第24話 プラエの回想その一

 何だか、様子がおかしい。

 新しい魔術媒体用の道具を買いに街に出たプラエは、漂う空気の質が違っているように感じた。鼻を天に向けて、ヒクヒクと嗅ぐ。

 人間の多くは空気を読む事が出来る。相手のエピソードに共感することや、怒っている、機嫌が悪いと読み取るや、機嫌を取ったり、離れて様子を伺ったり、静かにやり過ごそうとする。それらは、目の前にいる相手を目で見て、言葉を聞いて、匂いを嗅いで、意識はしていないが相手から発するホルモンを感じて、全身で受けた刺激を脳が言葉では表現しがたいほどの複雑な処理し、これまでの積み重ねた経験と知識の記憶から照らし合わせて判断した結果が、空気を読んだ行動になる。時にそれを無視する方が最善な場合もあるが、例外はさておいて。プラエたち魔術師は、常人よりもその感覚が鋭い。魔力なんていう、人の生命力を現象に変換する技術を取り扱っている影響によるものだ。彼女たちは先述した常人が受ける刺激に加えて、魔力の乱れや量なども合わせて感じ取る。鋭い感覚がなければ魔術道具など作成できないし、異変を素早く嗅ぎ取る嗅覚がなければ新しい技術の開発など出来ない。鼻で嗅ぐ仕草をするのは彼女くらいだが、多くの魔術師は自分のいる土地の空気も感覚的に読み取る事が出来る。そこに住む人や生物の魔力を感じ取って、例えば不景気だとか、病気が蔓延しているとか、街の調子を読み取れるのだ。

「嫌な感じ」

 口に出してみると、ふわっと漂っていたその嫌な何かが、徐々に形を帯びてくるように感じた。街の様子は、昨日とも、一週間前とも、一ヶ月前ともさほど代わらないように見える。しかし、何かが昨日に比べて違う。それが何かが出て来ない。違うのはわかっているのに何が違うのか分からないもどかしさを抱えながら、自室に戻っていると、視界の隅に見知った顔を捉えた。

 トリブトムの、確かマグルオだ。随分と険しい顔をしている。しかもあの格好に荷物、ラテルを出る気か?

 彼らがラテルを出るのは、何もおかしな事じゃない。彼らは依頼品を運ぶ途中なのだから、準備が済んだら目的地まで行くだけだ。

 けれど、プラエには何かが引っかかった。マグルオとは少し話した程度だが、冷静な部隊長のイメージそのものだった。どれほどの状況でも常に最善を目指すような優れた武人だ。優れた武人は、自分の表情が相手にどれだけの情報を与えるかを理解しているから、表情をあまり変えない事が多い。そのマグルオがあんな顔をしているとなれば、何かあったのではと勘繰ってしまう。同じく引っかかる街の異変と何か関係しているかもしれない。彼の後を、自然とプラエは追っていた。

 マグルオほどの武人を尾行するのは困難だ。周囲に気を張っているため、視線など長く向けようものなら、たちどころに見抜かれ、尾行に気づかれてしまう。同時に、プラエは自分が素人であると自覚している。素人が玄人に勝つのは難しい。だから、勝てない分野では勝負しない。代わりに自分が有利に戦える事で勝負する。正々堂々など、傭兵には必要ない。

 プラエは懐から銀色の魚を取り出した。以前アカリたちの訓練に用い、壊されたフォルミと同系統の魔術道具だ。彼女はフォルミの鼻先をマグルオに向けた。訓練用フォルミは、対象に向ける事で、その相手のみを攻撃するようにセッティングされる。応用すれば、相手に気づかれないように後を追う追跡機の役目も果たせる。幸いなことに、彼女と彼との間に他の人間がいない。セッティングするには絶好のチャンスだ。彼女はすぐさまフォルミを宙に放ち、自分は一旦姿を隠した。プラエの命を受けたフォルミは、セッティング通りにマグルオの上空数メートルに張り付き、彼の動いた方へと追尾する。マグルオは知らない間に、自分の居場所を知らせる小さな凧を上げている形になった。銀色のボディは鏡のように周囲の景色を映して溶け込み、ある種の透明な状態になっていた。太陽光が強ければ光を反射してしまうが、今日に限っては曇天なのが幸いだ。これなら、流石のマグルオも気づかないだろう。

