第29話 机上の作戦

「来たのか」

 壁際で屈んでいたラスが、こちらを一瞥した。インフェルナムからは二十メートルほどしか離れていない。気づかれていないのか、そもそもこちらを気にしていないのか。おそらく後者だ。インフェルナムにとって、何もしなければ私たちなど取るに値しない虫けらだ。

「来たって事は、黙って一緒に戦うって事で良いんだな?」

 私は素早く二度頷いた。ショックをいまだ引き摺っている上原も、こくんと顎を落とす。

「上等。こっからは少しのミスが死に繋がると思って動け。二度とくだらねえ因縁つけんなよ」

 それだけ言って、ラスは再び装置を操作した。今度は二回短く、三回目を長く電球を灯らせる。しばらくして、同じ合図が返ってきた。小さくラスが舌打ちする。

「見つからねえみてえだ。ったく、プラエの野郎、整理整頓ぐらいしとけよな」

「しかし隊長」

 しゃがんだ状態でバーリがラスに近付く。

「幾ら部屋が汚くたって、たかだか一部屋、宿屋全体にしても六部屋に食堂と厨房だぜ? 三部隊の人間に団長達が混じって捜索して、見つからねえってのは変じゃねえですか?」

「ああ。俺もそう思う。しかも探してんのはドラゴンの卵だ。鳥の卵の何倍もでかいもんが隠れる場所なんてそうはねえぞ」

 もしかしたら、とラスは苦々しい顔をしながら、考えられるうえで最も悪い状況を口にした。

「卵は最初から無かった、ってことか?」

「・・・トリギェの奴が嘘をついていたと?」

「わからねえ。が、その可能性は低いだろう。俺達が失敗すりゃ、あいつも道連れになるのはわかってたはずだ。それで嘘をつくとは思えない」

「インフェルナムの野郎も、宿の付近を重点的に探してるんですよね。付近にあるのは間違いないんでしょうけど」

 場所が間違っているのか、首を傾げるラスたち。

「隊長」

 声を上げたのは上原だった。ラスが肩越しに振り向き、彼の顔を睨む。他の団員達も上原の顔を注視する。

「おいマサ。てめえ、また邪魔する気か?」

「違います。もう邪魔しません。そうじゃなくて、卵についてです。もしかしたら、隊長の言うとおり、卵はもう、ないのかもしれません」

「・・・何でそう思う?」

「三部隊の人間で探せるところは探せたはずです。それで出て来ないのなら、もうないと考えてもいいと思います」

「だが、インフェルナムはまだ宿屋を探しているぜ? あいつは匂いを追ってここまできたんだろう?」

「それなんですが、だからこそインフェルナムはここに留まっているんじゃないでしょうか?」

「どういう意味だ」

「鼻が利き過ぎるからこそ、騙されてるんじゃないかと。僕も肩の治療のために、プラエさんの部屋に行った事があります。様々な物が置かれていて、匂いも中々強烈だった。僕らの世界では、嫌な匂いを消す為に芳香剤、例えば花などの別の匂いを撒いて匂いを消したり中和したりします」

「普通なら、プラエの実験道具の匂いのせいで、卵の匂いなんかしないって言いたいのか」

「はい」

「なら、なぜインフェルナムはあそこを嗅ぎ回ってる?」

「逆に、卵の匂いを宿に沁み込ませたんじゃないかと思うんです」

 ラスの目が鋭くなった。

「匂いを沁みこませる、今お前が言った、芳香剤みてえにか?」

「はい。匂いを追ってきてるのはトリギェたちだって分かってたはずです。なら、その匂いを誤魔化す方法も考えていたはず。あのフィリウスって人が言っていたように、トリギェが別の国に頼まれて、この国に打撃を与えようとしていたのなら」

