第28話 非常識

 ラス隊長率いる私たち第五部隊は、城壁内の階段を昇っていた。以前の巡回で回った、城壁の上からインフェルナムに接近する予定だった。

 ガリオン兵団の勝利条件は二種類。インフェルナムの討伐、あるいは撃退。

 だが、その条件を満たすための方法が未知だった。

 まず、既存の武器で効果を得られるかどうかが不明。城壁を破壊したことから判明したのは、城壁に打ち付けても、その城壁を砕くほどの圧力がかかっても傷のつかない鱗に覆われているという事。少なくとも、あの凶悪に発達した脚付近では、武器は弾かれるだろうと推察できた。では狙うとすれば、その鱗の薄そうな部位や鱗に覆われていない箇所。例えば目なんかが弱点に上げられる。他は口内や翼だろうか。それらに共通するのは、地上からでは狙い難い場所ということだ。インフェルナムの体高は二階建ての家の屋根に匹敵する。地上から目は狙えない。

 そこで、第五から第九部隊は城壁の上から攻撃に参加する。反対に第一部隊の重歩兵隊は、強固な守備力を発揮する反面、動きがどうしても鈍重になる。なので今回は装備のほとんどを外し、ある道具のみを持って空き家に身を隠す。

 だが、戦うのは最終手段でもある。勝てるかどうかも分からない相手に挑むのは傭兵としては二流だ。最初は撃退を主として作戦を立て、第二から第四部隊がもっとも危険な役割を担ってラテルの中に入った。


「正直、倒せるとは思ってねえ」

 各部隊の隊長達を前にして、ガリオンは言った。普通、団長が弱気な発言をするのは問題だ。しかし、相手が相手だ。気持ちでどうにかなるような相手ではない。現実からガリオンは入った。

「相手はこれまで人間が戦った事のない化け物中の化け物だ。通常のドラゴンでさえ、相手をするには大軍が必要になる」

 だが、とガリオンは団員達を見渡しながら告げる。

「倒せないが、追っ払う事は出来るかもしれない。それが出来れば、俺たちの勝ちだ」


 城壁を昇りきった私たちは、ラスの指示に従い中腰で移動を開始する。まだインフェルナムからは距離があるが、可能な限り静かに、息を殺し、足音を立てないようにして移動する。たった十メートルを移動するだけでも疲れる。ただ無理な体勢だからじゃない。少しでもインフェルナムの意識がこちらに向いたらと考えただけで、精神が磨り減る。過度なストレスが体力を奪っていくのだ。ラスも部下の体力面を考えてか、一定距離を歩いたら少し休憩を入れながら前進していた。

 城壁の角を曲がる。ちらと赤い色が視界に入り、思わず伏せた。気づかれたわけでもないのに、過度な反応をしてしまった。だが、上原も、誰もそれを笑う事はなかった。笑う余裕もないのだ。

 先頭のラスが、こちらに向かって手のひらを下にして下げる仕草をした。一旦休憩だ。壁に寄りかかり、城壁の隙間から街中を覗き込む。インフェルナムの尾が遠くに見え、それに近寄る大に部隊を確認できた。彼らに引っ立てられるようにして、トリギェがつんのめりながら走っている。トリギェが隠したインフェルナムの卵を回収するためだ。卵を回収し、親に返す。撃退というよりも、インフェルナムの目的を果たさせて、ここでの用を無くさせる。それが、現時点で最も確実な方法であるとガリオンたちは結論付けた。シンプルだが、可能性は戦うよりも高い。知能の高い生物なら、無駄な事はしないはずだ。インフェルナムの視界を計算し、三つの部隊がそれぞれ別方向から徐々に接近していく。

 ラスが手を上げる。再び、中腰での移動が始まった。近付くにつれ、確認できる範囲が広がる。尾から後ろ足、背中、肩から前脚、そして頭部と、全体を視界に入れられる距離にまで近付いた。