 プラエはマグルオとは別の通りを、上空のフォルミを見ながら歩いていた。向かう先は、西門の方角だ。やはり、ラテルを出る気だろうか。他の仲間たちが見えないが、どこかで落ちあうつもりか、それとも先にラテルを出たのか。

 十字路に出た。マグルオが歩いているはずの通りがこちらから見える。建物の角から、こっそり顔を覗かせる。

「うおっ」

 乙女らしからぬ悲鳴を上げて、プラエは仰け反った。プラエの視線の直線上にマグルオはいた。彼女に向かって手を振って。どうやらフォルミの尾行に気づいていたらしい。泳がされていたのはこちらの方だったようだ。ちょいちょいとマグルオが手招きする。仕方なく、プラエは彼の方へと近付く。

「一緒に飯でも食べるか?」

 先ほどの険しい表情を隠して、マグルオは快活に笑った。

「気づいてたの?」

 上空に手をかざすと、フォルミが降りてきた。気づかれないと思っていたから、素直に悔しい。

「ん? ああ。一応な。と、自信ありげに言ったが、俺の手柄じゃない。こいつのおかげだ」

 マグルオはポンポンと自分の鎧を叩いた。

「トリブトムお抱えの魔術師が作ったもんだ。魔力がこもった何か、例えば襲撃が接近してくるのを知らせてくれるんだ。背後からの奇襲や、透明な敵の接近に気づくようにな」

「くそ、これだから大手は」

 資本や技術力の差はどんな業界にもある。資本があるから多種多様な材料が集められるし、だからこそ多くの技術が生まれる。その技術は、多くの資本を生む。そのサイクルに打ち勝つには奇想天外なアイディアが必要だ。フォルミが持つ応用性に少なからず自信を持っていたプラエだが、大手の魔術師はそれをあっさりと防いでみせた。悔しいが、認めるしかない。自分はまだ未熟で、大手の魔術師達には勝てない。

「いや、あんたのそれは大したもんだよ。正直、全く気づかなかった。こういう、鎧の補助のない相手なら絶対見破れないだろう。結構な人混みがあったにも拘らず、間違えずに追尾できるなんて見事なもんだ。うちの魔術師も欲しがるだろうし、俺も欲しい」

「見破られた相手に言われても、嫌味にしかならないわ」

 睨むと、マグルオは苦笑した。

「でもどうして、俺を追っかけて来たんだ? 俺に惚れたわけでもないだろう?」

 もしそうだとしても、残念ながら俺は妻一筋だからなぁと笑うマグルオに、プラエは尋ねた。

「ラテルを出るの?」

「ん? ああ、まあそうだね。任務の途中で立ち寄っただけだし」

「いつ?」

「いつ・・・何だよ。本当に俺に惚れたのか?」

「すぐ、なんじゃない?」

「どうしてそう思う、ってまあ、こんだけ抱えてたらばれるか。そうだな、今日にも出る。だが、不思議がる事はないだろう? 俺たちは任務のついでに寄っただけだぜ。任務も終わったし、団の本部があるフェルムに帰るだけだ」

「任務が終わった? それにしては、随分と険しい顔をしていたわね。何かあったのかと思ったのよ」

「それで心配になって、追いかけてきたってことか?」

「ええ、充分でしょう? トリブトムの部隊長がしかめっ面をしていたら。それに、私はほら、トリブトムの魔術師様には叶わないけれど、これでも魔術師よ。街に漂う不穏な空気を嗅ぎ取って、妙だな、嫌だなと思っていたらあなたが険しい顔をしている。何かあったかなと結びつけるのは、おかしな事じゃないわよね?」

「大げさだ」

「大げさ? 私の考えすぎかな? 例えば、あなた達の依頼品について、だけど」

 ここからプラエはハッタリとカマを混ぜ合わせる。

「本当に、任務は完了したの?」

「どういう意味だ?」

 笑顔でマグルオは聞き返してきた。だが、その笑顔は硬い。

「さっきこのフォルミの話になった時、あなたこう漏らしたの。自分も欲しいって。あの時は別に気にならなかったけど、珍しいわよね。こういうチマチマしたもの、あなたみたいな戦闘要員が欲しがるのは」

