第25話 生態系の頂点

「トリブトムの連中、とんでもない依頼を受けてたのよ」

 プラエを囲み、全員が固唾を呑んで彼女の口元を注視する。

「奴らの名誉のために言っておくと、最初に彼らが聞いていた依頼は、赤の大地から更に東にある樹海の、そこに生える植物だった。万能薬の材料になるものよ。それを採取する依頼だった」

「もしかしてそれ、ウニクムのことじゃないのか?」

 ギースが告げる。

「そうそれ。ウニクム」

「おかしくないか。ウニクムは確かに希少な物だが、数が少ないのと高額なだけで流通していないわけではない。トリブトムを使ってまで探させるものではないはずだ」

「その通り。トリブトムの部隊を幾つも使うほどの物じゃない。それで買える。最初、彼らもそう思ったらしいの。けど、トリギェは出回っている、時間が経過した物では意味がないと言ったの。確かに、ウニクムは時間が経ち、水分が抜けて乾燥していくにつれ、成分も一緒に失われる。新鮮なものほど多く、強力な効能を得られるわ。採取したてを処理すると、若返りの効果も得られるって話だからね。トリギェの依頼人はそれを欲したそうよ。権力者が欲しがる物って言えば、最後は永遠の命がお決まりだからね。その時は、トリブトムの誰も、首は捻るものの追求はせず、依頼を受けた」

「けれども、違った。狙いは別にあった」

 重々しい声で、ガリオンは相槌を打った。プラエは頷く。

「トリギェの真の狙いは、ウニクムじゃない。ウニクムが多く自生する場所に生息する生物が目的だったの」

「「「生物?」」」

 全員が同時に首を捻った。

「ウニクムの効能は、何も人間だけの物じゃない。他の生物にも適用される。それを理解しているから、ウニクムを食べる生物が存在する。ムスラトゥスとかが良い例ね」

「長寿ねずみか。ウニクム以上の希少な生物だな。コレクターにとっては垂涎の品だ。剥製でも金貨が百枚は飛んでいくっていうが」

 ガリオンは納得したように頭を撫でている。

「しかし、ムスラトゥスを捕獲するなら、始めからそう言えば良いのではないのか。嘘の理由を作る必要がどこにある」

「待って。話はまだ終わってないわ。ムスラトゥスが目的じゃないの。それに、ムスラトゥスが目的なら、トリギェは必要ない。鹵獲するならトリブトムの傭兵でも簡単に出来るだろうし。だから依頼は、生物の捕獲が目的だけど、狙いはムスラトゥスなど、トリブトムの連中だけで事足りるものじゃない。トリギェ自身が赴かなければならなかった。何を捕獲するか知られたくなかったから」

「つまり、ウニクムの近くに住んでいて、トリブトムじゃ捕まえられない生物って事か?」

 トリブトムはプロの集まりだ。その彼らが捕獲できないものなんているのか。そもそも、それを捕獲できる時点で、トリギェが依頼を出す理由がない。自分で出来るのだから。

「捕まえられない、というよりも、捕まえられるけど、手を出すのは御法度の生物がいるでしょう?」

 暗い笑みを湛えながらプラエは言った。その笑みは緊張で彩られていた。楽しいとか、面白いから笑ったわけではない。

「嘘だろ、おい」

 ガリオンがペチンと頭を叩き、天を仰いだ。ギースは眉間の皺を更に深くして頭を抱えている。樹海の生物に詳しくない私と上原は、何の事か分からずにプラエとガリオンたちの顔を交互に見比べるしかなかった。

「トリギェの目的は、樹海に住む生態系の頂点、ムスラトゥスを餌にする獣を餌にする大型獣を餌にする化け物、食物連鎖の最上位」

 プラエは息を吸い、口に出すのも憚られるものを、その空気を使って無理やり押し出した。

「ドラゴン。その卵が目的だったの」

 突如、カンカンカンと警鐘がラテルの街に鳴り響いた。何事かと全員が窓の外へと視線を向ける。

 警鐘をかき消す轟音と同時、ラテルが揺れた。


 激しい揺れはすぐに収まった。

「地震っ?」

 床に両手をついて膝立ちの姿勢を取りながら、何かあるわけでもないのに天井を見上げる。ぱらぱらと埃が落ちいるのが目に付いた。

「違う。これは、もしや」

 いうやいなや、ガリオンは部屋の窓を開けた。上半身限界まで窓の外に晒し、周囲を見渡す。ぐるりと見渡して、ある一点を見つめたまま、彼は固まった。

「ギース」

 外を見つめたまま、ガリオンはギースに指示を飛ばした。

「すぐに団員全員を西門に集めろ。逃げるぞ」

「団長、まさか」

 ギースも窓枠へと駆け寄る。つられて、プラエ、私、上原と続く。ひょこひょこひょことプレーリードッグのように窓から私たちは首を伸ばした。ガリオンの見ていた方角に、視線を向ける。

