまう。

 どろっとした液体が、ゆっくりと食道を通っていく感覚が既に気持ち悪い。食道の形状が分かるほどにまとわりついて、尾を引きながら胃に落ちて行く。まだ、まだあるの?! 気道まで塞がれるんじゃないかと思えるほどの量が流れ込んでくる。もはや液体ではなく個体だこれは。涙が溢れ、頬を伝った。口内に残るねばねばした感触も頭にさぶいぼがたつほど気色悪い。ゾワゾワする。

「えほっ、げほっ」

「よし、飲んだわね」

 吐き気は言わずもがな、頭はくらくらするし、体は熱く火照っている。こんなの、戦う前に死ぬ。

「これで、あなたの魔力は補填されたわ」

 恨みがましい目で見上げると、清々しい笑顔のプラエがいた。

「今の所、奴に効果的なダメージを与えられたのはあなたとそのウェントゥスだけ。チャンスがあれば、狙いなさい」

「・・・私じゃなくても良かったんじゃ」

 魔力があるなら誰だって。それこそプラエでも良かったのではと思う。別にあのまずい回復薬を飲みたくなかったというだけの理由で言っているわけじゃない。断じて。私以上に戦闘経験をもつ人間の方が、勝率も高ければ魔力の量も違うはずだ。しかし、プラエは首を横に振った。

「正直に言うわ。アカリ、あんたは特殊なのよ」

「え?」

 凡庸、どころか戦いにおいては傭兵団の中でも最下位だと思っている私が?

「多分、誰が使っていたとしても、あんたみたいにウェントゥスを長距離攻撃用として使う人間はいないわ。あんたは、自分が普通だと思っているかもしれないけど、私たちからすれば、やはり異界からのルシャは特殊なの。この世界の人間と、まず思考の仕方が違うのよ。そして、このウェントゥスは、その思考がモロに影響する武器。刃の伸ばし方や形状は、使い手の思考によって変わる。あんたにしか、ウェントゥスのあんな使い方は思いつかなかった」

 加えて、とプラエは言った。

「私たちの世界の遠距離攻撃は、広範囲に効果をもたらす物が多い。なぜか。そこまで命中精度が高くないからよ。例えば弓矢の上手い奴は、もちろん団にもいる。けど、良くて五十メートルが限界。それも十回射て半分も当たれば上出来のレベルよ。だから、基本弓矢は横一列に並んで数打ち、点ではなく面で攻撃する。他のどの武器でも同じ結果でしょう。だけどあんたは違う。そのウェントゥスで百メートル先のロストルムを討った。今現時点で、あんたと同じ芸当が出来る人間はここにいないの」

 だからあんたが頼みの綱よ。プラエは力強く私の両肩を掴んだ。

「チャンスは私たちが作るわ。あんたはそのチャンスをモノにして、奴を狙撃するの」

 両肩に重たい重責が戻ってきた。

「無理、とか思ってる?」

 プラエがまさに聞いてきた。触れている手のひらから、私の動揺を感じ取ったのか。

「分かる、とは言わないし、言えないわ。あなたが今感じている重圧は、あなただけのものだから。適当な共感を口にして、それを軽くすることは私には出来ない。ゴメンね」

 プラエは笑った。

「そこは、こう、何か上手く言って、私の緊張を解すのが普通じゃないんですか?」

 私も笑って返した。

「うるさいわね。何が出来て何が出来ないかをきちんと把握して無いと、魔術師なんかやってられないわよ」

「出来れば、是非とも次には口が上手くなっている事を把握して頂けると嬉しいですね」

 肩に置かれた、彼女の手に触れる。

「失敗しても、恨まないでくださいね」

 震えは止まっていた。

「安心しなさい。失敗したら、もう一度回復薬を飲んで、もう一度狙いなさい。当たるまでやるのよ」

「・・・一発で仕留めます」

 出来る出来ないじゃない。出来るまでやるのだ。プラエと別れ、位置取りのために移動を開始する。

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