「どうだろう。他の連中はそうかもしれないが、俺は」

「あなたに依頼を持ってきたトリギェ、今どこにいる?」

 のらりくらりとした返答を遮って、聞きたかった事を尋ねる。

「どうしてそんな事を?」

「自分を追跡してきたフォルミを欲しがるって事は、そういう風に使いたい場面があったからじゃないかな、と。それも、ここ最近。それほど、さっきの一言には実感がこもってた、で、もし使うとしたら誰に、という話になるけど、可能性としてあげられるのは、部隊員ではないトリギェだけ。もしかしたら、依頼品でも持って消えたんじゃないかなと思ったわけよ」

「仮にそれが全て事実だとしても、あんた方に迷惑をかけるわけじゃない。こっちは大丈夫だ。だからもう良いだろう?」

 一瞬食いしばるように口元を引き締めて、マグルオは言った。暗に、トリギェに裏切られたと認めたようなものだ。

「そうも言ってられない場合があるわ。その依頼品についてよ。権力者が欲しがる依頼品、しかもこのラテルの近辺にある物って、限られてくるわよね。しかも逃げるようにラテルを出て行く必要がある物は・・・」

 ああそうか、とプラエは自分で話しながら、街の何がおかしいかを理解した。少ないのだ。街に漂う魔力の流れが。変わったのではなかった。魔力を持つ、人間の総数が昨日と今日で大分違うのだ。

「依頼人はどこの貴族?」

「知らないな。知っていても、言えるわけがない。分かってるだろ?」

「ラテル守護国の大公呼び出せる人間でしょう?」

 あてずっぽうで言った。だが、確度の高いカマのはずだ。

 街の人数が減少する理由は、単純に街から出て行ったから。例えば傭兵団だ。だが、この可能性は低い。傭兵団同士だからこそ、他の団員とのコミュニケーションはとる。給料の支払いや任務内容など、団の内情をやり取りする。団から離れざるを得ない万が一の時、少しでも働きやすい団に身を寄せるのは当然だからだ、そして、今の所他の団がラテルを離れたという話はない。ならば他に大勢の人間が動くとなれば一つ。この街の貴族、もしくは元首である大公が正規兵を連れて移動する時だ。貴族の移動は傭兵団以上に大掛かりだ。貴族を守る護衛はもちろん、身の回りの世話をする使用人も連れまわす必要がある。

 なぜ、貴族が移動するのか。戦争以外で考えられるとしたら、パーティの招待だ。月に数度、彼らはパーティを開く。そうやって他国の貴族と交流を深め仲良くなることで、殺し合いに発展しないようにしているらしい。

 その交流の場こそ、貴族の戦争の場所だ。美しいドレスや宝石などで身を固めるのは、少しでも自分の方が相手よりも上であると見せつけるためだ。最近では、珍しい物を多く持っている貴族が一目置かれる。パーティの主催者は、自分のコレクションを見せびらかし、自分は珍しい物をこれだけ集められる力があると周囲にアピールする。だからこそ、今回トリブトムが受けたような依頼は多い。プラエたちはそういう連中の行動にはあまり注意を払わない。パーティはよくある事で、自分達には関係のない世界の話だからだ。パーティだろうがなんだろうが、どうぞお好きに。そういうものだ。だから、気を配らなかった。それは誤りだった。プラエは、その依頼品こそがパーティの目玉になるのではと考えに至った。

 そして、問題が起きた。彼女の推測通りなら起きている。マグルオの険しい顔の理由はそれだと推測した。

 マグルオの表情が、僅かに揺らいだ。笑顔に亀裂が入り、目の奥に一瞬、暗い陰を落とした。こういう目をする相手は最悪の場合を考えている。この場合は、プラエの口を塞ぐ事だ。心の内に沸き起こった怯えを押し隠し、彼女は尋ねる。見当違いなら、恥ずかしい思いをするだけだ。だが、この見当が当たりなら、それこそ最悪の事態に見舞われる。団と自分を守る為の踏ん張りどころだった。