「匂いだけラテルに残して、自分たちはとんずらするってか」

 はい、と上原は頷いた。

「だが、逃げる前にトリギェは捕まった。フィリウスも卵を抱え込ませたまま、トリギェをインフェルナムの前に放り出せば、こんな事にはならなかったんじゃないか?」

「確かにラテルは守れたと思います。けど、フィリウスはそれ以上を欲したんじゃないでしょうか?」

「欲した?」

「はい。多分、相手の国に貸しを作る事を、です。もしくは脅す材料です。インフェルナムの卵みたいに、珍しい物は貴族の間で流行っているんですよね。価値の高い珍しい物を所有しているほど、その貴族の価値となるような風潮があるとか」

「ああ。俺達貧乏人にはよくわからない価値観だがな」

「インフェルナムの卵を依頼した貴族にとって、ラテルに打撃を与える以上に、卵の価値は高かったはずです。自分の力を誇示する為に必要ですから。もしかしたら、珍しい物が手に入ったと他の貴族に言いふらしていたかもしれません。ですが、それが手に入らなかったとしたら、どうなるでしょう」

「赤っ恥以外の何物でも無いな」

「それ以上だと思います。上流階級の人間ほど、プライドが高い物ではないかと思います。だから、多分ですけど。フィリウスはその貴族に持ちかけたのではないかと」


『卵は渡す。この事件の真相も黙って置いてやる。その代わり』


「こうして、脅す材料を見つけた。おそらく卵は渡していると思います。渡さなければ脅せませんし、向こうが白を切るか、逆上する可能性もあります。それにやはり、インフェルナムの卵は危険を呼ぶものですから、手元には置かないでしょう」

「あの野郎が自分の国を壊されても余裕ぶっこいてんのは、そういう理由か」

 上原の推測は、私が考えていた話よりも真実味を帯びていた。ラテルを襲わせたっていうトリギェの証言だけじゃ脅しの材料には弱かったのだ。卵という、言い訳しようのないものが貴族の元にあること自体が証拠になる。

「もしそれが真実ならどうする。トリギェはくたばった。卵の匂いのするものがどれかはわからねえ。はっ、あの野郎。自分も死ぬかもしれないのに、俺達に嘘をつきやがったのか」

「いえ、もしかしたらトリギェは真実を言っていたのではないかと思います。けれど、後でフィリウスにすり替えられた」

「あのクソ野郎・・・」

 ラスが歯噛みする。その瞬間、装置が明滅を繰り返した

「ヤバい。卵捜索は打ち切りだ。これ以上はインフェルナムを刺激する」

「どうするんですか?」

「出直しだ。捜索隊の連中を逃がす為に、インフェルナムを引き剥がさなきゃならない。ああクソ。出番が回ってきやがった」

 緊張感がピークに達する。とうとう自分達が、あのインフェルナムの前に立つ事になる。想像しただけでも震え上がる。しかもだ。それで済むかといえば、そうじゃない。出直しってことは、引き返して、再び相対するために戻ってこなきゃならない。その時は、卵を返す方法が使えないから、最悪の手段をとる羽目になる。勝算も何もないのに、インフェルナムと、真正面から戦うのだ。嫌だ。そんなの、幾ら命があっても足りない。それ以外の方法を必死で探す。

「そうだ!」

 必死で考えて、自分の世界にのめり込んでいたせいか、答えを導き出した喜びからテンションが上がってしまったか、立ち上がって、思いのほか大きな声を出してしまった。近くにいた団員が私を引き摺り下ろし、押さえつけられる。団員全員がその場に這いつくばった。

 インフェルナムの鼻息が聞こえる。首を巡らせ、こちらを伺っているような気配だ。全員が身じろぎ一つせず、死体の振りをする。こっそり横目で見上げていたら、真っ赤な鼻先が日の出のように城壁の上から飛び出した。誰もが恐怖から叫び出しそうなのを必死で堪える。汗が流れる。少しでも動いたら死ぬ。呼吸すら止めて、恐怖が行き過ぎるのを待つ。しばらくして、インフェルナムは離れて行った。