 インフェルナムは頭を地面に近づけて、しきりに鼻を動かしている。卵の匂いを追っているのだろう。この辺は犬と行動が似ている。重点的に調べているのは、ガリオンたちが泊まっていた宿周辺だ。プラエの部屋に隠したと言っていたのを思い出す。もし匂いを追っているのだとしたら、きっと苦労している事だろう。あの部屋にあるゴミの山、もとい魔道具の材料の山からは、色んな匂いが放出されていた。色んな匂いが重なり合い混ざり合い、ただただ悪臭を放っている。いまいち卵がここにあると確証をもてないから、インフェルナムも思い切った行動、建物を破壊するなどの捜索が出来ないのだろう。卵を傷つけてしまっては本末転倒だ。

 ふいに、インフェルナムが顔を上げた。じっと観察していた私たちは、慌てて身を伏せる。ウェントゥスが床に擦れて高い音を立てた。心臓が縮み上がる。実際にはそれほど大きな音ではなかっただろうが、私の中ではシンバルを叩いたような気分だ。息をするのも忘れ、ウェントゥスを押さえる。一秒、二秒と生きた心地のしない時間が流れ、十秒たったところでゆっくりと顔を前に向けた。

 インフェルナムはこっちを見ていた。

「ひ・・・」

 声が喉元にせり上がってきた。その前に、塞がれる。隣の上原から伸びてきた手のひらが、私の口元を押さえた。上原は歯を向き出しにして、首をブンブン左右に振って食いしばっている。彼も必死で声を押さえ込んでいた。それを見てどうにか飲み込むが、これは無意味ではないのか? 私たちの場所がばれたのではないのか?

 この疑問はインフェルナムの行動によって否定された。インフェルナムはこちらに気づいたのではなく、首を巡らせていた、私が顔を上げたタイミングが、ちょうどインフェルナムの正面が前に来るタイミングだっただけだ。証拠に、今は右手方向、インフェルナムからすれば背後に視線を向けている。ひとまず胸を撫で下ろした。この一時間で寿命がどれほど縮んだかわからない。

 インフェルナムは、そのまま反転し、ゆっくりと歩を進める。卵があるはずの宿屋から離れる。出直すのか、と一瞬期待したが、そうではないようだ。歩くたびに唸り声を上げ、牙を向く。進める脚にも力が入っている。明らかに怒っていた。鱗が怒りのボルテージの上昇を表すかのように赤の発色が強まっていく。

 インフェルナムの進む先、そこには今、第二部隊が潜んでいたはずだ。まさか、あちらの部隊が先に気づかれたのか。だが、距離的には私たちよりも離れているはずだ。匂いで見つかるなら、私たちの方が先のはず。

 困惑するものの、インフェルナムが動いた事に変わりはなく、小走りになりながら並走する。多少ガシャガシャと音を立てるが、インフェルナムはこちらに気づいた様子もなく視線を前に向けたままだ。よほど気になる事があるのか・・・

「ひ、ひぃいいい」

 インフェルナムの視線の先で、狼煙のように声が上がる。

 あの声、まさか。

 想像どおり、トリギェが路地裏を走っていくのが見えた。インフェルナムの脚が早まる。飛ぶように駆け、通りの角を曲がる。巨体に似つかぬ俊敏さだ。事ここに至っては隠れるよりも追跡を優先し、ラスは部隊を急がせる。

 視線の先で、インフェルナムが仁王立ちしていた。奴が睥睨する視線の先には、追いつかれ、追い抜かれ、先回りされたトリギェが尻餅をつき、声も上げられぬほど怯えきって絶対強者を見上げている。

 そうか、匂いか。卵を盗んだトリギェは、当然巣に近付いたはずで、その巣にトリギェの匂いが残っていた。インフェルナムはその匂いを覚えていたのだ。数多の人間の匂いが存在するラテル内では、私たちの匂いなどそのうちの一つ、卵を探して忙しいインフェルナムにとってはどうでも良いものだったが、トリギェは違う。騒音の中でも耳は自分に関する音を拾うカクテルパーティ効果というのがあるが、鼻でも同じ事が出来るのか。