「何が起きているの?」

「言えないな」

「口が堅いのは美点だと思うけど、逆効果よ。そんなの私の考えが間違ってない裏づけになっちゃうわ?」

「だとしても、推測の域を出ない。真実かどうか分からない」

 シンプルな黙秘に対して、カマかけは無力だ。喋らないのだから。これ以上、こちらの推測をぶつけても言わない、喋らないが帰ってくるだけだ。

「じゃあ、情に訴えるわよ」

「それ、自分で言って効果があるものなのか?」

 プラエは大きく息をすい込んだ。泣き落としも色仕掛けも、自分には出来ない。ならば訴えるとしたら、これだ。苦笑するマグルオに向かって言い放つ。

「あなた、恩を仇で返すつもり?」

 言われたマグルオは、ぽかんとした顔で彼女の顔を見返した。

「恩って、俺は別に、あなたに何かしてもらった覚えはないんだが」

「アカリにはあるでしょう?」

「確かに、彼女には助けてもらったが・・・」

「彼女の武具の調整は私の仕事。また、彼女に使い方を教えたのもこの私。つまり、私は恩人の恩人ってわけ。おわかり? なら私にも義理を通しても良いんじゃない?」

「そんな、無茶な話」

「無茶な話でも、聞いた方が良いわよ。あなたが褒めてくれたこのフォルミ、もう一つの効果を発揮しなくちゃならなくなるわ」

「もう一つの能力?」

「この子、他にもう二体いるの。今、私の部屋にいるんだけど、近い距離なら相互間で音のやり取りが出来るわ。こっちの音を向こうに聞かせる事が出来るの。そして、部屋にはアカリがいる。今朝、私の部屋を掃除するとか言って息巻いてたから」

 嘘半分、真実半分だ。こんな汚い部屋もう耐えられないと息巻いていたのは本当だが、アカリは今頃、ロストルムの解体作業を行っている。フォルミを通じて音のやり取りができるようにしたのは本当だが、まだ試験段階だ。何も遮蔽物のない場所では成功したが、家の中と外ではまだ成功していない。

「とりあえず、これに向かって叫ぶわ。あなた達に暴力を振るわれたと、ことさら名前を強調しながらね。恩人に軽蔑されたくなかったら、きちんと説明した方が無難よ」

「とんでもない脅しだな。だが、結局無意味だ。俺たちはラテルを出る。二度と彼女に会う事もない」

「そうね。その通りだわ」

 更に追い討ちをかけてくると思っていたのか、マグルオは口を中途半端に開いたままプラエを見つめていた。

「そんな事関係ないと、自分は無関係だと言い張って、これから彼女に何が起ころうと、どうでも良い事よね。自分は、何が起こるか予測出来ていて、それでも尚、彼女がどうなろうとかまわない。良心の呵責すら起こらない。そういう事よね?」

「そう来るか」

「本当に何もなければ、別に良いのよ。私が馬鹿な勘違いしてたとちょっと恥かいて、飲みの場で披露する笑い話が増えるだけだから。本当にそうなら、私は一時の恥など恐れはしない。誰も傷つかないからね。けれど何か起きているのなら、教えて欲しい。何か協力できるかもしれないし、あなたが不利になるような事なら誰にも話さない。お願いだから、どうか私に、何が起きているのか教えて欲しい」

 懇願するプラエを、マグルオはじっと見つめていた。

「あんたには何も言う事はない。悪いが急いでいるんだ。これから仲間たちと打ち合わせをしなきゃならんからな」

 突き放すようにマグルオは言った。

「で、どうする? 飯は?」

「え?」

 唐突な話題変換に、プラエは面食らった。

「さっき言っただろ。飯でもどうだって」

「聞いたけど」

「俺たちは飯を食う。色々あって、朝から何も食ってないからな。で、時間がないから飯を食いながら打ち合わせをしなきゃならない。飯を食って、打ち合わせもするわけだから、とても忙しい。意識をそっちに集中しなきゃいけない。だから、誰かが聞き耳を立てていても、俺たちは全く気づかない」

「・・・ありがとう」

「礼を言われるような事は、俺は全くするつもりはない。なぜなら、あんたには何も言うつもりがないからな。それでも良いなら、飯を一緒に食おう。奢るぜ?」

「頂くわ。朝から何も食べてないから」

 腹に手を当ててそう言うが、プラエには全く食欲が沸かなかった。

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