「ばっかやろう! 何トチ狂ってやがる!」

 うつ伏せの状態で、小声でラスが叱責した。

「す、すみません。思いついたものですから」

「思いついただと? 何を」

 団員達がゆっくりと体を起こし、中腰のまま私のまわりに集まってきた。

「卵が無くて、匂いだけが問題というのなら、提案があります」

「提案、何か良い方法か?」

「はい。さっきの芳香剤の話ですが、同じ事が出来ないでしょうか? 今、ここに強い卵の匂いがあるから、インフェルナムは留まってるんですよね。その匂いを消せれば、事態は変わりませんか?」

「推測に推測を掛け合わせるみたいなもんだが、もしかしたら動きが変わるかもな。それこそ運が良けりゃ、持ち運ばれた卵の匂いの方が強くなって、その後を追っかけるかもしれない。しかし、そんなこと出切るのか?」

「プラエさんの部屋には、それこそ沢山の悪臭を放つ物が数多くありました。それらを宿屋中に撒くんです」

「匂いを上書きする、という事か」

「はい。それに、卵の匂いのする物は、何らかの方法で人工的にその匂いが作られたんじゃないかと思います。でも、それが無くなれば、本物の卵の方が匂いは強くなるから、そっちの方にインフェルナムは移動するかもしれません。今のインフェルナムが探っている匂いは、わざと強くした匂いじゃないかと思います。芳香剤は、色んな成分を混ぜ合わせて普通の花よりも強い匂いを作りますから。それと同じ要領です。作られた匂いは成分が少し変わると、匂いも変わります。人工的に作られた卵の匂いも、同じように別の匂いのする成分と混ざると」

「別の匂いに変わるかもしれない、ってことだな」

 頷く。

「なので、今宿の中にいる人たちには残ってもらって、その作業をしてもらえたら二度手間にならないんじゃないかと」

 ラスが目を瞑る。思案する事十秒。

「問題は二つ。俺達がここでしている話を、向こうに伝える術がない。この装置じゃ簡単な合図は送れても、詳細までは送れない。二つ。捜索隊が危険な状況は変わらない」

「捜索隊への伝令は、僕がやります」

 上原が挙手した。

「僕の魔道具なら、城壁から飛び降りる事が出来ます。この距離なら宿まで十秒かかりません」

「分かった。だがそこにも問題がある。出入り口はインフェルナムが塞いでいる。これは、二つ目の問題に関係してくる。が・・・」

 ラスが団員達を見渡す。彼らは、団長が言おうとしている事を既に理解していた。頼む、と一言、ラスは彼らに頭を下げた。

「俺達がやる事は変わらない。インフェルナムの気を引き、奴を引き剥がす」

 返事の変わりに、全員力強く頷いた。さっきと違うのは、この作戦さえ成功すれば、生存の道が開かれるかもしれないという点だ。希望があるか無いかではモチベーションに大きな差が出る。モチベーションが上がれば、無根拠ながらも上手くいくのではないか、という希望的錯覚が起こる。錯覚だろうがなんだろうが、そう思えるだけで、パフォーマンスが上がる。かくいう私も、さっきとは別の心持ちだ。単純だとは思う。けれど、生き残れるかもしれないとわかったら、調子だって良くなるというもの。

「捜索隊に、その場で待機の合図を送る。一分後に作戦を開始。インフェルナムをひきつける。マサ、頼んだぞ」

「はい」

「よし、では、散開して移動。マサはこの場で待機。機を見て、一気に行け」

 第五部隊の面々は、左右にばらけていく。

「上原君」

 壁際で様子を伺う彼に声をかける。

「気をつけて」

「篠山さんも」

 彼が握り拳を掲げる。私も自分の拳をそれに軽く当てた。金属の篭手の軽い音が小さく響く。出来れば、今度はグラス同士をぶつけたいものだ。

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