 じっと視線を逸らさず、インフェルナムはトリギェを観察する。睨まれたトリギェは、実際に炎で炙られているかのように汗を垂れ流して、首を振り続ける。逃げようにも、傷のせいか腰が抜けたか、一歩も動けていない。とはいえ、動けたとしてもどうせ結果は同じだろう。

 ゆっくりと、インフェルナムがトリギェに顔を近づけていく。めり込めといわんばかりに、トリギェは限界ぎりぎりまで自分の体を地面に這わせた。きっと、トリギェにとっては地獄に等しい一分だっただろう。匂いを嗅ぎ終えたインフェルナムは、顔を上げ、荒々しく鼻息を噴出して、大きく前脚を上げた。

「やめて、許して・・・」

 訪れる結末を前に、トリギェは懇願した。しかし、聞き入れられるはずもなく。

「やめ、やぁあああああああああああ」


 どずん


 いっそ、人間が行うよりも優しい処刑だった。痛みも苦しみも感じる暇はなかったはずだ。死の間際に、心を殺すほどの恐怖はあっただろうが。

 トリギェは私たちがこんな目に遭う原因を作った相手だ。正直嫌悪感しか彼には持ち合わせていない。しかし、だからと言って目の前で死なれて良い気分のはずがなかった。久々の、人間が目の前で死ぬ感覚。味わいたくなかったが、吐くまでには至らなかった。クラスメイトたちが食い殺された経験が耐性として活かされている。人の死を無駄にするなってのは、こういう事ではないはずだ。それでも、今このとき、吐かずにいられるのは正直助かる。吐いている場合じゃない。次は、自分の番かも知れないのだ。

 溜飲が下がったか、インフェルナムは少し落ち着きを取り戻し、再び卵の捜索に戻る。

「追うぞ」

 短くラスが指示を出す。同時に、彼は懐から箱型の物体を取り出した。縦横五センチ、長さ二十センチくらいの、筆箱くらいの大きさの箱には、一方の頂点に丸い電球みたいなものがついて、側面に丸いスイッチがある。ラスがスイッチを押し込むと、電球が淡く灯った。魔力が流し込まれて点灯しているのは理解できたが、どんな効果までは分からない。ラスがスイッチを離すと、途端に電球から明りが消えた。魔力が流し込まれている間だけ点灯する仕組みのようだ。しばらくして、電球がまた点灯した。ラスがスイッチを押している様子はない。電球は三回、規則的に明滅を繰り返す。その様子を見て、ラスが舌打ちした。

「くそ、デマ掴まされたってのか」

 ポツリと溢し、ラスは暗い顔で私たちに告げた。

「卵がまだ見つからない。もしかしたら、無いかもしれない」

「ちょ、どういうことですかい隊長」

 バーリが当然の疑問を投げかけた。

「卵が見つかんなきゃ、インフェルナムを追い払えませんぜ」

「分かってるよそんなこたァ!」

 ラス自身も、戸惑っているようだ。

「色々推測は出来るが、確証が無い。俺たちにできるのは、最悪の状況を見越して動く事だけだ。卵の捜索は、今も引き続き他の部隊の連中がやってる」

 他の部隊・・・そうだ。

「隊長、第二部隊の人たちは無事なんでしょうか」

 トリギェと一緒に動いていた彼らの姿を見ていない。一緒にいたトリギェがやられたのだ。彼らにも被害が出ていないとは限らない。襲われたところを見たわけではないが、インフェルナムはこちらの何倍も早く角を曲がっていた。その時に被害がでたかもしれない。

「第二の連中は無事だ」

 予想に反し、ラスからは断定した答えが返ってきた。

「あいつらは既に、宿屋で卵探してるよ。さっきこいつの反応が返ってきただろう?」

 ラスが先ほどの箱をこちらに振って見せた。

「向こうも同じ装置を持っていて、このスイッチを押すと他の装置が点灯する仕掛けだ。で、簡単な合図を点灯回数で決めている。長く一回点灯させたら敵が向かう、とか、三回点灯すると緊急事態とか想定外の状況とか、そういう意味だ」

 モールス信号みたいな物だと理解した。それよりも気になるのは、どうして第二部隊はすでに卵を捜索しているのか。トリギェと一緒にいたんじゃないのか。

「囮にしたんですか」

 上原が言った。信じられないものを見るような、唖然とした顔で。それを見返すラスの目の、驚くほどの冷たさはなんだ。囮って、どういう意味だ?

