第27話 生き残る為に
「そう悲観したものではないぞ」
戦闘準備を始めるガリオン兵団に向かって、フィリウスはこちらの神経を逆撫でする様な気楽な声で言った。
「インフェルナムを討伐することが叶えば、貴様らは正真正銘、龍殺しの名を冠する傭兵団となる。世界中のあらゆる傭兵団が羨む実績を積む事が出来るのだ。物事は前向きに捉え、活力とするが良い」
ガリオン始め、団の誰も彼に顔を向けなかった。聞こえない振りをしていた。もしまともに聞いたら、怒りで切りかかってしまう。私も歯を食いしばって、支給された鎧とウェントゥスを準備した。
誰も口をきかない。誰かが文字通り口火を切ったら、罵詈雑言がやまない事が分かりきっていて、その体力すらも惜しいのだ。怒りを内に湛えたまま、ひとり、またひとりと準備の整った者が団長の前に整列して行く。全員の準備が整ったところで、ガリオンはフィリウスの方を向いた。
「おい」
名前を口にする事すら嫌なのだろう。本来なら、貴族をおい呼ばわりするのは死罪ものだが、これから死地に放り込もうとしている張本人に敬語など不要だ。むしろその手にある投擲用の斧を投げなかっただけ優しい。
フィリウスもその程度の事はわかっているのか、まわりの部下たちの顔色が急変し衝突しそうになるのを片手で制した。
「約束は守ってもらう。俺達がインフェルナムをどうにかできたら」
「わかっている。報酬は支払ってやるとも」
ガリオンが握りこんだ拳から血を流しながらフィリウスの要求を飲んだ時、報酬の話を押し通した。彼がフィリウスに求めたのは、以下三つ。
インフェルナムを討伐、もしくは撃退出来たらガリオン兵団に対して金貨五千枚を支払う事。これは、団員一人当たり約五十枚にあたり、一つの家庭が一年、無駄遣いしなければ数年は生きていける金額だ。
討伐が絶対条件でないのはギースが交渉の末に引きずり出した条件だ。誰も戦った事がない化け物を倒すなんてとてもじゃないが確約出来なかった。インフェルナムは逃走し、こちらは多数の犠牲を出した、なんて死に損だけは何としても避けなければならなかった。また、個人ではなく団に対して報酬を支払う約束をさせたのは、死んだ人間に対しても支払わせるためだ。死んだ人間にも家族がいる。家族に確実に報酬を届けなければならない。団員は確かにここにいたと、家族の為に戦っていたという証明のためだ。
二つ目は、希望者は何の遺恨も罰則もなく正規兵の職を辞するのを許可する事。こんな奴の元で働いていたくないと思うのは当然だ。だが反対に、この危機さえ切り抜けさえすれば安定した収入を得られる正規兵は魅力なのは間違いなかった。だから気持ちを飲み込める希望者は、という形にしたようだ。ただこちらも、今回のインフェルナム襲撃の真の理由を話さない事を約束させられた。口外すれば命はないと。こんなの、フィリウスたちの目が届かないところでなら安全では、と思ったが、そうでもないようだ。辞職する者は魔術による誓約を課されることになる。
三つ、これが一番重要だ。
「早速、前払いだ。連れて行くといい」
フィリウスの合図と共に、トリブトムの連中がトリギェをこちらに向かって突き飛ばした。怪我のせいで体が上手く動かないトリギェを、ガリオン団員達が取り囲む。トリギェに向けられる視線は、フィリウスに向けられるものと同等かそれ以上に冷たいものだった。怒りの沸点を超えると、人は無に近い表情になるらしい。おそらく、私もそんな顔で彼を見下ろしている。
「ひぇ」
少し身じろぎしたが、抵抗らしい抵抗などその程度で、か細い悲鳴とともにトリギェは団員達に取り押さえられ、運ばれていく。
「そいつを連れていってどうするつもりだ。腹いせに嬲り殺すのか?」
「うるせえ。てめえに説明する義理はねえ。せいぜい遠くで見物してろよ」
言い捨て、ガリオンはフィリウスに背を向けた。そのまま、トリギェが消えた人垣へと割って入っていく。
「期待しているよ。伝説に挑む勇者たちよ。吉報を待っている」
「さて、と」
震えながら座り込んでいるトリギェと、ガリオンが膝を付いて目線を合わせた。
「正直に言って良いか?」
ぐい、とガリオンがトリギェの顎を掴み上げた。骨の軋む音が聞こえ、やめて、助けてと情けなくトリギェは訴えるが、誰一人助けようとはしない。
「てめえが余計な事をしなけりゃ俺たちは今日も平穏無事に飯を食ってたはずなんだよ。なのに、この有様だ。なあ、わかるか? 俺は今、てめえを八つ裂きにしてやりたい。ああ、申し訳ねえが、この恨みにはてめえだけのものじゃない。後ろでふんぞり返ってるクソ貴族野郎に対してもそうだし、助けた恩を忘れたトリブトムの連中の分も追加されている。クソ貴族相手にゃ、現実問題憎しみをぶつけられねえし、トリブトムの連中の引き渡しはそのクソ貴族が許さなかった。だから、てめえには三つ分の憎しみが込められている。その点については謝るよ。悪いなァ」
ギリギリギリとガリオンの手に力がこもる。トリギェはもう何らかの単語、言葉を発する事も出来ず、呻き声だけを上げ続けている。
「だが」
唐突に、ガリオンはトリギェを掴み上げていた手を離した。呼吸も難しかったか、トリギェはよだれを垂らして喘いでいた。
「てめえはまだ生かす」
「・・・え」
恐る恐るトリギェが顔を上げた。信じられないといった顔だ。
「インフェルナムに関する情報を、全て吐け。それが、今、ここで、てめえの命を奪わない条件だ」
フィリウスの要求を飲む、少し前。ガリオン、ギース、そして各部隊の隊長達で作戦会議を開いた。フィリウスたちラテル軍を突っ切るのはかなり難しい。切り抜けられたとしても社会的に抹殺され、傭兵家業は続けられなくなる。この時点で、インフェルナムに挑む一択になった。どちらを選らんでも地獄なら、成功した時のメリットのでかい方を選んだ。そして、挑むと決まったらやる事を決めるのは早かった。何より必要なのは情報だ。情報無しでは作戦も立てられない。
そこで白羽の矢が立ったのは、トリギェだ。インフェルナムの卵を盗むという暴挙に出たということは、多少なりともインフェルナムの生態を知っているのではないか、とプラエが進言したのだ。団の中で最大の知識量を持つプラエでさえ、インフェルナムの事はほとんど分からない。それほどの神秘の存在だ。ついでにトリブトムの連中の情報も、欲を言えば戦力としても欲しかったが、ガリオンが言った通りフィリウスに却下された。
「余計な嘘はつくなよ。俺達がくたばったら、次はてめえがインフェルナムの餌になるんだからな」
一蓮托生だ。全員が納得したわけじゃない。けれど、そうしなければ勝つどころか、戦うスタートラインにさえ立てないのだ。全員が怒りを押さえ込んで、トリギェに注視する。トリギェは震えて泣きながら、何度も頷いた。
「話します。何でも話しますから」
「よし。じゃあ、早速作戦会議だ」
生き残る為に、色んな物を飲み込んで、ガリオン兵団は一致団結した。
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