「な、ぁ」

 言葉も出なかった。

 距離は、かなり離れている。轟音の原因は、崩れ落ちた城壁のせいだろう。百人乗っても崩れる心配など必要なさそうな、幾度も野獣の襲撃を弾き返してきたであろう堅牢な城壁は、無残にも打ち崩されていた。崩れ落ちた瓦礫が砂塵をもうもうと巻き上げる、その奥。崩れた城壁の隙間から、ゆっくりと、己が肢体を見せつけるように、『それ』は姿を現した。

 シルエットは、犬や狼、狐などのイヌ科に似ていた。四本の脚で悠然と歩いているが、その気になれば大地を蹴り、千里でも安々と踏破できるほどの脚力を有しているのは想像に難くない。犬が単純にでかくなっただけでも脅威だ。人間は単純に力で犬に勝てない。その数十倍はあろうかという巨体に加え、イヌ科の動物と異なるのは二対の翼があることと、太い前脚。後脚に比べて発達し、二回りは太い。前脚を包む鱗はただ表面を包むだけでなく、一枚一枚が他の鱗に比べて大きく発達している。走るためだけなら、あんな進化の仕方はしない。

 真っ赤な鱗が曇天を突き抜けた日光を反射して、動くたびにゆらゆら濃淡を変える。でかいキャンプファイアーみたいだ、と間抜けな感想が頭に浮かんだ。

 四本の脚が、ラテルの石畳を叩く。一歩一歩進むたびに、何台もの馬車が通ってもびくともしなかった石畳が悲鳴を上げながら砕け陥没する。鎌首をゆっくりと引き、そして、押し出しながら『それ』が口を大きく開いた。


 オオオオオオオオオオオオオオ


 聞く者の心臓を押し潰すかのような咆哮が轟く。

 圧倒的な存在感を放っていた。あれは人が抗えるものじゃない。脳は逃げの一手しか導き出せ無くなっている。あれに比べれば、ロストルムなんて可愛いものだ。

「最悪」

 プラエが唸った。

「よりにもよって、インフェルナムの卵を盗んだのね」

「インフェルナム?」

「生態系の上位にいるドラゴンの中でも上位種。樹海に君臨する化け物の中の化け物。滅多にお目にかかれない希少生物よ。一生分の運を使い果たしたようなものね」

 良かったわね、とプラエは冗談めかして言うが、顔が引き攣っている。

「その言い方は正しくないな」

 ギースが窓から体を引っ込めた。いつも冷静沈着な彼には珍しく、額に汗を浮かべている。

「目にした人間は、ほとんど死ぬ。命からがら逃げ延びた人間から得た僅かな情報から、インフェルナムの存在が確認されたのだ。一生分の運を使い果たした、というよりも、ここで一生が終わる、の間違いだ」

「最悪じゃないですか」

「そう言ったでしょ! 最悪の状況よ!」

「馬鹿! 言い争ってる場合か! 俺達も逃げるぞ!」

 ガリオンが叫んだ。彼の行動は素早く、既に自分の手荷物はまとめて担いでいた。逃げる事に否やはない。むしろすぐに逃げたい。ガリオンに倣って、私たちは宿屋を飛び出した。外では既に、大勢の人間が通りを疾走している。一歩でも遠く、一秒でも早くインフェルムから離れるために。

 真面目に職務を全うしている見張りの誰かが警鐘を鳴らし続けている。立派だとは思うが、もう逃げた方がいい。見知らぬ誰かのために祈る。

 一瞬、世界が赤色に染まった。少し遅れて、熱波が通りを吹きぬける。以降、警鐘は鳴らない。何が起こったか、考えたくもない。

「やばい、あの野郎かんかんだ」

 言いながら、ガリオンは荷物の中から何かを取り出した。一見、スポーツの審判や交通整理をしている警察官が鳴らしているホイッスルに似ているそれをギースに渡す。

「ちっと耳塞いでろ」

 私たちに伝え、自分も耳を塞いだ。隣ではギースがホイッスルを咥えて大きく息を吸い込む。慌てて私たちも耳を塞ぐ。上空に向かって、ギースはホイッスルを吹いた。キンッと気圧が変わったときのように耳が痛み、周囲の音がこもって聞こえづらくなる。

『ガリオン兵団・西門集合』

 エコーがかったギースの声が空から降ってくる。もう一度ギースが息を吸い込み、同じように上空に向かってホイッスルを吹く。

『十五分後にラテルより離脱・無理なら逃亡・生存優先』

 再び上空からギースの声が落ちてくる。市内放送を行うスピーカーのような、広範囲に知らせるための魔道具というところか。詳しく教えて欲しいが、そんな事を頼む余裕はお互いない。今は、逃げ延びる事が優先だ。逃げ延びられれば、幾らでも尋ねる時間がある。逃げて、生き延びる事さえ出来たら。

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