「インフェルナムは犬に似た姿から、その特徴も似ていると推測できます。僕でも推測できるのだから、ギース参謀やプラエさんなら、もっと早く気づいていたはず」

 大抵の生物は頭か心臓を潰せば死ぬ。ラス自身が言っていた。似た生物が似た特徴を持つのは、想像に難くない。

 上原が尋ねている事の意味が、ようやく理解出来てきた。トリギェを連れてきたのは卵の居場所を吐かせるだけじゃない。そもそもあんな狭い部屋、数人がかりでひっくり返せば目的の物は簡単に見つかる。卵は大の大人が一抱えするほどの大きさだなのだから。

 本当の狙いは、インフェルナムを宿屋から引き離すためだ。そしてインフェルナムが離れている隙に、宿屋に侵入し、卵を探し出す。

「匂いに敏感であるなら、卵を盗んだトリギェの匂いに反応する。それが分かってて、彼を連れてきたんですか」

「そうだ」

 あっさりとラスは認めた。

「囮になるかどうかは賭けだったがな。こちらの想定どおりに釣られてくれて助かった」

「どうして」

「どうしても何も、そうするしかなかったからだ」

 上原に背を向け、インフェルナムを追おうとするラス。彼の前に上原はまわり込んだ。

「何だマサ。邪魔をするな」

「トリギェをインフェルナムに近付けたらこうなる事を予測してたんでしょう。どうしてそんな惨い作戦になったんですか」

「うるせえ。後で団長にでも聞け」

「ラス隊長も知ってたんじゃないんですか、こうなることが。だから驚かないんだ」

「いい加減にしろよマサ。てめえの相手をしている状況じゃねえって、わかんだろ」

「命は奪わないって、言ってたじゃないですか。なのになんで」

 言葉が途切れ、代わりに鈍い音がしたかと思うと、上原は尻餅をついていた。左頬が赤く腫れ、口の端から血が垂れている。

「邪魔すんなっつったろうが」

 上原を見下ろしながら「先に進め」とラスは上げた手を前に倒した。バーリたちはちらとラスと上原を見比べた後、ラスの横を通過していく。後には、ラスと、上原と、動けなかった私が残った。

「そんなに理由が知りてえか、この状況で。なら教えてやるよ。トリギェが囮にならなかったら、俺達が囮の役割を担う事になってたんだよ。俺がトリギェの囮に賛成した理由はそれだけだ」

「僕達が、囮に?」

「そうだ。誰かがインフェルナムを引き離さなきゃ卵は探せないからな。団長は、俺は、トリギェよりも自分の命と部下の命を取った。それだけの話だ。それとも、お前、あれをどうにか出来たか?」

 指差す方向には、再び卵を捜索するインフェルナムがいた。

「何も出来ねえなら、黙ってろ」

 言い返せない上原に見切りを付けて、ラスは先に向かった部隊の皆を追う。

「行こう?」

 身じろぎ一つしない上原に声をかけ、手を差し伸べる。ぼうっと、焦点の合わない目をした上原の顔がこちらを向く。忘れてはならなかった。言葉が通じても、ここは異世界で、私たちの倫理や道徳、常識は通用しない。私たちの方が異端なのだ。

「生き残ろう。今の私たちにできるのは、ううん。やらなきゃいけない事は、それだけだと思う」

 まだ動こうとしない上原の腕を掴み、強引に引っ張った。

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